生き残ったのに無視される社会
虐待され生き残ったものの、人生は厳しい。
フラッシュバックが酷ければ酷いほど、年を取れば取るほどに辛い人生になる。なりうる。
虐待された子供はその事実を発言出来ない。
虐待した家族はその事実を自分からは発言しない、絶対。
死んだ場合は別だけれども。
虐待された人間が死んだ場合は「ニュース」になり裁きが下される。
その加害者は名前と顔を晒される。
それでは生き残った場合はどうだろう?
虐待の事実を人に言う事が出来ずにいると知らぬ間に心の傷は時間と共にさらに深くなる。例えそれに蓋をしていたとしてい無視し忙しくしていても、いずれその蓋は器ごと爆発してさらに傷はえぐられる。
いつまで経っても被害者が一生苦しい思いを強いられるその背景には、日本の歪んだ教育と歪んだ法律があるからだ。
「家庭内のことには踏み込めない」
例えば教育の現場で心理カウンセラーが毎年数回子供のカウンセリングを行えば、凄い確率で「家庭内での虐待や学校でのいじめ問題」を発見出来るだろう。
心理カウンセラーは子供が発する言葉と表情をみればその子供が抱えている「恐怖」を読み取れるだろうし、その子へ「虐待の事実を伝えることの大切さ」や「家族でもあっても悪いことは悪い」と教えて行くことが出来る。
心理カウンセラーでなくても教育で「悪い事は悪い」と教えるべきだ。
家族であってもしてはいけないことは、ダメなんだよ。
それを一人で我慢しなくていいんだよ。
君は悪くない、君は悪くない、君は悪くないんだよ。
この事を虐待を受けている子供が小さい内に知るというのはとても大切なことだと思う。
何故ならば、虐待を受けた子供はどこかで「自分が悪いから虐待を受けている」と歪んだ認知になってしまうことがとても多く、そのせいでいつも罪悪感にさいなまれ自信をなくし、結果大人になっても人間関係でとても苦労していくからだ。
社会が不景気になればなるほどに、家庭内での虐待は増えて行くという事を考えると、もうこの問題を見過ごしていてはいけないと思う。
虐待の早期発見で子供を救う事が出来たら、その子供は将来への希望を捨てずに済む確率が高くなるはずだ。
大人を信用していいことを学べる。
人を信頼していいことを学べる。
日本の法律は自分を守ってくれることを学ぶ。
法律。
日本の法律はもう変わるべきだ。
虐待された人達が、加害者を訴えやすくなるように。
通報してきた被害者を無料で保護して、カウンセリングを一生無料で受けさせるべきだ。勿論、裁判費用も無料。
加害者は現在より重い罪を負って一生更生のためのカウンセリングを受けるべきだ。
その罪は想像以上に重い。
家族なのに周りには知られないだろうと思ってする犯罪というのは重大犯罪だと思う。
その心境はとても歪で汚らしい。
家族だから周りに言わないだろう、だから家族を虐待しても責められないだろうと思いながら虐待をしているという事は重大犯罪でしかない。
くずの思考だし、鬼畜の所業でしかない。
とにかく、時効は撤廃して訴えやすい社会にすること。
訴えてもいいという思考にさせる社会になること。
そこで罪悪感を感じる必要はないと教えること。
このメリットはとても大きい。
何故ならば虐待を受けた子供は「自分の子供を虐待する確率が非常に高いから」です。
虐待を実際にしなくても「いつかこの子を私の親が私にしたように虐待してしまうのではないか?」と思っておびえている被虐待児がとても多いからです。 精神科医も心理カウンセラーもこの事実を数字を知っているのに、何みないふりをしているんだろうか?
虐待された傷が深ければ深いほど、自分の子供を虐待する確率が高い。
だからこそ、早めに救わないといけない。
そこで一旦清算することは被害者たちにとってかなりの慰めになると思う。
「あなたは悪くない、悪いのは相手です」と法律が、世間が、世界が認めてくれたなら、その事を公にしてくれたなら今より気分はよくなるはずだ。
虐待の連鎖を減らしていくために、そのトラウマケアを国がすることはメリットしかないと思う。
被虐待児のメンタルが安定して行くと、人間関係も仕事も安定し始め、犯罪も減るはずだから。
暴力を伴う犯罪者が抱えているのは「強い怒りと悲しみ」だろうし、その「怒りと悲しみ」はほぼ幼少期からのものだから。
だからこそ早期発見と早期清算があると、虐待サバイバーとして
の人生の後半戦は少しはなだらかな道のりになるのではないだろうか?
これは理想とか夢ではなく現実に出来る提案です。