100年前のプランデミック
日本に原爆を落としたトルーマン大統領が戦後に述べた言葉。
「猿を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。
方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。
そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を開放させる。
これで真実から目を背けさせる事が出来る。猿は我々の家畜だからだ。
家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。
そのために我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。
(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。
これによって、我々は収穫を得続けるだろう。
これは戦勝国の権限でもある。」
ハリー・S・トルーマン(Harry S・Truman)
今夜は1918~20年にかけて流行して多くの死者を出したスペイン風邪のお話をします。上記のトルーマンの吐いた言葉はあんまり関係ないのですが、私たち日本人は、現在もこういった状況下で支配され続けていますので、これがわからないと、プーチンの言葉に耳を傾けることも、mRNAワクチンに疑問を持つことも、中東情勢に興味を持つなんて事も、全てが中途半端になってしまうんじゃないかと思いました。殺されるのも人生だ・・・と考えるならばお話は別です。小さな幸せは、そこらじゅうにありますからね。
(スポーツ・映画・セックス、レストランでワインを啜りながら美味しい食事を楽しんだり、絵を描いたり、楽器を弾いたり、歌ったり、踊ったりと、楽しめることは山ほどあります。)
それはさておき、今から約100年前に起きたスペイン風邪は、5000万人から1億人以上の死者を出したとされています。一般的には、H1N1亜型インフルエンザウイルスによる感染症だと言われています。しかし、全く別のものだったのです。いきなり、そのようなお話をしても信じてもらえないと思いますので、まずはデビッド・ロックフェラーの回顧録から入ろうと思います。
『デビッド・ロックフェラーの回顧録』の405ページ
「私の家族と私は米国の最善の利益に反して活動している秘密の陰謀団の一員です。私の家族と私は国際主義者(グローバリスト)です。私と私の家族は世界中の人々と共謀しています。ー以下省略」
このように、デビッド・ロックフェラーは、回顧録の中で正直に自分が秘密の陰謀団の一員であると書いています。今は、さほど力を持っていませんが、1960年代あたりまでは凄かったようです。ただ、あの
スペイン風邪が流行っていた頃、地球上の医療を支配していたのはロックフェラーでした。あの人を聖人のように思っている人々には、私のお話は陰謀論で片付けられてしまいそうなので、最初に回顧録を紹介しました。
あそこに書いてある通り、あの人たちは世界中のお仲間(たぶん、イルミナティーとかフリーメーソン)たちと共謀して悪い事をしていたのです。
いろんな分野で悪事を重ねていたのでしょうが、その1つがプランデミックでした。あのスペイン風邪です。実はあれは計画的に引き起こされたものだったのです。
あれから約100年後の2019年、人工ウイルスが中国の武漢市でバラ撒かれました。大企業のお金儲けと、人類の間引きのためです。それと何だろう?忘れました。とにかく、パンデミックではなく、プランデミックです。
歴史は繰り返す・・・と言いますけど、100年前のスペイン風邪がまさに同じようなプランデミックだったのです。あのプランデミックを生み出したのはウイルスではなくて、細菌でした。馬で培養した細菌性髄膜炎ワクチンが根源だったのです。そして、100年前も今も、殺人ワクチンに深く関与していたのがビル・ゲイツの一族です。
ビル・ゲイツ一族とロックフェラーの関係
ジョン・D・ロックフェラー ⇒ フレデリック・テイラー・ゲイツ
↓
息子のフレデリック・レイモンド・ゲイツ
↓
ロックフェラー研究所
(馬由来の実験的髄膜炎ワクチンに関与)
IHD~WHOへ
WHOは、IHDの成功体験として1948年に出来ました。
IHDとは「International Health Division」の略称です。
このIHDを作ったのがフレデリック・テイラー・ゲイツで、彼はジョン・D・ロックフェラーの主な事業顧問、および、慈善活動顧問などをしていました。米国バプテスト教会の牧師でもあり、教育者でもあり、大手石油実業家でもありました。
そして、彼の息子フレデリック・レイモンド・ゲイツがロックフェラー・メディカル・リサーチ研究所の物理学者で科学者でした。
このDrゲイツ(フレデリック・レイモンド・ゲイツ)が、ロックフェラー研究所の馬由来の実験的髄膜炎ワクチンに関与していて、これが原因となり、地球規模で細菌性肺炎が流行し、1億人以上が亡くなってしまいました。
スペイン風邪の発症地
流行が始まった1918年は、4年間続いた第一次世界大戦が終わった年(11月)です。何故、スペイン風邪なのか?については、スペインは中立国でしたから自然と発症地にされてしまったのだろうという人が多いです。
「科学者らがフォート・ライリーでスペイン風邪の歴史を学ぶ」
実は、スペイン風邪の流行の発症地は、アメリカのカンザス州フォート・ライリーからだったようです。この記事、2017年の5月に出ているんですが、「科学者らがフォート・ライリーでスペイン風邪の歴史を学ぶ」というタイトルの記事です。これはアメリカ陸軍の公式ホームページにアップされた内容です。
※記事内容 「2017年5月7日から10日にかけてカンザス州のスタッフが主催した第八回新興人獣共通感染症国際会議の一環として、世界中の様々な分野の科学者がスペイン風邪についてさらに学んだ。世界中から25人以上の科学者が、1918年のスペイン風邪の流行の歴史をヒアリングし、フォート・ライリーの博物館を見学した。この会議は3年ごとに開催され、医師、獣医師、疫学者、免疫学者、ウイルス学者、微生物学者、公衆衛生の専門家などの学際的なフォーラムで構成されている。イベントでは、動物から人への感染症の伝播と越境疾患の経済的影響について講義が行われた。そしてさらに、カンザス州立大学の軍事部長、予防医学将校の助けを借りて、国際的な科学者たちは1918年にフォート・ライリーを襲い、世界中に広がったH1N1インフルエンザ(スペイン風邪)の歴史を理解した。」以上
人獣感染症
そこで、まず人獣共通感染症というのは、具体的に何なのか?ということで、この国立感染症研究所のHPにその説明がありました。
人獣共通感染症にはこのようなものが含まれています。
Bウイルス病、こちらはいわゆるエイズが含まれています。
他に黄熱、狂犬病、日本脳炎、鳥インフルエンザ、ペストなどが含まれているようです。ただ、これだけでは自然に広がっていくものとしか考えられません。人工とは言えませんよね。
そこで別の記事です。
インフルエンザは殺人ウイルスではなかった。
『1918年の軍事実験用ワクチンが、5000万人~1億人を殺したスペイン風邪として何故、非難されたのか』・・・というタイトルの記事です。
ー カンザス州フォート・ライリー出身の兵士が、キャンプ・ファンストンの病棟でスペイン風邪に罹患 ー という内容なんですが、かなり長い内容だったので概要だけピックアップします。
※記事内容 「現代の技術が、このパンデミックによる致命的なインフルエンザ株を特定出来なかったのは、インフルエンザが殺人者ではなかったからだ。第一次世界大戦では、銃弾よりも病気で亡くなった兵士のほうが多かった。しかし、パンデミックはインフルエンザではなかったのである。
死亡例の95%(またはそれ以上)は、インフルエンザ/ウイルスではなく、細菌性肺炎によって引き起こされたと推定されている。
パンデミックはスペインのものではなかった。
1918年に細菌性肺炎が始めて発症したのは、カンザス州フォート・ライリーの軍事基地に遡るからだ。
1918年1月21日から6月4日にかけて、NYのロックフェラー医学研究所が馬で培養した実験的な細菌性髄膜炎ワクチンが、フォート・ライリーの兵士に注射された。
1918年の残りの期間、これらの兵士たちは、しばしば劣悪の環境下で生活し、移動し、戦うため欧州へ送られたため、カンザス州とフランスの最前線の塹壕の間のあらゆる停留所で細菌を撒き散らした。
スペイン風邪と言われた病気は、働き盛りの健康な人々を襲った。細菌性肺炎もまた働き盛りの人を襲う。インフルエンザは、若者、高齢者、免疫不全の人を襲った。つまり、スペイン風邪は細菌性肺炎だったのである。
1918年11月11日に第一次世界大戦が終結すると、兵士たちは母国や植民地の前哨基地に戻り、殺人的な細菌性肺炎を世界中に広めた。
第一次世界大戦中、ロックフェラー研究所は、抗髄膜炎球菌血清を英国、フランス、ベルギー、イタリア、などへ送り、世界中に蔓延させた。」以上
また、当時の製薬シンジケートは1917年に腸チフスのワクチンを作成。
1918年2月に米国で徴兵した兵士らに注射して新型の病気を誘発したという記事もありました。
あの当時、スペイン風邪として流行していた病は、インフルエンザと細菌性肺炎の両方があったというわけです。記事では死亡例の95%以上が細菌性肺炎によって引き起こされたとあります。
2020年からのパンデミックが起こらなければ、100年前のこのようなお話など信じられませんでした。今夜も疲れる記事に最後までつき合っていただき有り難うございました。
このような私をサポートしてくれるなんて、とっても嬉しいです!