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yuruyuura
絶対的
最近、子どもが大きくなってきて、「絶対ママ!」みたいな感じが減ってきた。
生意気なことも言うし、1人で出来ることもたくさん増えて、少しずつ手を離れ出した。
「やはり絶対的な存在でいれるのも3歳くらいまでなのだな。」と寂しく感じている。
先日、子どもと一緒に電車のホームで並んでいた。
ホームには金属を組んだ四角の柱があって、柱の向こう側が透けて見える。
一緒に並んでいたけど、ふとした瞬間に私が柱ごしに立つことになった。でも子どもからも見える場所なのでそのまま立って見ていた。
すると子どもの顔がみるみる崩れだし、「ママがいない」と叫び、泣き出した。
私が見えていなかったようで、はぐれたと思ったらしい。
すざましい表情だった。
全身全霊で私がいないことを恐怖としていた。
一部始終を見ていたが、ちょっとこの表情は忘れがたい。
私が「ここだよ。」と歩み寄ると、すぐに泣き止んで普通に話し出した。
言葉や態度に出さなくなっても、1人立ちしたように見えても、まだまだ私が必要だったのかと安心した。
前にも書いたけど、「必要とされること」は、ありがたいことだ。
また生きる意味をもらえた気がした。