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LGBTQとわたし③ 誰と戦うのか?
自分はLGBTQである、と思っている私としては、ここ数年のLGBTQを取り巻く世間の思想というか言葉の棘は、以前とずいぶん変わってきたなと感じます。
当事者の中にも、色んな意見があるでしょうし、まあなんか個人的には、
「少数派が声を上げる、権利を求める、平等を求める、そうしたらいずれこういうリアクションが返ってくるようになるのは、わかってたことでは?」
と思うこともあるし、
「自分が普通ではないのはわかっている」し、それで不利益が出たとしても、それと戦って生きていくと決めている。でも、戦い方は間違えたくないな、とは思うし、色んな出来事に対して、「それは戦い方違わんか?」と思うことは私も正直ある。
自分の幸せのあり方はLGBTQだろうとそうでなかろと、自分で決めることだと思うし、好きにしたらいいとは思う。
基本的には自分の幸せを守れるのは自分だけだ。誰かに指を刺されようが、笑われようが、貫きたいなら貫いたらいいし、貫けなかったんだとしても、それを悔やまず力不足だと思わず、戦い方をまた考え直そう。もしくは戦う場所を変えよう。それができない人だっていることはわかっているからすごく綺麗事を言っているとは思うけども、誰かのせいにしたり、不平不満をただ言うだけで何も現状を変えないよりは、綺麗事を言いたくはなる。
でもその過程で他人を傷つけたり、他人の権利を蔑ろにするのは、やっぱり違うでしょって思う。
自分を貫くことが他人の何かを奪ってはならない。何かを奪えないと貫けない「自分」って、そんなに価値があるもんなの?
「奪われた」と感じる側にも「おいおい」って思うことは度々ある。
それは本当にお前のものだったのか?人が作り上げたものの上でふんぞり返って自分のものって顔してないか?
「奪われた」「傷つけられた」そう思う裏で、あなたは他人のものを奪ってないか?侮辱してないか?
結局はどこまで相手の気持ちに寄り添えるかだよね、何にしても、その視点がごそっと抜けているように見えるものに、賛同なんて得られない。
なんか言いたいことがよくわからなくなっちゃった。LGBTQあんまり関係ないことだったかもしれない。