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“おかあちゃんの事が嫌いやった”〜幼少期の記憶
おはようございます。私の記事を開いて頂きありがとうございます。
先日からお話ししている。母への今までの思いをこのシリーズで綴っていきます。
燈由菜です。
“母と父”の前回までの記事はこの記事の最後に貼り付けていますので宜しければご覧ください(^^)
母は、美意識が高くてスキンケアもしっかりとしていて、86歳になった今でも必ずきれいにお化粧をしています。服もド派手までは行かないけれど花柄や色物と結構派手好きです。
両親は60歳まで印刷屋を営んでいたので夜中まで仕事をしていました。私も何不自由無く育てられて来ました。
私には8つ離れた妹がいますが、私が小学3年の時に生まれたのでそれまではひとりっ子生活で、とても可愛がられていたと思います。
父は職人肌でお酒を一滴も呑まないし、亭主関白で堅物で厳しい人でした。
私の記憶では父は、朝早くに会社に出かけて夜中に帰って来るので顔を合わせる事が殆ど無かったので、たまの休みに顔を見ると怖くて余り近寄れなかったと思うのですが、昔の写真を見ると動物園や遊園地に連れて行って貰ってました。
母は父の会社の事務関係をしていて決まった時間に帰って来る事は無く、夜の7時とか8時には帰って来ていたと思います。
私が中学三年の時までは、母方のおじいちゃんとおばあちゃんも一緒に住んでいたので、私は祖父母に育てられた感じです。
実は…母は養女で祖父母と私は血の繋がりは無いのです。その祖母がとても意地の悪い人で、両親が仕事に行ってる間に私は随分と意地悪をされたので幼いながらも何度も家出をしたいと思い小学生なりの荷物をカバンに詰めて「今日は帰らない」と思って出ては行くけど暗くなると不安になって…母が帰って来るのを幼い妹をおんぶヒモでおぶって駅の改札でずっと待っていたりしたものです。
だからと言って“愛情”に欠けていた訳ではありません。
祖父がとても優しい人で、帰って来ない私を探しに駅まで探しに来てくれたりしました。
祖父の事は大好きでした。
その頃は、祖母にイジメられるので母に助けを求めて『早く帰って来て』と思っていました。
母が祖母に泣かされている事も良く見かけましたが、母は私の前では明るい人でした。
その頃はそんな母の事が好きでした。
中学、高校と私はバレーボールのクラブ活動に没頭しました。
私が高校生になった時に祖父母達とは別に暮らす様になりました。
両親はまだまだ商売に必死でした。
友達とかは、母親に色んな相談をしたりする。て言ってたけど私は母にも…勿論、父にも自分の事を相談したり深く話したりする事は、あまりなかった様に思います。
一緒に過ごす時間が少なかった…からかもしれません。
それでも、欲しい物は買って貰えたし私は幸せで何も問題は無いと思っていました。
両親とも商売の付き合いもあったし、ご近所付き合いも盛んでしたので我が家には、週末になるといつも人が寄って賑やかでした。
ウチの両親は人づきあいが上手なのだと、その頃は思っていたのです。
私はお金持ちのお嬢様では無いけど、商売人の子として普通より少し上の暮らしをさせて貰っていたと思います。
幼少期から高校生だった頃は、そんな感じでした。
両親は、私の事をとても可愛がってくれていたと思います。。。
残念な話ですが、私の幼少期の記憶にあるのは『お父ちゃんとお母ちゃんは仕事で殆ど家に居なくて寂しかった』と言う事です。
皆さんは、幼い頃の記憶って何歳頃からありますか?
最後まで読んで頂きありがとうございます。
つづきは“父と母”シリーズとして書きますので、宜しくお願い致します。
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