日々はただただ、淡々と
今朝、いつものクセで郵便ポストを開けると、一通の封筒が入っていた。
「なんだろ?」
と確認すると、1年前にサラダさんの火葬でお世話になったペット霊園から、1周忌のご案内だった。
1年。
そうたったの365日。
サラダさんがいなくなって、節目となる年月になったんだ。
(さみしいなぁ。)
朝からお知らせのお手紙を読みながら、そんな風に思った。
1年しかなのか、1年もなのか。
改めて、サラダさんはここにはいないと再確認させられたようで、すごく悲しい気持ちになった。
新しい猫さんとの生活は、充実している毎日だ。
かわいいとも思うし、愛おしいとも思う。けれど、それは今はいないサラダさんも同じで、ずっとかわいいと思うし、愛おしい気持ちもなくならない。
人の死は何度も経験している。
祖父母も、両親も見送った。
けれど、人の死とは違い、ペットの死は何度見送っても慣れない。
しかも、今回は一番長く一緒にいたし、なにより思い入れが深い。
人の死生観は、それぞれだが私はかの有名なお医者様の「高須医院長」こと、高須克弥さんが、漫画家の西原理恵子さんが、旦那さんを亡くした時に掛けた言葉が、胸に残っている。
高須医院長は、悲しむ西原さんの息子さんを指さし、
「人はね、遺伝子の乗り物、船なんです。ほら、あの新しい船に乗り込んだ誇らしげな旦那さんをごらんなさい。もう古い船のことは考えなくていいんですよ。」
とおっしゃったそうです。
私は、この言葉が心にストンっと落ちた。
両親が亡くなったとき、私は両親の遺伝子を運ぶ船なのだと思った。
そして、私の甥や姪にあたる人物もまた、私の船なのだと。
人はいつか死ぬし、それは遅いか早いかだけで、平等に訪れるものである。と私は考えている。
サラダさんの死は、平等に割り振られたものだったんだ。と思う一方で、寂しい。という気持ちはなくならない。
けれど、それでいいと思う。
それは、古くなった船を悲しむ気持ちでもあるのだから。
そして、私の船が古くなった時、私の遺伝子は新しい船へ乗り込むのだ。
その時に、一目でいいのでサラダさんに会えるかも。という楽しみがあるのは内緒な話。
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