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『勝手にふるえてろ』から、自分の文章のことを考えていた。
綿谷りささんの『勝手にふるえてろ』をオーディブルで聴いていた。
ぐんぐんお話しの世界観に惹き込まれた。
『勝手にふるえてろ』は、最初学校のシーンが多くて、思わず自分の学生時代のことを思い出した。
自分は手紙交換とか、交換日記とかが大好きな学生だったなあって振り返っていた。
自分は人気者でもなかった。
だから、手紙交換も交換日記もしてくれる人が一部だったけれども、楽しくてしかたなかった。
あの頃から、書くことが好きで、書くことで誰かに何かを伝えること、表現することが好きだったんだと思う。
また、当時の私の夢は、小説家になることで、家に帰ったら家族と共有しているリビングに置いてあるWindowsのWordで、カチカチと小説を書いていた。
とある日。
その小説を、あるタイミングで、友達などに読まれたことがあった。
「気持ち悪い」
と笑いながら言われた。
もう一人の友達は
「文章書けるなんて、すごい」
と言ってくれて...混乱した。
同じことでも、違う見方があるのかあ、となんだかその事実が少しショックだった。
手紙交換もだんだん不気味がられるようになった。
というのも、当時好きだった男性芸能人に対する想いとか、いかに助けられているかについて、ポエムに近いなんとも今考えると恥ずかしい妄想的な内容を書くようになったからだ。
だんだん、自分の手紙交換に付き合ってくれる人がいなくなってしまい、最終的に私の手紙交換の相手は、一人だけになった。
その一人とも、なんとなく、手紙交換が途絶えた。
私にとって、書くことってなんだか人生にとって大きな重石みたいなもの。
だからこそ、好きで大事にしたいのに、時々その文章というものが自分の人生に大きく食い込んで、それで人生を悲しいものに誘導させる時がある。
学生時代の手紙交換だってそう。
交換日記もそう。
最終的に、みんなに気持ち悪がられるという現実世界にすごく悪影響が出た。
恐らくだけれど、理由は一つ。
私がたびたび、妄想的な文章を書くからだ。
ChatGPTで、自分の文章について、興味本位で採点してもらったことがある。
採点結果は「暴走的で妄想的なところが欠点」ということだった。
思ってもいなかった回答に戸惑い、泣いた。
でも、事実なので、重く受け止めようと思った。
いいふうに考えたら、いい意味でも悪い意味でも、人の心に爪痕を残せる文章が書けているのかな、と思う。
ただ、これからはいい文章が書きたいな。
今までのように自分にも人にも悪い意味の作用を起こす文章ではなく、自分の人生も傷つけないような綺麗な文章が書きたい。
ちなみに、綿谷りささんのこの『勝手にふるえてろ』は、文章がめっちゃすごいなって思った。
プロの作家さんなのだから、すごいのは当たり前なのかもしれないけれど、こういう文章をプロの文章というんだろうな、って思った。
私は綿谷さんのような才能はあるわけではないけれども、そういう文章に近づけるように、少しでも頑張りたい。
興味のある人いるかな?って思ったけれども、今回の記事は、『勝手にふるえてろ』を読んで、学生時代を思い出した話でした。
『勝手にふるえてろ』、続きも、じっくり聴いていこうと思う。
みなさんも良かったら読んでみてください。
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