模索する行為に於いて
※ ameba blogに掲載したものと同じ内容のものを出しています。
誰もが経験する迷い苦しみは、ある意味では"いとおしい"ものなのかも知れません。
終わり良ければ総て良しで、肉体の生を終えてから、主の邦に帰り全てが良かったと思います。
だからこそ、こうしていることも、あながち悪くもないのでしょうから、
悩みや不安そして不満や不足というものが、一種の詩化されるのも間違いではない。
虚空を漂っていた魂が自己形成に向かう刻に、複数の方向性が混ざり合い、
軽い矛盾や気持ちの齟齬を引き起こしますね。
誰もがそう感じているのでしょう、そうやって引き続いて行く過程は成長の兆しを見せ、
現在(いま)は何者にもなれていない不全感をやがては覆します。
そうは言っても、そんな理想的な展開は死後にしかなくて、生存中はひたすらに、
空虚な日々の退屈と倦怠感の鬱滞しかないのであります。
天国で永遠に幸福に暮らす…そんな日々は遥かに遠くて待ち切れないと思います。
繰り返す毎日はひたすらに疲労と退屈ばかりであります。
自分が至らないとか、才能がないとか、軽薄で軽率だとか、そういったものは全て夢です。
けれど、現在(いま)の私達にとっては、たとえそれが虚像でも現実と見えるのです。
覚えただけの知識や記憶が余計に、その軽々しい自分の精神に拍車を掛けるのです。
そうやって知らない分からない出来ない、失敗や間違いやミスだらけの日々があります。
…遠い未来で何時か幸福(しあわせ)になれるけれど、遠すぎる…
ある人々の一群はそれをほどいて、先に進んでしまいましたが、
こうしているしか出来ない私達はどこまで行っても、愚鈍なままなのですよ。
だから、現在(いま)だけでも、ほんの少しの安堵と安心の安定に縋らせていて下さい。