※ カクヨムに投稿したものと〃ものです。 16.異世界の訪問 そこは、極めて緩やかに流れる時間の支配する豊穣の森だった。 誰もが他者より優れており上である事を誇る現実とは違っている。 睦み合う嘗ての敵達、愛し合う昔の仇敵、そして何よりも、 自分自身を思う事の初めて出来る世界がそこにはあった。 全ての疑問と問題の答えは明瞭に出現し、苦痛と恐怖は跡形もなく、 そして現れる至福と歓喜がそこにはあった。 だから、初めて女性に戻ったわたしは、もう何も要らないのね。 そんな戯言に聞
描くことが出来るのなら、きっとそれは遠い未来の話でしょう。 前々から思っていたのは、誰かや自分が間違っている訳ではないのだと。 知らないことを放って置けない癖が、疑心暗鬼を生ずで悪い幻を見せているだけだと。 そう思うのはつらつらと書き始めたからで、結局は未知の途に魅せられていたんだ。 可愛くないと言われるのは、実際に少女や女性にはなれないから。 人間になる筈もない私はどこまでも、霊として世界を幇助する立場でしか在り得ない。 仕事という事務に従事する日々こそが幸福と言うのは
覚えなくして虚ろ顔 のべつ幕無しにて候 触らない看護婦の篝火を 逆らう自然の豊かな服飾 情在れば状有りしかな 其は逆に向かう命の抱擁 仮面の下に何もないのなら 描いて見せよう虚構の顔よ 障らない傀儡の踊り子盛んに 蜘蛛の雲にて虹色の光哉 釈迦や基督にて逢いたい君なら 此だけの私信にて済みし 伽羅が鬼火を沸かす時には 未だ成り切らぬ亜神の記憶 轟く決定線は暗号の意味よ 気違い沙汰でも幼くはない 少女と呼ばれし貴方に問う 今見ている景色が偽物ならば 本当の物とは一体何なのか
興味がなくなる事は素敵なことですね。 何故なら、そこでやっと元の所に戻るのですから。 そうして、長い旅は終わりを告げて、やっと帰郷です。 得られた外聞は何ですか? たくさんの知識、知恵、体験、記憶、感情‥ 何にせよ、これで全てはお終いですね。 再開するのには早くて、現在(いま)は只、 ゆっくりと体を休めて、魂を癒していて下さい。 私の中から悪夢が消えます様に‥ 邪魔されていた訳じゃなくて、罰を受けていたのでなくて、 単なる出鱈目なまやかしを見ていただけでした。 疑問と問
あわよくば 総ての終わり 果たしせん 夢ならば 醒めて見せよう これさえも 亡くなるは 覚えた姿 こころの音 逆らうは 汚濁と穢れ その一字 先に言え 其方の真摯 その思い 悪夢なら 清めて見せよ 君の手で 換わるなら 処女に至れ 文字通り 君だけが 君で在りけり 嘘でない 誰も彼も まやかしならば 全て終え 汎てを消えた 沈黙の 洗い浚いの誠也 あかり 処女に記す
世は常に素朴なひとの味方となり、傲慢な者を亡ぼします。 だから、不幸になるんだよね、結局は自分がわるいのですから。 きみたちの中から、「わるいこころ」がなくなったら、掬われるのさ。 それだけが分からない貴方たちは、延々と苦痛を反復し続けるね。 怖がらないでいいの、唯、自分のわるいこころを浄めるだけで良いから。 分からない?あたしは貴方のために、なんでもするのよ? そうやってさ、ずっとずぅっと、悪夢の中でくぐもっていてよ。 虚が真実の姿と分かるまで、神さまという至高のお方の
障る触りは不可視の罪悪 之尚以て往生を遂ぐ 遮光の間に視える君 其れ不可知なる感情也 火花の舞い散る水の死よ 君此れを以て極光とせん 藍呼ばるる讃嘆歌 けれど居なくなる刻来たり 既に遅し 何も彼も亡び逝く定めと経文に有り 傀儡の愚昧は迷いの情也 如何程否しようとも 其は実の言にて候 結果は爆ぜる臓の虚と成りて 万代不易と湖の魚は何処に征く 正に往生せんを夢見たり あわよくば総てに永久の夢を与えん 然れど夢は名の通りにまやかしけり ・・少女と呼ばれる訳とは 君の本性に
※ ameba blogに掲載したものと〃ものです。 さわらない、かえない、きこえないなら すこしだけまっていてあげる、だから はきだして、そうじして、はききよめて、みずあらいして そうして、そうやって、きれいにしてくれませんか そうしたら、おのずとさわれて、かえられて、きこえて、みえるように なりますから、そうするまでまっていてあげるね かわらないで、なおさないで、そういったけど、それでいいけれど かわっていく、なおっていく、それはしあわせでここちよいのです だから、
※ カクヨムに投稿したものと〃内容のものです。 11.泡立て器の航海 シフォンケーキと世に出るまでの過程が楽しみなんだ。 怖い位に当たる宝籤の高額予想は結果論ではないから。 落ち着いて考えれば幸福の手に入れ方は分かるよね。 誰も悩んでも苦しんでもないと知れば世界平和です。 コントロールしたい欲求は自己不全が原因です。 褒められたいのは自分を楽しんでませんね? 見止められたいのはやるべきことをしてないね? 比べることばかりして上を見て凹むのは意味なくない? 社会的な役割
※ ameba blogに掲載したものと〃ものです。 好きも嫌いも〃ことであります。 だから、誰も嫌いにならないとは、好きにもならないということですね。 わたしは沢山の人々に囲まれて暮らしています。 そこには、異存も不満もありませんよ、けれどね・・ 皆の思いとは裏腹に、わたしの居場所は人の輪ではないのです。 人間関係や情の酌み交わし、人々との交わりがわたしの本性ではない。 だって、誰だって最期には死ぬでしょ? 勿論、霊魂は不滅であり天国はありますよ? みんな、神さまの邦
※ ameba blogに掲載したものと同じ内容のものを出しています。 誰もが経験する迷い苦しみは、ある意味では"いとおしい"ものなのかも知れません。 終わり良ければ総て良しで、肉体の生を終えてから、主の邦に帰り全てが良かったと思います。 だからこそ、こうしていることも、あながち悪くもないのでしょうから、 悩みや不安そして不満や不足というものが、一種の詩化されるのも間違いではない。 虚空を漂っていた魂が自己形成に向かう刻に、複数の方向性が混ざり合い、 軽い矛盾や気持ちの齟
※ameba blogに掲載したものの転載です。 アクセスが殆どないのを良いことに、却って日記代わりに書こうと思います。 毎日、平和に穏やかに退屈に暮らしていて、何気ない幸せもあるけれど、 生きている実感というものを、不遜にも求めてしまう。 天国に帰ればめくるめく生活が、或いは楽しみや喜びが待っていると言う。 ならば、それを求めてはどうしていけないのか、いいえ、いけないのではないのです。 単に時期でないだけなのです、死後にそれがあるのだから、現在(いま)はこうしていろと
一縷の思いは金剛石の中身を示している。 結果論に落ち着いて分かった心算になるから疵を招く。 思い入れがあることを言わないから誤解を受ける。 式神や術式が生命そのものならば揶揄されることもない。 結果、悪罵を受けるのは客観的に見て悪意を潜めているから。 自身が悪魔だから悪業が返って来るに過ぎないと知りなさい。 落ちぶれた自らを見止めなければ、永延に処罰は終わらない。 学問的に思うのは彼女のみであって、君達が真似しても否と。 子供の様な純粋無垢であれば打たれないだろう。 自ら
どこまでも苦しい迷いの夢を見るのは、只の遊びに過ぎないのです。 そんなことが分かるだけで良いんですよ、何も難しいことなどない。 千の疑問も万の苦痛も覚めてしまえば、一瞬のまやかしであります。 怖がることもなくて、只、知らない振りをしていただけだったと。 あなたが何を望んでいるのかを知っていますか? それは、只、夢から覚めることだけなんですよ。 結構です、嫌って呉れて良いのですよ、けれどあなたは善人を憎みますか? 自分の勘違いを正当化して戯れても無駄なのですから。 性懲りも
極めて遠慮がちに進む理解は、到達までまだ未だ長い。 苦労性から被害妄想に走っても、誰も戒めていない。 あなたが見止められないのは、自分でそう思っているだけ。 心配性は自分の思い込みだと気付きませんか? 心許ないのは当然です、あなた自身がいなくなっているのだから。 極光に縋る前に自分の魂そして存在に貫かれて下さいね。 誰かが悪く言っているのではなくて、自分で自らを嫌っているだけ。 代わる代わる換わる相手は移り気なのでも浮気でもなく、誠実さです。 覚え立ての知識で他人と渡り合
もう少し、ちゃんとした流れの文章にまとめたいのですが、 いまいちうまくまとめられないので、認識のメモを箇条書きにします。 ・ 地上の現実は、霊界の私達が作り出した遊びの架空の世界である。 そこでは人間は善人・正常な人役と、 悪人・不正常な人役に分かれて芝居をしている。 便宜上、前者を「私達」、後者を大衆(俗人・凡人・世人・悪人)と呼ぶ。 ・ 「私達」は生まれつき、心の真実と悟りの状態にある。 しかしそれだと、地上での遊びは最初から完了してしまうので、 「私達」には、大