つれづれなるままに


いいことなのか悪いことなのか、私は基本的に下を見ることがないなと最近気がついた。ポジティブという意味ではない。貪欲なのだ。いつまでも、現状に満足できない。
ただこれは他者と比べてどうこうというのではなく、「自分が納得できるレベルかどうか」によって満足度が決められる。
例えば、私は全く手芸ができないが、できなかったところで困る機会は多くないし、得意な人に投げればいいと思っているため現状に不満はない。一方で、肌はどれだけ綺麗になっても、一生何かしらの肌の欠点に悩み続けるだろう。
悩むかどうかはモノによる、というわけだ。



一生満足できない、というのはそのまま取ればネガティブだが、いい換えれば向上心があるといえるのかもしれない。


そこで終わればいいものを、

鬼滅の刃で善逸が兄弟子を以下のように評する、

心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてるんだ
どんどん幸せが零れていく

その穴に早く気づいて塞がなきゃ
満たされることはない

このような場面がある。


一行目でどきっとした。私はもしかして、上ばっかり見て満足できない、幸せを入れる箱に穴が空いているままなのではないかと。何をやってもやってもらっても思うことや不満が出てきてしまう。いけないとは分かっているのに、この思考の止め方が分からないのだ。


ただ、だから考え方を180°ぐるりと変えたい!とかそういうわけではない。が、幸せにはなりたい。
あれ?なぜこのnoteを書いたんだろう。
タイトルをご覧ください。


このようなことを書いていると、セミナーやってます系の人からいいねされたりするんだろうか。私はかなり、読書を勉強だという類の自己啓発系の人たちに嫌悪感を示す人間なので、やめてほしい(自意識過剰である)。



読書は娯楽だ。実用書を読むことは読書とはいわない(※個人の見解です)。ただの勉強という。


このことは、コロナ禍で何してた?の質問に「○○冊を目標に読書に励みました」みたいな回答をする就活生全員に教えてやりたい。
そんな就活生いるのだろうか。





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