うつ×ADHD×東大受験 5 息子のマイペース受験記 インフルエンザが希望の光をもたらした
高3の夏休みにうつ・ADHDと診断された息子。勉強と向き合えない日々が続いたが、薬の効果で少しずつ回復し、本格的な受験シーズンに近づいていた。
インフルエンザ来襲
12月、鉄緑会や学校でそろそろセンター試験対策をはじめるようにいわれている時期になり、つらいながらもやる気を出して勉強の時間が増えだした。
そして最後の学年末試験が終わった日、周りで誰一人かかった人がいないのにインフルエンザになった。
なんで?どうして?
インフルエンザに罹りにくいと聞けば毎朝紅茶を入れ、夜はノンカフェインのエキナセアやエルダーフラワーのハーブティー。
毎日ヨーグルトも作って、きのこなどでビタミンDも積極的に摂取させた。
風邪を引きにくくするブレンドのアロマオイルも使って、思いつくものはなんでもしていたのに、なんで?
ゾクゾクし始めた時点で感冒に効くという漢方の麻黄湯を飲ませたら二日経たないうちに解熱した。
症状は熱が出る前から薬を服用したせいか今までの中で最も軽く済んだ。
だが、解熱して正気に戻った時に息子の放った言葉にこちらが正気を失いそうになった。
「家庭科の宿題を出していないから出さなきゃ。確か1学期の成績がよくなかったから出さないと単位落とすかも」
出たかADHD!
必死でプリントを探し出し枕元に持っていくと病み上がりの回らない頭で力なくプリントを埋めていった。
その間に私は担任の先生に電話。
「家庭科の先生が今日は来られない日なので確認できないのですが、念のため出しておいたほうがよさそうですね。明日成績会議なので明日の午前中に来られますか?それと息子さん調査書の申し込み用紙をまだ出していないのでお母さんが代理で出していただけますか?」
いわれるままに翌日学校へ行くと、先生が一言
「成績調べたら家庭科単位落とすほど悪くないです。大丈夫ですよ。それよりわたしの教科の方が悪いくらいで(笑)でもせっかくやったので一応宿題出しておきますね」
ほっとしたの一言。先生の大丈夫という言葉を聞いたら、不覚にも目が潤んでしまった。そして無事調査書の申し込みも済ませた。そこでプチ面談。
「この前息子さんが、2浪まではがんばりますって言ってましたよ。やる気があっていいじゃないですか!もう他の子たちは浪人なんて絶対やだっていってますよ」
それは勉強をやり切っていないからそういえるのでは・・・と心の中で突っ込みを入れた。
勉強とソワソワと
一方息子はベッドの中で倫政、古文・漢文のセンター対策をしていた。これからセンター対策全開と思っていたところでつまずいたので相当焦っているようだった。
起きられるようになって勉強してはソワソワしてを繰り返した。
わたしは大掃除で書類を整理していて、息子が中学生の頃、学校の説明会に行ったときにいただいたシールを見つけ、懐かしいと同時に、もう使わないよね、と処分したい気持ちもあって息子に声をかけた。
「わー、なつかしいなー。これ貼ってもいい?どうしても貼りたい」
我が家は保育園の頃からシールを家に貼ることは禁止してきた。はがすときに汚れるのが嫌だったので、シールはシールブックに貼ると決めていた。
でもこのシールは
「ただ今勉強中」
とか
「きちんと手を洗ってね」
とか、明らかにいろいろな部屋のドアに貼ることを想定したものだった。
わたしもつまらないことで息子がやりたいというものを禁止するのは嫌だったので、受験が終わったらはがそうねと許した。するとうれしそうに、もう家中にすべてのシールを貼りまくり、なんだか保育園生のいる家のようになってしまった。
今まで抑圧してきたものを解放しているのだろうか?
いい気分転換にもなったようだった。
問題は夫の反応がどうかだった。家の家具やドアに貼ったりして汚くなるのを一番嫌がっていたのは夫だったからだ。
帰ってくるとすぐにわたしは
「シールどうしても貼りたいんだって」
と伝えた。夫はこの事態に一瞬ひるんだ感じだったが、やはり私と同じ思いがあったようで、
「受験終わるまでだぞ」
と認めていた。
これでひと悶着起こったらどうしようと不安だったわたしは心底ほっとした。
年末はセンター試験対策に集中の日々を送った。
そして年を越すと再び不運が襲った。
インフルエンザ再来
1月1日の夜、次男がゾクゾクしだす。このときは息子は罹ったばかりだから大丈夫だろうと思っていたら違う型だったらしく、人生で初めて同じシーズンで2回目のインフルエンザになった。
後にわかることだがこのシーズンといえば、Covid19の影響でインフルエンザの罹患数は例年に比べ極わずか。そんな中、立て続けに2回も罹るのだからストレスの影響力はすさまじい。
センターまで2週間ほどというタイミングで、前回のインフルエンザの遅れもあるのに再び高熱で頭が働かない。これにはさすがに心がポッキリと折れた。
泣いていた。
それでもどうすることもできない。もうこれは本当に現役で東大に入るのは無理だと観念するしかなかった。
でも息子は東大への挑戦をこれであきらめたくなかった。
「お願いだから浪人させて欲しい」
息子の心配は入れた大学にとりあえず入学したらといわれることだった。
うつで浪人するのは厳しいのではないかというのが親の心配。だったら仮面浪人という手もあるよと話してあったのだ。
でも本人には浪人と大学生の掛け持ちなんて無理でどちらもつぶれてしまうと不安に押しつぶされそうだった。
もし浪人させてもらえないならもうセンターも受けないと思い詰めていた。
そして浪人してもいいという確証がないと勉強にとても進めないといってきた。
そこで夫を交えて話し合うことになった。
大爆発
それまで何度か夫と話しては衝突しており、本人は決して衝突したいわけではないといっていたので、センター試験に近い今回の話は無難に浪人のことだけだと思っていた。
しかし、よほど追い詰められてどうでもよくなっていたのか、口を開いたら保育園の頃から始まって、自分がいわれて嫌だったことのオンパレード。
やりたいことをさせてくれなかったことへの疑問。
その都度その時のことを覚えているかと確認していた。
残念ながら夫自身にも相当ストレスがかかっていた時期があったし、夫は良かれと思ってやったり規制したりが多かったので、ほとんど覚えていなかった。
だがここは本当に大切なところだと思ったのだろう。エピソードを例示されるたびに話をだまって聞いて
「ごめんなさい」
と謝っていた。
決して悪気があってやったわけではなかったが、結果的に息子につらい思いをさせてしまってごめんなさいと、何度も何度も謝っていた。
息子はかなりヒートアップしていて、
「お前のやったことわかってるのかー!」
と泣き叫んでいた。
ここで折れたら心が死ぬとの思いで、あえて乱暴な言葉を使って戦ったのだと思う。
いつも自分の主張を通す夫が聞くことに専念していたので、だんだん落ち着いてきて、最後は
「お願いだから受かったところに行くのではなく浪人させて欲しい」
と伝え、夫の1浪までという要望を飲んだ上で浪人を承認してもらった。
緊迫して辛い1時間だった。
このことをきっかけに夫の態度しだいでは崖からはるかに深い谷底へ落ちてもおかしくなかったと思う。
でもこのいいたいことをいって受け止められたことがきっかけとなり、薬よりなにより回復への大きな1歩となったことは間違いない。
その晩眠る前に息子が話してきた。
「お母さん、あんな風に激しくいっちゃってごめんね。でもいいたかったことをいえてすっきりしたよ。本当はお父さんがやったこと覚えていてくれてそれをわかった上で謝って欲しかったけど、覚えていないんだったらしょうがないもんね。でも謝ってくれてよかった。夜遅くなっちゃってごめんね。でも浪人してもいいことになったから安心して受験できるよ。」
わたしは眠りにつく前に昔を思い出していた。
夫は会社のストレスで見る見るげっそりし、わたしは夫がうつを発症するのではないかとビクビクしていた。
子どもたちに理不尽に怒ることも多々あった。
その度に
「お父さん、会社でつらいことがあってもがんばっているからどうしても怒りっぽくなっちゃうけど、本当はあなたたちのこと大好きで大切なんだよ。だから今は我慢してあげよう」
と声掛けして、父=敵とならないように願った。
そうやってさせた我慢が息子をここまで追い詰めたのだろうか。
あの時どうしていればよかったのだろうか。
翌朝、息子はうそのようにすっきりした明るい顔をして起きてきた。
「お母さん、昨日は話せて本当によかった。僕昨日の夜、本当に久しぶりに、希望?みたいな感覚を感じたんだよ。もしかしたら小学校2年生ぶりかもしれない。」
想像よりもだいぶ前から希望を失っていたという事実に愕然としたが、それでももう一度希望を感じたというのは本当にうれしかった。
そこから急速に息子と夫との関係が改善した。
ひどいときには話したくない、顔も見たくない、といっていたが、息子の方からたわいのない話をもちかけることも多くなった。
ふと見ると息子が話しながら笑っている。
こんな笑顔見たの何年振りだろう。
いつも目がどんよりしてつまらなそうな顔、不安そうな顔、怒った顔ばかりだったが、ようやく、本当にようやく明るい笑顔も見せるようになったんだ。
それだけで涙がこぼれそうになった。
暮れにインフルエンザになってシール解禁になって以来、息子はトイレのドアの内側に化学の重要な反応式を書いて貼っていたが、新たに1枚が追加された。
それは学校の授業で作った漢文と読み下し文の対比。
『塞翁が馬』
絶望の淵に立たされたと思ったら、希望の光が見えてきて、まさに幸運、不運は簡単に判断しがたいということを実感したのだろう。
この文を読んで、次にまたつらいことが起こっても乗り越えられる、わたし自身そう思うことができた。