うつ×ADHD×東大受験 15 息子のマイペース受験記 緊急事態宣言
高3の夏休みにうつ・ADHDと診断された息子。センター試験直前に親子で向き合って話をしたことをきっかけに症状が改善したが、勉強は間に合わず鉄緑会の教材とZ会で宅浪することとなった。
緊急事態宣言
コロナの感染拡大を受けて3月2日から全国すべての小学校、中学校、高校などで臨時休校となっていたが、4月7日から7都府県に緊急事態宣言が出た。
外出自粛が要請され、夫はリモートワーク、次男はオンライン授業。
家族4人が朝から晩までひとつ屋根の下でずっと過ごすことになった。
生まれて約半世紀。日本では戦争もなく、わりと穏やかな人生を送っていたので、生きているうちに外出自粛が求められるなんて思いもしなかった。
もし息子が受験直前に立て続けにインフルエンザに罹っていなかったらどうなっていただろうか。
息子が大爆発して親子で話し合うこともなく、なんとなく薬でうつを抑えて受験して、今頃はこのまま投薬で次の受験に臨むか、カウンセリングを受けてもう少し根本的な治癒を目指してから受験するか、悩んでいたに違いない。
あの頃は夫が仕事から帰ると、夫と息子の双方が同じ空間にいることを避けて、居ないことを確かめてダイニングで食事をし、用が済んだらさっさと自室にこもるという重い空気の毎日だった。
そのまま外出自粛になっていたとしたらどんなにつらい日々だっただろう。
ありがとう、インフルエンザ!本当にありがとう!!息子が追い詰められていいたいことを思い切りぶつけられたからこそ、今の幸せがある。
まだ塞翁が馬の漢文がトイレのドアに貼ったままになっていたので、入ってその紙を見るたびに、何がどう転ぶかわからないと実感した。
とにかく、夫と息子の関係はかなり改善していたので、食事は4人でテーブルを囲んだし、夜はなごやかに話もした。
とはいえ外出せずメリハリのない毎日。夫が提案した。
「よし、昼間それぞれがんばって、夜は1日1本映画でもYouTubeでも好きなものをみんなで観よう!」
こうして毎晩録り溜めたものやレンタルした映画の鑑賞会で
「これはないなー」
などと感想をいい合ったりして楽しんだ。
映画のためにがんばろうよ、といい感じでエンジンがかかった。
わたしはついこの前まで、受験が終わったら家族バラバラになるのだろうと覚悟していたので、毎日幸せをかみしめていた。
ただ、運動不足は否めない。
そこで子どもたちは百均で買ったゴムボールでリフティング競争を始めた。
息子はあまりやったことがなかったので最初なかなか続かなかったが、根気よく続けるうちにスポーツの得意な次男といい勝負になった。
どう見ても遊んでるようにしか見えず、そればかりやらないで~と思ったが、もしかするとリフティングに集中することでマインドフルネスの効果があったかもしれない。
わりと順調にきていた宅浪生活だが、緊急事態宣言のあおりを受けたものが公開模試だった。