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うつ×ADHD×東大受験 1 息子のマイペース受験記 発覚
はじまり
蝉の大合唱が始まると、あの夏を思い出す。息子高3の夏だ。
息子は春から本格的に始めた物理と化学のつまずきで受験勉強が見事に失速し、勉強に身が入らないまま夏を迎えた。
夏休みに入ると、朝はまったく起きる気配がなく、お昼過ぎにようやく起きてくる。そして今度はリビングのソファに寝転がって、蝉の大合唱をバックにトロンとした目でスマホをいじって時間をつぶす。
蝉の鳴き声が余計わたしの焦りを際立たせた。
声を掛けるとだるくて体が動かないという。そんなどうしようもなく、まったりとした時間軸の中でも、わたしの頭の中では「そろそろやるか!」とやる気スイッチを入れ、猛烈な勢いで受験勉強に取りかかり、なんとか合格を勝ち取る…そんな息子の姿を想像して、今か今かと待っていた。
このときはまだ、息子が向き合うべきは100%受験だと思っていた。
まさか並行して他の闘いをすることになるとは思いもしなかった。
やがて蝉の声は無力感のBGMになった。
息子が通っていた学校は毎年10人くらいが東大に合格する中高一貫の男子校だ。毎年有名大学に合格した先輩と保護者を招いて、受験の体験談や、保護者としてのかかわり方などを講演してくれるセミナーが開催されていた。
受験はわたしがして以来のこと。最近の状況がさっぱりわからないので、息子が中学の頃からこのセミナーに参加していた。そこで毎年判を押したようにいわれていたのが、子どもの勉強に口を出さないこと。
遊んでいるのをだまって見ているのはつらいけれど、そこでとやかくいってもいい結果にはならないと、合格を勝ち取った先輩もその保護者も先生も同意見だった。
だからわたしもなるべくだまって見ていた。
それにしてもダラダラ過ごして、勉強時間ゼロ。3日に1度くらいは夕方2~3時間勉強するという毎日の繰り返しだった。
かたや次男は勉強を後回しにするタイプだったが、2週間の合宿から帰ってくるとその穴は大きく、夏休みの中学校の課題をコツコツせざるを得ず、勉強量が受験生とあっという間に逆転してしまった。勉強より運動が得意な次男の豹変ぶりは喜ばしいことだが、それだけに受験生の停滞ぶりが目立ってしまう。
この状況はどうなのだろうか。このままやらないことに目をつぶっていてもいいのだろうか。わたしの頭の中に息子の先生が登場する。
「お母さん、いくら勉強やれやれ言わないようにといっても限度がありますよね。ずっと放置していたのですか?」
なんてあとでいわれて後悔するのではないだろうか。
さまざまな思いが交錯し、恐る恐る
「高3の夏は天王山といわれているけれど、そろそろエンジンかけた方がいいんじゃない?」
と声をかけてみた。
案の定怒って
「そんなこといっても勉強しないから!いうだけ無駄だよ」
と、息子はその日を本当に一切勉強しないデーにしてしまった。
何を言っても空回りし、息子のグータラ生活は変わらない。
そんな時、従姉からのメールで道が思いもよらぬ方向へ開きだした。
その従姉の娘は前の年に浪人して私大の医学部に合格していた。
そのメールには「老婆心ながら…」と受験で従姉が協力したことが書いてあった。
受験校の資料取り寄せ、受験科目、受験日程の調査、そして和田秀樹さんの受験本がたくさん出ているのでそれを読んでためになりそうなことを抜き出したこと、それから坪田信貴さんの『人間は9タイプ』がためになったことなど。
受験についての調査は、勉強せずに暇を持て余している息子の代わりにする気もわかないので、図書館から『人間は9タイプ』と、これはと思う和田秀樹さんの本をどっさりと借りてきて、片端から読み進めた。
従姉イチオシの9タイプの本は、質問に答えてどのタイプに当てはまるか判定し、タイプ別に声のかけ方などが書かれており、ふたりの息子に同じ声掛けをしてもまったく違う反応を示す謎が解けた。
次男はほめて伸びるタイプで、ほめればほめるだけパフォーマンスが上がることが多かったが、同じように長男に声をかけると
「馬鹿にされている感じがするから、こんなことでほめないでくれる?」
とバッサリいわれることが多かったのだ。
9タイプを読み終えて、膨大な和田秀樹さんの本に取りかかっているとき、積み上げられた本を「ふーん」と見ていた息子が、
「あ、これちょっと読んでもいい?」
と1冊の本に手を伸ばした。
それが『ウツっぽい子をやる気にする9つの方法』だ。
「あー、これこの前あなたが「僕もしかしたらうつっぽいのかも」と言ってたからちょっと借りてみたのだけど」
「うん、いいよ、わかってる」
今思えば、その本の表紙を開いた瞬間が、人生の新しい扉を開いたように感じられる。ここから事態が大きく動き出したのだ。
だまって集中して本を読み終えた息子がポツリといった。
「僕、診療内科に行ってみようかな」
慌ててわたしも読んでみると、もしうつっぽいと思ったらまず心療内科を受診することが勧められていた。薬で楽に過ごしやすくなることがある・・・この言葉に希望の光を見出したのだろう。
今までやる気なさそうにダラダラと過ごしていたのは、怠けていたのではなく、疲れて辛くて体が動かなかったのかもしれない、そう思うともっと早く連れていくべきだったと申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、とにかく、受診することにした。
行くと決めたら早くしたい。でも通塾しながら通うなら通いやすさも必要ということで、まずは病院探しから始めることにした。学校帰りでも家からでも通うのにそれほど不便ではない場所をネットで探した。
まず目に留まったのはドクターもスタッフも女性だけで通いやすさをアピールしていたメンタルクリニックで、西洋医学の薬と漢方薬とを併用した治療をしていることに魅かれた。ただ、女性だけ、というのが逆に患者さんも女性が多いと息子にとっては居心地が悪いかなと考えて、他を探すことに。
他に地の利のよいクリニックをいくつか見つけて電話していったが、8月も下旬にさしかかり、お盆休みの影響での予約が結構埋まっていて、夏休み明けでないと受けられないとのこと。3件目にしてようやく翌日に予約が取れた。
これで前に進める。
だがひと安心してから詳しくネットなどで調べると、評価が悪いことがわかった。
処方された薬のせいで人生台無しにされたという恨みのコメント、悪化だけでちっともよくならないので変えましたというコメント、本当にここを受診しなければよかったと心の底から思っているような悲痛な叫びのようで、読み進めるうちに怖くなって予約を取り消した。
そして息子と相談して、最初に好感を持った女性スタッフばかりのクリニックに聞いてみることにした。
息子は珍しく前向きで、自分で電話をかけた。
受付の方の感じがよいのか、息子の表情が少し緩んだ。
「あのー、女性スタッフばかりとあったのですが、男性が受診しても大丈夫ですか?」
と聞くと、少し笑いながら
「大丈夫ですよ。男性の患者さんもたくさんいらっしゃいます」
と好印象。幸いなことに予約も翌日取れ、お世話になるクリニックがやっと決まった。
ほっとした。
受診
当日は重い気持ちではなく、これで合う薬を処方されて少しでも楽に暮らせるようになればと、希望の光に出会えるのではないかという期待感を持ってクリニックを訪れた。
クリニックでは基本情報の記入の他に、アンケート用紙のようなものを3種類渡された。
全部に回答するのに20分ほどかかっただろうか。その後本人とカウンセラーの方とで症状の聞き取りなどがあり、またしばらくしてからドクターの診察があった。
私はずっと待合室で待っていたが、最後に呼ばれて診断を聞いた。
ドクターは落ち着いた温かさをもつ方で、わたしがお母さんと呼ぶにはずっとお若いけれど、そういうどっしりなんでも受け止めていただけるような安心感があった。
「お子さんは中程度のうつで、ADHDであることが濃厚、そしてアスペルガー症候群の可能性があります。」
正直、うつは覚悟していたが、ADHDとアスペルガーは全く想定していなかった。
「うつは薬でよくなってくると思いますが、ADHDとアスペルガー症候群は生まれつきのものなのであまり変わるものではないです。ただ、今までもこの状態でやってこられたのですから、とりあえずうつの薬で様子を見て、それから必要であればADHDの治療も考えましょうか」
わたしは息子がこんなにも生きづらさを抱えていたという衝撃と、将来に対する不安で頭がいっぱいになった。
でも息子の方は生きづらさをわかってもらえた安堵感と、これから助けてもらえるのではないかという希望でいっぱいになったそうだ。
その日は『患者さんとご家族のためのうつ病ABC』『うつ病患者さんに対する接し方』『大人の発達障害 すべては自分の特性を知ることから』という3冊の冊子と、毎日の起床就寝時間や何時に何をしたか、そしてそれぞれの時の心と身体のコンディションを記入するチェックシートをいただいて帰ってきた。
処方されたお薬は意欲低下を改善し気分を落ち着かせる抗うつ薬トレドミン、抗うつ薬が胃腸に負担をかけるため胃腸の働きを整えるお薬、不安感や不眠を抑え胃炎を改善する漢方薬五苓散、そして睡眠薬のベルソムラで、1週間様子を見ることになった。
抗うつ薬は効果が表れるのに1週間はかかるとのことだった。
その晩は息子以外の3人で家族会議をした。いただいた冊子をみんなで読んで、とにかく掛ける言葉に気をつけよう、そして無理に励ましたりしないようにやさしく見守ろうと話した。
翌日心細くてたまらなかったわたしは母に電話して診断結果と絶望感、そしてどうしたらいいのかわからないと伝えた。
「大丈夫よ。小さいころから見てきているけれど、しっかりしているし、うつがよくなったら問題なくやっていけるわよ」
その声は本当に温かく、母のありがたみを心から感じた瞬間で、声を聞きながら涙が止まらなかった。
母のいう通り。
今はダラダラしているけれど、部活で出場したコンテストの全国大会で入賞したこともある。誇りに思える部分もあるのだから、きっと大丈夫。
少し心を落ち着かせることができた。
その電話からほどなくして息子がやってきた。
「あのさー、うつのことは家族以外だれにも言わないで欲しいんだけど、いい?うつで受験するなんて、かわいそうだって思われたくないんだよ」
あー、やってしまった!それはそうだと思う。
でも息子の動揺が怖くてすでに母に話してしまったことを打ち明けることができない。
ごめんなさい。
そして慌てて母に口止めの電話をした。
薬を飲みはじめて最初は変化がなかったが、5~6日経った頃から効果が実感できるようになった。2回目の診察は初診から1週間後だった。
受診しようとクリニックに向かう途中、さっそくADHDあるあるの出来事があった。
自転車で半分くらい来たところで、お薬手帳と診察券を忘れたことに気づいたのだ。
出がけに
「チェックシートとか保険証とか持った?」
と聞いて確認したので、てっきり受診に必要なものは持ったものと思い込んでいたが、チェックシートと保険証以外を置いてきている。
予約の時間があるので息子を先に行かせて、わたしがひとり取りに帰った。
これまでも大切なものを忘れるということはよくあった。
その時は、なんでこう肝心なものを忘れるのかな、と苛立っていたが、今回は
「これがADHDってことなのか」
との思いが頭の中をグルグル回って、これからもずっとこういう特性を背負って生きていくのかと、息子のことが不憫でならなかった。
それでも追いつくと、息子は普通に
「お母さん、ありがとうね。ごめんね、置いてきちゃって」
と声を掛けてくる。
「よし!わたしがフォローして済むならなんだってやろう」
と、わたしも前を向いた。
クリニック2回目も受診の前に何枚もチェックシートを渡されて、眠れるか、気分が落ち込むか、などといった質問に答えていった。そして医師の診察の前にカウンセラーに呼ばれて少し話しに行った。
ひとり待合室に残ると、いろいろな患者さんが目に入ってくる。
みんなコミュニケーションを取って、笑顔を見せる人もいて、至って普通。
でもクリニックに通うくらいつらい思いをしているのだろう。
クリニックだからそう思えるけれど、案外社会でもそういうつらい思いを抱えている人ばかりなのかもしれない。
息子が戻ってくると、
「いろいろ不安に思っていることとか家族との関係を聞かれたよ」
と教えてくれた。なるほど、わたしがいたら言いたいことを話せないかもしれないからひとり呼ばれるのか。
いよいよドクターの診察。息子はまたひとりで診察室に入って行った。するとすぐに看護師さんが
「息子さんがお母さんにも一緒に聞いておいて欲しいというのでどうぞ」
と呼びにきてくれた。
診察ではうつの薬が効いてきていること、そして副作用の懸念される胃の調子もそれほど悪くないことを確認していただき、息子たっての希望でADHDもなんとかして落ち着いて勉強できるようにしたいと、ADHDの薬も処方していただいた。
これも効果が表れるまで1週間はかかるということだった。
チェックシートは恥ずかしいくらい起床時間が遅く、
「まずは生活リズムを整えましょう」
と言われた。
帰宅して夕食を食べ終えると、いつもなら薬のことを忘れてしまっているのに、期待が大きかったのか息子が進んで薬を飲んだ。
本当に効いているのかプラセボ効果なのかわからないが、わりとすぐに効果が表れて、
「勉強してくるわ」
と部屋に戻って行った。
その日は久しぶりの感覚。
今まで頭の中がざわざわとして勉強に集中できなかったのが、シーンと静かになって集中できるとうれしそうにいってきた。
ほっとすると同時に、もう少し早くクリニックに連れて行けばよかったという後悔。
でも、夏休みはつぶれたけれど、ひとつ前に進めたと思った。
2回受診したところで高3の夏休みが終わった。
学校が始まるとすぐに、息子は別のことを訴え始めた。
「僕多分HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)だと思う。電車に乗っていても周りの人に見られているんじゃないかと不安になるし、教室でみんなの前で話すのもひどくドキドキするし、先生のことが嫌なわけじゃないけど、声が頭に響きすぎてその空間にいるのがつらいんだよ。」
次の診察で相談してみようということになった。
次の診察は息子の希望もあって、ひとりでクリニックへ行かせることにした。高3にもなって親についてきてもらうのはどうかと思ったようだ。ひとりで行ったらいうべきことを忘れて帰ってくるかもしれないと思って、提出するように渡された現在の調子や要望を書く用紙に「HSP?」とメモさせた。
3回目の受診日、学校から帰ると余裕なく出発して、今度はお財布を忘れた。
携帯から聞こえる申し訳なさそうな声。
今まで息子が忘れ物をするたびに苛立っていたのが嘘のように、してやれることはなんでもしようという気持ちで診察券の入ったお財布を届けた。
クリニックの受付の方はここまで来たのにひとりで帰るのかと、少し驚いたような表情だった。でもそれが息子の希望なので、わたしはおとなしくそのまま帰宅した。
息子は帰ってくると開口一番
「やっぱり僕、社会不安障害だって」
といってきた。
確かに教室でみんなの前で発言するときに以上にドキドキするわけだ。
また質問票を渡され、その結果をもとに診断されたということだった。
「HSPの傾向があるかもしれませんね」
ともいわれたそうだ。
クリニックを受診するまで私はうつ病の判定などは質問票の他に血液検査などなんらかの客観的な数値データに基づくものとばかり思っていた。でも実際は血液などを調べるのではなく、あくまでも質問票を使った自己申告に基づく診断である。
なので、息子が生きづらさを感じれば感じるだけどんどん生きづらいとされる病名や特性名が積み重なっていくのではないか、この先どれだけの診断を受けることになるのだろうかと不安を覚えた。
科学的ではないのではないかとの思いもあったが、本人が生きづらさを感じている以上それがすべてなのだと自分を納得させるしかなかった。
その日は人前でドキドキしそうなときに飲んでとアナフラニールを処方されて、息子はまたひとつ安心を手にしたように見えた。