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ハンドメイド作家、イベントに出てみた
出てきた。ついに出てみた。
「デザインフェスタ」と「ヨコハマハンドメイドマルシェ」に。
作家歴およそ4年目、”念願の出展”である。
minneやCreemaといったマーケットプレイスでは、徐々に手にとって頂けるようになり、レビューを頂いては逐一盛り上がり、進んできたこの4年。
お客様とのやりとりが、WEB上で行えることは、とても簡単で、メリットが沢山ある反面、いよいよ、自分の作品を手に取ってくれるお客様が、どんなお洋服を着て、どんな風に「購入する」までのプロセスを踏んでいらっしゃるのか、直接見たくなってきた。
ちょうど、2020年、コロナ禍に突入する前あたりに、今は亡き、西荻窪のカントリーキルトマーケットにて素敵な生地を買った。
それはそれは「ビビビ・・・」なんてものじゃなくて、それ以上の、何か。
もうその生地をテーブルクロスにして、自分の作品を前に「いらっしゃいませ」を言う自分の姿しか浮かばなかったので、迷うことなくテーブルクロスサイズで購入した。
その日から、「いつかイベントに出る」それを一つの目標に、WEBでコツコツ販売を続け、大きなコロナ禍の波は切り抜けた。
マーケットプレイスで私の作品を見つけて下さる方はいた。
でも、委託販売はずっと迷走している感覚がある。
きっと誰もが「欲しい」「ちょっと買ってみようか」という気にはならない、そんな何かが私の作品には良くも悪くも宿ってしまっているのではないか?
私はそれも、自分の目で見て、感覚を掴みたかった。
そんな気持ちを抱えている時、デザインフェスタVol.55の出展応募が始まった。
今か。今じゃないのか。
でもやらないよりは、やった方が良いことは明白。
何か事を起こす時は、綿密に計画を練るタイプの私。
ブースの配置やら、備品のことやら、
はたまた出展料というのは、回収できるのか?
家族が居る身で、5月という多忙な時期をイベントに費やしている場合か?
そんな邪な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・。
しかし、もう私はサラリーマンではないのだ。
誰の指図も受けることはない。
企画書のレビューを受けるわけでもない。
自分ですべてを決められるのだ。
もしも、準備が間に合わず、どうにもならなくなったら、キャンセルしよう。
キャンセル出来なくても、賭けに負けたと思えば出展料のドブ行きも仕方ないであろう。
そんな風に、自分の心に一本筋を通し、出展申し込みを遂げたのであった。
一旦エンジンがかかれば、もう何も怖くなくなってきた私は、
イベント初出展なのに、デザフェスの翌々週にパシフィコ横浜で行われる「ヨコハマハンドメイドマルシェ」にも申し込み、1日のみだけだが出展を決めた。
それから、GWまでには家族の進級準備などを済ませ、GWはひたすら製作に邁進した。
私の今までの販売実績は、スマホケースを受注製作で製作し、お届けする、といったことが殆ど。
今やスマホの機種は多岐にわたり、対象を絞り、在庫を持つことは大変難しかったのだ。
それが、イベント出展に二の足を踏んでいた要因でもある。
でも、自信作なのだ。
「こんなの欲しかった、探していた」
というお客様が、きっとどこかに居て下さるはず。
悩んだ末に、もう思いつく限りのデザインを作り、
とにかく持っていこうと決めた。
製作は、何とか間に合い、さらに膨らんだイメージを新しい作品にすることもできた。
緊張の当日朝。
リポビタンを一気飲みする。
Twitterを見る。
いつも勝手にお世話になっている、minneの作家アドバイザー和田まおさんが、2日目に立ち寄って下さるという。
背筋が伸びる思い。
minneで学んだこと、自分はきちんと活かせているだろうか。
私はこの日、いくつ自分の糧になる経験ができるのだろう。
どんな人が、私のブースの前で立ち止まってくれるのだろう。
不思議と、在庫が捌けるのか、購入頂けるか、よりも、このふたつが自分の頭を占めていたように思う。
会場には予定通りに着き、準備を始める。
両隣さんは、どうやら出展には慣れている。
準備も早く、バックヤードの整頓具合もさすが。
私も準備を終え、開場を待つ。
時間の確認のために、携帯を見る。
作家を始めた頃から委託販売でお世話になっている、東京杉並区高円寺の「Too-ticki」の店主さんがメッセージを下さっていた。
私がイベントに出たがっていたことを知っていて。
とても温かなメッセージで、胸が熱くなった。
この瞬間、私は、この会期中、ピンと背筋を伸ばしてブースに立ち、
楽しみながら、他の作家さんやお客様たちの流れを、熱量を、きちんと持ち帰ることを自分自身に誓ったように思う。
宣伝は、SNSを通じて頑張った。
それなりに反応もあった。
でも、もちろん会場に行けば、この広大な建物の中。
お目当てのものがあり、立ち止まることもあれば、目移りしながらズンズンと歩き回ることがイベントのセオリーだ。
通りすがる人の波に、一瞬しょぼくれそうになった。
でも、すぐに自分の心に誓ったことを思い出して、とにかく周りを見る。
ブースと作品の派手さが功を奏したのか、立ち止まって下さるお客様、
お話してくださるお客様、ショップカードを持ち帰ってすぐにご注文を下さったお客様。
そして、嬉しいことにその場でお買い上げ下さったお客様。
ひとりひとりと交わしたお言葉と、表情を、忘れることはない。
しかし、背筋を伸ばしてブースに立ち続けることを決め、貫き通していた私だが、飲み物を飲んだり、荷物を整理するのに、ブース下に隠れる瞬間が何度かあった。
そういう時、なぜか人だかりができるような気がしてならなかった、というのも感想。
「見られている」「自由に触りたいな」
という、人の潜在的な意識が、そうさせるのかもしれない。
かくいう私も、買い物をする時、店員さんに見られていると、なかなかゆっくり見られないし、早く店を出たいとすら思う。
ああいった、イベントの場でも、往々にしてあることなのだろう。
しかし私は、自分の渾身の作品を前に、お客様の視線をつかみ取りたいのだ。
むしろ、その経験こそが「プライスレス」だと思って、出展しているのだ。
少し反応があれば、「買って欲しい」から話しかけるのではなく、その方へのひとつの選択肢として、作品を紹介したいだけなのだ。
この、店員 VS お客様 という構図は、どこのどの場面でも、本当に難しいことなのだと改めて実感した。
例えば、WEBの空間だったとしても、youtuberが最後に「良かったら、いいねボタン押してくださいね~」と軽く言っている。
だがそれも、「はいはい」と聞き流すのみの人が多い場合もあるだろう。
リアルでも、バーチャルでも、その駆け引きのようなものは、永遠の課題なのかもしれない。
お客様との距離感とコミュニケーションのバランス感覚は、いつか培われるだろうか。
いつも納品に行っている、委託先の雰囲気や空気感を思い出しながら、「お店の方々も、きっと今の感じをつかみ取るには試行錯誤があったのだろう」と思いにふけった瞬間もあった。
デザフェスで得た経験は、両隣のブースの作家さんの「立ち振る舞い」と、「イベントに対する姿勢」が非常に大きかったように思う。
決して私のブースのように、奇抜な感じではない。
でも、足を止めるお客様も、
そのブースをお目当てに来るお客様もとても多かった。
それに加え、一見さんであっても作品そのものに興味を持って立ち止まり、
技法を訊ねたり、どういったインスピレーションから作品が生まれたのかを訊ねていた。
その場面に沢山遭遇し、密かに感銘を受けていた。
通路側のブースの作家さんは、角立地の利点を生かし、L字型のブースを什器のレイアウトで作っていた。
人通りというものは、現地入りしなくてはなかなか分からないところなのだが、どう転んでも、作品が多方面から見えることはデメリットにはならない。
雑談をしたり、他イベントの話を聞いたり、教わることも多く、また何よりも、会話により緊張がほぐれたので、感謝しかない。
お互い、売れ行きについては、暗黙の了解のように話すことはない。
私は昔から、「浅く広く」の付き合いが大好きだ。
よく言えば「一期一会」。
連絡先なんぞ聞かなくても良い。
「また、どこかでお会いしたら声掛けてくださいね!
ありがとうございました!」
そんな言葉だけを残して、ビッグサイトの2日間を終えたのでした。
2週間後。
パシフィコ横浜にて行われた「ヨコハマハンドメイドマルシェ」にも予定通り出展。
数日前、ブースレイアウト表を見ていると、なんと角ブースであることに気付いた。
これは・・・
デザフェスの時、お隣ブースの作家さんから受けた影響を、存分に発揮できる機会だと思った。
しかし、今回角ブースだからといって、新しく什器を買うのは散財のし過ぎ。
家の中で必死に使える物を探す。
あった。プラスチック製の3段チェスト。
中に荷物や在庫も入れられる、優れモノを連れ、L字型ブースを組んでみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1655302261223-XEZOtNWedZ.jpg?width=1200)
こうすることで、自然にブース領域が広まった。
自分が立つ、バックヤード面積は狭くなるが、背筋を伸ばしてピンと立つ私には関係ないのだ。
デザフェスよりも作品の幅を増やし、ブローチやピアスなんかも置けるようになった。
聞くことろによると、この角ブースというのは「角オプション」なるものが存在する場合もあるとか。
なるほど。
工夫次第で領域を広げられるし、両方向の通路から作品をちらつかせることができる。
だから、角は利点がある立地なのだな、と体感。
ここでは、デザフェスの時とはまた違った雰囲気と、出会いがあった。
「ハンドメイド」が好きでなければ、わざわざ入場料を払ってまで来ないお客様が対象。
とても嬉しかった出会いは、男性の方が「私が使うのはちょっと・・・。という作品ですが、あなたの世界観がとても出ていて、素敵です」と仰っていただけたこと。
だって、自分もそんな思いに駆られること、よくあるから。
クリスチャン・ディオールのドレスを見て、「自分は買わないけど、まあ素敵」と思う。
でも、物凄い感銘を受けているのです。
こんなに細かくビーズを付けているなんて!
こんなに計算され尽くされているなんて!
私がディオールに受けた感銘とは比にならないと思いますが、
誰かの心に残った自分の作品たちが、なんだか誇らしげに見えました。
何か明確な、新しい目標や、作るべきものがはっきりとは、まだ分からない。
それでも、「こういうの、好きです」と言って下さる方が、きちんと居てくださることが、励みになった。
誰かのためにやっているのではなくて、自分のためにやっている。
脱サラしようと決意した、あの時の感覚を呼び起こす。
SEの端くれだった私は、今と同じ「ものづくり」でも、
目に見えないパソコンやサーバーという箱の中での出来事や事象に、全く関心が持てなかった。
プログラムを書いたり、作っても、自分の子供のように愛せなかったのだ。
それどころか、何をやっているのか、地に足がついたように理解できることが一つもなく、上辺だけの理解しかできなかった。
「自分の心と頭で、理解できる仕事をしたい」
他にも理由はあったが、逆らえない波のような、大きな大きな、自分の気持ちだった。
万人受けする作風に変えずとも、良い。
でも、手を止めるな。革新は常に。
ということだけは、今回の出展でよく理解できた。
前段で書いた「心と頭で理解できた」という感覚をひとつ味わうことができたのだ。
私にとって、すべてが「やってみた」の3日間。
この初めての「やってみた」を、どのように次の「やってみた」につなげられるか。
「やってみた」を継続させることを「やってみよう」と思った3日間でした。
やってみて、良かったです。
これに尽きる。