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ハナムケ

(※ どうせスマホ持ってないし、そもそもnoteとか知らないだろうし、貴方がこれをみるのはずいぶん先になるか、もしかしたら一生見ないかもしれません。それでも、お手紙の代わりこれについて書いていいですかと言って、まぁいいよ、と言ってくれた先輩に捧ぐ)

「現代社会に今生の別れなんてないの知ってるんですけど、それでも、わたしもう23になるんで、こんな子供じみたことは言えないんですけど、本当は、お腹の底のどこかでは、本当にいなくなるのかぁって思っちゃうところもあります」

なんて、なんてまわりくどい言葉しかいつも出てこないんだ自分は。喉の奥に鉄の林檎がごろごろと詰まっているような感じがして、一つ一つの文節は口の中で転がされてから吐き出されてくるので、これだけいうのにももうずいぶん時間がかかっていた。

先輩は血液とも呼んでいた茶色に変色した古本の山や、一体どこで買ってるのか訳の分からない柄の服を束ねる筋張った手を一瞬止めた。

「こっち見ないでください」

といったら、背中を向けたまま鼻で笑う。もう9年も前からの癖。彼の背中には中国語で餃子の作り方が書いてあった。

親の仕事で転勤族だった私は小さい頃はどこに行っても転校生で、その頃は携帯なんてなかったから、転校するたびに世界がコペルニクス的転回を遂げて空が全てカチッと入れ替わって、人も星も全て、新しく組み直したレゴの街みたいに入れ替わって、自分もみんなの人生からスルッと途中退出しちゃうようなそんなズルな存在だった。だからこうしていなくなられる側になるとは思ってもみなかった。

先輩はアンチ現代日本を語るだけあり、SNSもスマホも持たない。写真も撮らせない。ネット社会にいかに自分の足を残さないか考え尽くされた存在は私からみると不思議で、このデジタル必須の現代世界における意味では本当に「存在」してるのかしてないのかわからない、でも間違いなくそこにいる半透明な、人間というよりは魑魅魍魎の類である。

誤解を恐れるあまり明確にいうが、私はこの男に恋したことは一度もない。神様みたいに好きだったし、それを公言してもいたけど、ただそもそも学校もバイト先も先輩ではなかった先輩とわたしの間には、それこそこころの先生と私のようなおかしな繋がりだけがあった。そんな不思議な生き物が一人を追いかけて行ってしまうのだ。

そんなの、なんかアダムとイブみたいじゃないか。だからこう、先輩とその人を見ていると、もう世界は完成しちゃったんだなって思ってちょっと怖くなる。又は私やそのほかの人間はこの広い世界でまだまだ迷子で溺れてて、彼と彼の選んだ人間だけがノアの方舟に乗るような感じ。ムーンライズ・キングダムへの入場券はふたりだけにある。

寂しく見えるが、悪くないことだ。先輩が「あいつのとこ行ってずっといようと思う」と言った時、私はああこの二人は同じお墓にまで入るだろうとか勝手に思い、「こうして世界ができるんですねぇ」なんて返してしまった。貴方は知らないかもしれないけど、貴方は誰かの神だったんだよ。だから何処にだって行っていい。死んでるように見える目の奥にオーロラや炎みたいな煌めきが一瞬見えることも、見ている世界が澄んでいて、手の中に答えを握っていて、それでありながらそれを自分のものにするまで血反吐を吐くほどもがける事も、28にもなっても悟ったふりせず何も感じませんとか言わずに咲きたての薔薇とか自称しちゃう傷つきやすいメンタルなことも、人間臭すぎてどうしようもないその哲学も私は忘れないでしょう。

行かないでも、いってらっしゃいも、達者でな、もなんか違くて

「さらば」

と呟いてキンキンに冷えたうっすい玄関ドアを閉めた。来週にはここは空だろう。それでも貴方の生きた時間の一部分が、持つ水の一部が私のものと混ざったこと、それだけこころの裏のポッケの隅に縫い付けて、世界を探しに行かなくては。

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