怒りと期待と確信の関係
期待してない場面で人は怒らない。これはわりと正しいことだと思う。怒らない人は優しいのではなく他人に期待していないだけだという文章を読んで、そうだよね、と思った。つまり期待したものが与えられないから相手に怒りをぶつけられるのであって、そもそも期待していなかったら失望も怒りもないのだ。
私はあんまり人に怒らないよね、とか、嫌いな人いないでしょ、といわれるほうで、それはわりとこれに当てはまると思う。知らない人に冷たくされても気にしないし、知り合いに2時間遅刻された時も映画館で映画を観て待っていた。誕生日ディナーを予約して当日にすっぽかされた日は別の友達を呼んで全然誕生日でも何でもないその子にサプライズケーキを渡してケラケラ笑ってたことすらある。これから話す条件や相手にもよるが、そんなこんなで人よりは怒りに寛容に見える方らしい。人間関係で悩むこともあんまりない。人に興味がないとかニヒルぶるつもりはない、し、実は私の場合むしろ知り合いへの愛着は強いほうなのだ。でもただ本当に期待をしてないだけなのだ。冷たく聞こえるかもしれないが、じゃあ花が好きな人は花に何か期待しているだろうか。咲いている薔薇のとげに刺されて薔薇に怒るだろうか。
イエスがいちじくの木を枯らしたのは実があることを期待したからだ。可愛がった飼い犬に手を噛まれてムカつくならその理由は可愛さと可愛がった対価を期待して裏切られた気分になるからだ。だから花に美しさだけを期待している人なら、とげに腹も立つかもしれない。でも存在が包括的に好きなら、必ずしもそれは期待と同義ではない。ありのままの君が好きという陳腐な文句にはこのくらいの説明をつけなきゃいけないのが本当なのかもしれない。まぁだからちょっと優しくされるとすぐ人に懐いちゃうんだけどさ。
そうはいっても、期待していない相手からでもひどい扱いを受けたら怒るだろう、といわれる。
けどそれは期待と失望はまた別の、そのとき自分に確信があるかの話になると私は思う。
例えば私は昔のバイト先で、パワハラモラハラセクハラという3ハラを極めた店長に継続的に着替えを盗撮されストーキングまでされるというさんざんな目にあったことがある(冬の着替えなんてヒートテックとタイツという殺し屋みたいな格好しか撮れないだろうし、To loveるじゃないんだから上下同時に着替えることなんて女の子は現実じゃほぼないのに、何が楽しいんだ明智くん)。
さすがに怖かったし訴えたし店長は家宅捜索され会社もクビになり離婚し前科もつきその先は知らん感じになったけど、当時盗撮に気づいた私は主におびえていて(怒っていたというよりは困っていたのだ)、私の周りの人のほうが怒ってくれていたように思う。
しかもそれを見て私は「ああ、怒っていいことなんだ」と思った。
要は自信や確信がないと怒れないのだ。自分が正しいかわからないのに相手に怒れる人がいるなら大した役者だ。パワハラ洗脳を受けている間は盗撮されても怒っていいのか、通報することで店の名前を出してしまっていいのか、店に捜索いれて営業止めていいのか、妻も子供もいる店長の家に警察が押しかけていいのか、とかばかり考えていた。自分がこんな扱いを受けていいはずがない、これはおかしい、という確信がなければ怒りも攻撃性もわいてこないのだ。
これは別にただ私が気弱な女だということではない。さすがにほぼ初対面だった友達のDV元カレクソ男に殴られたときは彼のパサパサな汚い金髪をつかんで携帯電話を鼻柱にたたきつけてやったこともあった。つまり私は別にあの知らん男に何も期待してなかったが、初対面で特に悪いこともしてないのに殴られるとかさすがにおかしいだろ、という程度の確信はあったというわけである。
あれが山道で遭遇した熊だったら期待も熊にとって自分が食べられていいはずがないという確信もなかったから腹は立たなかっただろう。縄張りに入った自分が悪い…と思いつつ怯えていたに違いない。実際、同じように日々殴られていただろう私の友達は一度もやり返したことがなかったらしいし。
つまり何が言いたいのかというと、怒ることと怒りをぶつけることはさまざまな条件をクリアしなきゃいけない難しいことなんだなぁ。ということである。普段優しいのに急にキレた、とかも別にその人が変わってしまったわけでも我慢の限界が来たわけでもなく(そういう場合もあるかもだが)て、そんな条件が重なってるだけなのかもしれない。勝手に優しいとかで片付けてるのはちょっとアブナイと自分でも思うようにしておこう。だいたい本当に優しいのは、怒ってなお気持ちよく許せる人じゃないだろうか。
あと個人的な呟きを言えば、別に自分がよほど心を預けている(信頼関係から期待と確信が生まれている)ひと以外には怒らないからといって、相手にもそれを求めるわけじゃない。怒られることをしてしまったら普通に申し訳ないと思って反省するし、むしろそこら辺の知り合いや知らん人にまで怒れる人はすごいと思う。相手への最低限の信頼に基づく期待、自分に確信を瞬時にもつ頭の回転、それをストレートに表現する瞬発力とエネルギー。これについてこんなに長く描いちゃうあたり、ひょっとして、私はそんな躍動的な美しさのある生き方に憧れてもいるのかもしれない。
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