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輪舞曲 ~ジロンド⑬~

「ーー以上が、こちらのマドモアゼルが話してくれたことだよ。」
 ユーグはワインで喉を潤すと、長い脚をゆっくりとを組み替えた。人形は相変わらず表情を変えず、ただこちらを見ているだけだ。こんなにも波乱万丈な人生を歩んでいたなんて、普通の人なら信じられないだろう。
「・・・随分と長い話だね。まるで小説みたいじゃないか。」
 ピエールは感心したように言ってワインを飲んだ。
「そうだね、ましてやフランス革命を間近で見ていたんだ。すごい話だと思わないか。」
「非常に興味深い。君はどう思う?」
 ピエールが聞くと、ルカは躊躇いがちに話した。ルカの前に置いたグラスの中身は少しも減っていない。
「ああ・・・言葉が出てこないよ。とても、その・・・驚いてしまって。この人形が、こんなにもいろいろなことを考えていたなんて思ってもみなかったんだ。何と言うか、知ることが出来て良かった。あなたは本当にすごい人なんだな。」
「褒めていただけて光栄だよ。でも、この話を聞いて信じることが出来るということも、実は素晴らしいことだけれどね。」
 そう言いながら、ユーグはそっとルカの前に人形を置いた。人形の瞳が、真っ直ぐにルカへ向く。
「話は聞き終わりましたので、お預かりしていたマドモアゼルはお返ししましょう。私が調べられるのはここまでですが、少しはお役に立てたでしょうか。」
「少しだなんて、とんでもない。」
 ルカの言葉に、ユーグは安心したように微笑んだ。
「それは良かったです。・・・ああ、そういえば。」
 ユーグはそっと人形のスカートを持ち上げる。
「話の中で、獄中のロラン夫人が原稿を隠したと言っていましたが・・・実は、そのままこちらに残っていますよ。」
 ルカは驚きで目を大きく見開き、ピエールは目を輝かせた。この人形が、最後にロラン夫人から託されたという原稿・・・今まで残っているなんて、奇跡に近いことではないか。
「やったじゃないか!この原稿はものすごい歴史的価値があるぞ!今でもロラン夫人の手紙や原稿は、革命の貴重な資料なんだから!未発見の物だから、高値で売れるんじゃないか!」
ルカは震える手で人形を手に取り、そっとスカートを捲った。人形の身体には、確かに紙が紐で縛り付けられていた。彼は、ロラン夫人が結んだであろう紐の結び目を、指でそっとなぞった。
「彼女は、あなたのことがとても気に入ったようでしてね。この手紙も、あなたになら渡してもいいと言っていましたよ。」
「ほう・・・色男は違うね。」
「なんでも、あなたはロラン氏に似ているんだとか。」
「なんだ、父親のほうか。」
「・・・ああ、それと」
ユーグは笑みを消さぬまま、しかし、真剣に言った。すべてを見透かすような視線に、ルカはどきりとする。
「その紙を取ってしまったら、彼女はただの人形に戻ると思いますよ。」
 ルカは驚いたようにユーグを見た。ピエールも、からかうような表情を消してユーグの言葉を待つ。
「どういうことだ、ユーグ。この人形が動くことと、この紙は関係ないんじゃないか?」
「いや、大いに関係があるね。大切にされてきたモノには、魂が宿ることが多い。それは昔から変わらないことで、今私たちが使っているモノにも、見えないだけでが魂は宿っているんだ。持ち主がいなくなれば自然に魂は抜けていくけれど、この人形は、尚、魂を宿したままだ。それは、彼女に託されている原稿があるからだと考えられる。」
「原稿・・・原稿を取ってしまったら、彼女はただの人形に戻ってしまうのか・・・。」
「ええ。」
 ルカは瞳を揺らして、そっと人形を包み込んだ。
「原稿をどうするか、よく考えられた方が良い。・・・でもね、ムッシュ。」
「はい。」
「私は先ほど言いましたよ。彼女はあなたのことが気に入っていて、この原稿も、あなたになら渡してもいいと言っていたと。」
「・・・」
「今すぐ決めなくてはいけないわけではないのです。彼女の所有者はあなたなのですから。私は仕事を引き受けただけで、あなたのすることに口を出す権利はありませんよ。これからどうすべきか、よく考えられたら良いと思います。そしてその考えを・・・彼女も納得してくれるのではないでしょうか。」
 ルカは指で人形の頬を優しく撫でた。着ているドレスは色褪せているのに、彼女の顔は鮮やかな色が残ったままだ。ユーグとピエールは、黙ってその様子を見つめた。夕暮れの空は、もうすっかり夜になっている。
 その日、彼は決して安くはない報酬を支払って人形を持って帰っていった。

 

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