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輪舞曲 ~ジロンド⑭~

 夏も終わりかけのある日、ユーグが紅茶を飲みながら新聞に目を通していると、ピエールがメイドと共に現れた。いつもは昼過ぎから夕方にやってくるのに、珍しいこともあるものだと思った。
「やあ、久しぶり。」
 そう言って笑った彼の顔は、連日夜遅くまで続く付き合いで疲れている様子は感じられない。彼は、飲み物を用意しようとするメイドに「すぐに帰るから」と言って話始めた。
「朝早くにすまないね。会えてよかったよ。」
「・・・君はいつも突然やってくるね。しかも、今日は珍しく早い。こう見えても私は忙しいのだが。」
「そうかい?僕の来るときは、いつもそこに座って紅茶を飲んでいる気がするけど。」
「ちっ、腐れ縁というのは本当に厄介だな。」
 腐れ縁と言われているのに、ピエールは少しも嫌な顔をしない。むしろ、こちらを見てにやにやと笑っている。
「昨日、ルカとばったり会ってね。最近どうしているか聞いてきたんだ。君も知りたいだろう?」
「・・・ふうん。君にしては気が利くじゃないか。」
「失礼だな、僕はいつも気が利いているよ。」
「すまない、冗談はこのくらいにしておこうか。彼は元気だったかい?」
「ああ、元気そうだったよ。最後に会った時よりも顔色が良かったくらいだ。人形はどうしてるか聞いたら、何て言ったと思う?時間があるときに、ロラン夫人が書いた『回想録』を読み聞かせているそうだ。君が、人形から紙を取ると普通の人形に戻ると言っていただろう?あの人形が動けるうちに、できるだけ喜ぶことをしたいらしいよ。」
「へぇ。」
「大層なことだよ!今度、一緒にパリの街を見て回るとか言っていたな。ロラン夫妻が住んでいた家の辺りを歩くらしい。人形と話すことが出来たら、もっといろいろなところに連れて行けたのにと残念がっていたよ。」
「それは素晴らしい。きっと彼女も喜ぶだろうね。・・・そういえば、あれから人形が動き回ったりはしていないだろうか?」
「それも聞いてみたんだが、特に動き回っている様子はないらしい。一応動き回ってもいいように、ソファに人形を置いているようなんだが。」
「なるほど。では、あの紙はまだ取っていないんだね。」
「それも聞いてみたんだが、今はそのままにしていると言っていた。ロラン夫人の本を読み終わってから、どうするか考えるらしい。今は、人形が喜びそうなことを全部やりたいと言っていた。変わっているけれど、優しい奴だよ。」
「本当にね。なかなかそういった人はいないよ。君は良い友人を持ったね。私も、彼の依頼を受けて良かったと思っているよ。」
 ピエールは笑いながら、手に持っていた帽子を被った。
「君が喜んでくれてよかったよ。今日はそれを言いに来ただけなんだ。では、また。」
 ピエールはそう言うと、軽い足取りで帰っていった。ああ、今日は椅子に座らないで帰っていったな、とユーグは呆れながらも楽しそうに笑った。

 朝晩に吹く風が冷たくなる頃、ユーグは届いた手紙を難しそうな顔で読んでいた。そして、同封されていた冊子に注意深く目を通していく。
「何を真剣に読んでいるんだ?」
 ふいに近くで聞こえた声に、ユーグは驚いて顔を上げた。
「なんだ、君か。」
「ノックはしたんだけれど、驚かせてすまないね。仕事に関係する手紙かい?」
 そう言って、ユーグの向かいにあるソファに腰掛けた。ピエールの上着は温かい茶色で、これから来るだろう寒い季節を思わせる。
「ああ、そうなんだ。気づかなくてすまない。」
「いや、気にしていないよ。それにしても、外の風が冷たくなってきたな。ホットワインが飲みたくなってきた。」
 メイドは心得たように頷いて、部屋を出て行った。ピエールは自分の部屋のように足を延ばして寛いでいる。
「君も忙しそうだね。」
「ああ、忙しいよ。家同士の付き合いもあるし、食事会もある。おかげで君のところに来る時間がない。」
「君の場合、女性と会うので忙しいんだろう?」
「否定はしないね。こっちは朝から仕事で忙しいんだ。一日の終わりに、綺麗な女性と食事をしたっていいじゃないか。」
「それで次の日も頑張れる君は素晴らしいよ。世の中には、楽しいことには強欲なくせに、義務を果たそうとしない奴もいるからね。」
 ちょうどその時、メイドがカップに注いだ温かいワインを持って現れた。ピエールは口をつけて、思ったより熱かったのか顔を顰めている。ユーグは、そんな彼を眺めながら「そういえば、今日は何かあったのかい?」と聞いた。


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