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自分のための表現(1)
自分では覚えていない期間も含め、
私は何故か小さい頃から、過度に性格の歪んだ大人に出会うことが多かった。
連日投げかけられる言葉は私への嫌味そのもので、当時それを真に受けた私は、なぜか「私の容姿が可愛くないからだ」と思い、その大人に気に入られようと必死で髪を結いたり、服装に気を遣ったりしていた。
今にして思うと当然だが、そんなことをしても無駄だった。
私は気付いたときから殆ど持ち合わせていなかった自分に対する肯定感を更に削ぎ落としていった。
自分の容姿へのコンプレックスは
何年経っても消えなかった。
そのうち自己臭恐怖症を発症した。
自分に対して汚いという感覚を持つようになり、
清潔にするための時間が長くなった。
いつの間にか、強迫性障害にもなっていた。
誰かに認めてもらうための表現をずっとしてきた。それが一時的にでも自分が楽でいられる方法だった。外見に囚われ、意識しすぎるようになってから、男性が好意を持ってくれるようになった。それが病的に嬉しくて、更に外見に固執していった。
当時の私は
誰かにとって良いと思われる表現をしていた。
それは純粋な他者への意識ではなく、
自分を守るためのものだった。
己のアイデンティティなどは何処かへいってしまって、出来上がったのは抜け殻の着せ替え人形みたいな自分だった。