自分のための表現(2)
私が思う「誰かのため」は、
結局誰のためのものでもなく、自分のためのものであった。
当時、ある誰かに好意をもってもらったというのも一時的なものに過ぎず、その後時が経てば繋がりは無くなっていた。
私は、人に執着していただけだった。
相手のことを考えと言いつつ、自分が愛されたいがためにしていたこと。
それ故に奔放で、相手のことを想うということが無かった。
自分に軸がなく、ずっと浮ついている心。
自信もなく不安だらけで、当時は意識していなかったが、その不安を埋めようと必死だった。
心の隙間の埋め方を、完全に間違えていた。
自らが枯渇していると、深く関わりを持った人からエネルギーを奪ってしまうと気付いた。
自分に対して負の感情、感覚を持ちやすい人、長年持ち続けている人は、そもそも自分が誰かにとって重要な存在になること、純粋に誰かの役に立つことを信じることができていない。
それ故、捻じ曲がった手段や方向からその欲求を満たそうとする。だが、結局満たされない。
誰かからのアクションで自分を満たそうとしたところで、自分が自分を否定し、責め続けていたら悲しい思いは無くならず、ずっと居座り続ける。
誰にも何も言われていないのに、責められているような気がする。嫌われているような気がする。
そんなことがあったら、その世界を見せているのは自分かもしれないと一度考えてみると良い。
自分が自分を責め続ける限り、自分に優しくしない限り、あなたは誰かを使って、そんな世界を見させ続ける。
本当に見たいものは何だろう。
本当はどんな自分で生きていたいか。
今は叶っていなかったとしても
信じた先に、未来は続いていく。
取り敢えず、自分を信じることだ、と思う。