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『ポールプリンセス!!』西条リリア・ポールダンス「とびきり上等☆Smile!」考察
今回は、主人公のヒナノの幼馴染である西条リリアのポールダンスショーについてみていきます。
キャラクター紹介
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リリアは主人公であるヒナノの幼馴染。
おとなしめヒナノとは対照的に元気で活発な性格でヒナノを引っ張っていくような存在。まさに、ヒナノの相棒といったようなキャラクターとなっています。
衣装は、バニーガールとアラビアンな衣装を組み合わせたようなモチーフになっていて、ウサギのモチーフからは夜を照らす月や野性的な印象が感じられます。
ポールダンスショー考察
千夜一夜物語
ステージは衣装と同じアラビアンなデザインと夜のイメージで、アラビアン+夜ということで千夜一夜物語(アラビアンナイト)がモチーフになっていると思われます。
「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」は、ペルシャ、インド、エジプトなどからあつめられた物語集で、
ペルシャの王シャフリヤールは妻の不貞をきっかけに女性不信に陥り街の娘を娶っては次々に処刑していくが、王の愚行を止めるため新しい妃となったシェーラザードが1001夜にわたって王に次々と面白い物語を語り続け、ついに王の愚行をやめさせたというのが大枠の物語です。
とびきり上等☆Smile!でも「差し出した 手のひらを 握り返してよ 」という歌詞からもわかるように、相方のヒナノへと呼びかけるような楽曲になっていて、内気なヒナノを励まし引っ張って導いていく姿が、夜の世界の中で繰り返し語りかけるシェヘラザードが重ねられて表現されています。
光の珠
もう一つ、ステージには光の珠が周囲を回っています。
この珠をよく見ると、蓮のような形をした台座の上に置かれていますが、これは蓮台と呼ばれる仏教の仏像の台座を模したものと思われます。蓮は仏教を代表する花で仏の悟りのシンボルとして使われます。
つまり、この周囲を回っている光の珠は悟りを開いた仏様のような存在を表していて、リリアのショーではそうした仏教の思想も組み込まれていることが分かります。
詳しくは後述しますが、リリアのモチーフの一つに仏教の阿弥陀如来があると思われます。
夜露死苦上等
開幕は「ヨロシク!上等Smile Together」の歌い出しで始まりますが、この歌詞ですが、”ヨロシク上等”は実は”夜露死苦上等”なのではないかと思われます。
”上等”という言葉は単に上質を表す意味で使うには語感があまり良くないような気がしますし、カタカナで”ヨロシク”もあまり使われない含みを感じさせる書き方です。
”夜露死苦上等Smile Together”として見ると、いわゆるヤンキー言葉で、夜露死苦は単なる当て字なのですが、さらにこれを字義通り解釈してみると
「夜に露になる死の苦しみも上等、一緒に笑顔で行こう」といったようなニュアンスの言葉で苦しみにあふれた夜の世界も笑顔でいれば大丈夫だよと言っているように考えることができます。
このように考えると、夜の世界という点で先にあげた千夜一夜物語とも重なりますし、仏教では「一切皆苦、この世は思い通りになることのない苦しみにあふれた世界」と考えますが、そうした苦しみにあふれた世界も夜露死苦上等と受け入れ一緒に乗り超えていこうというメッセージがこのショーに込められていると見ることができます。
また、こういった言葉が出てくるということはリリアにはヒナノを苦しみの世界から救いたいという仏の慈悲のような想いがあるということでもあります。
ポールダンストリック
ポールダンストリックについて見てみましょう。
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shoulder mount bounceというトリック。
重力に負けずポールを登っていく姿は、夜の世界も上等と笑顔で突き進んでいく姿と重なります。
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ポールの上から急速落下するdropというトリック。
落ちるというのは挫折、失敗、苦しみでしょう。
空に浮かぶ花火も決して笑顔ばかりではなく(>_<)と言った顔があるように、笑顔で乗り超えると言っても苦しいことや辛いことが決してなくなるわけではない。
表面的には苦しく辛いことがあっても、心の奥では揺るがないそういった精神性が描かれています。
You may know to be loved
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「You may know to be loved」(あなたは愛されていることを知っているかもしれません)を「夢の扉」と読ませているのが特徴的です。
本編では見れてはいないですが、仲間たちとの思い出の写真が背景に映し出されます。千夜一夜物語のシェヘラザードのように、自分の側で語りかけている存在が、支えてくれている存在がいたこと。そうした、側にあった愛に気づくことが夢に繋がるのだということでしょう。
夢
そうして開いた夢の扉ですが、その先にあるのは大海原です。
これは胎内回帰を表していて、ここでの夢とは胎内回帰願望を指していると思われます。
胎内回帰願望とは、文字通り「母親の胎内へ戻りたい」という感情のことで、胎児のときにの記憶が成長しても残っていて胎内のように安らかな安心できる場所を無意識的に求めてしまう、全ての人が持つと言われる願望です。
暗くて狭い場所に安心感を覚えたり、海など羊水を思い起こさせるものに触れると癒されたり、心臓のリズムに心地よさを覚えたりするのもこの胎内回帰願望によるものだと考えられます。
夢の扉の先に海が広がることから、ここで言われている夢とはよく言うところの憧れのような夢ではなく、もっと無意識的な胎内回帰願望と呼ばれるような心から安らげる場所に還りたいという願いのことを指していると思われます。
当然ですが、生まれてしまった以上は母親の胎内に再び戻ることは叶いません。が、先にあげた仏教では、いわゆる悟りを開くことで、そうした苦しみの世界から脱し心の休まる安寧の地を目指します。
悟りを開くことは胎内回帰であり、全ての人が持つ胎内回帰願望は同時に悟りを開き苦しみの世から抜け出したいという夢でもあるのです。
西条リリアと阿弥陀如来
次に、西条リリアが阿弥陀如来がモチーフになっていることについて見てみます。
阿弥陀如来とは
阿弥陀如来は、仏教で悟りを開いて如来になったとされる仏で、特に日本で一番メジャーな浄土真宗や浄土宗で本尊とされています。
西方にある極楽浄土の主であり、悟りを開かれる際にすべてのものを極楽浄土に導くという誓いを立てました。
「南無阿弥陀仏」という念仏が有名ですが、これは称名念仏といわれ念仏を唱えるだけで極楽浄土へいけるとされます。
南無阿弥陀仏の南無とは帰依することを意味で、誓いを信じ阿弥陀仏の働きにおまかせしますという意味になります。
阿弥陀如来の働きかけによってすべての人は極楽浄土にいくことができるとされているのです。
西条リリアと阿弥陀如来の共通点
リリアと阿弥陀如来の共通点について見てみましょう。
まずは、「西条」という名前です。
主人公のヒナノが北を冠していて、パートナーのリリアが西なのは少し違和感と言えば違和感があります。
「条」という文字は筋道という意味があり、例えば「一条の光」は一筋の光を意味します。なので「西条」とは「西の筋道」ということで、阿弥陀如来のいる西方にある極楽浄土への筋道であると見ることができます。
極楽浄土というのは、極楽の字のごとく苦しみの存在しない世界です。この極楽浄土も苦しみない安寧の世界ということで悟りの境地であり、胎内回帰と同じです。
リリアも阿弥陀如来も同じく、安寧の地に導いてくれる存在なのです。
阿弥陀如来は苦しみの世から救うために働きかけてくれている存在ですが、リリアもこれまでに見てきたように千夜一夜物語のシェラザードのようにヒナノに対して働きかけてくれる存在として描かれています。
また、ウサギと月のイメージを持つリリアですが、仏教では月にウサギに関する説話があります。
お釈迦さまの前世における物語とされる『ジャータカ』に登場する説話で、ウサギは己の身を投じてまで布施を行おうとしたことから、その心から仏の慈悲の象徴として月にその模様が刻まれました。
月のウサギは仏の慈悲の心の象徴であり、この点でもリリアが仏のような存在であることがわかります。
あと、これは偶然かもしれませんが阿弥陀如来には独自の印(座っているときに組む手の形)があるのですが、その中の中品上生という印と同じ手の形ちょうどリリアがやっているのです。
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以上から、確証があるわけではありませんが、西条リリアは阿弥陀如来がモチーフの一つにもっていると思われます。
悟りを開いた如来のような存在であるからこそ、その慈悲をもってヒナノを苦しみの世から救いたいと語りかけてくれているのでしょう。
ポール
ここまで、リリアという存在についてシェヘラザードや阿弥陀如来といったものがモチーフにあることは見てきました。
では、リリアとは具体的にはいったいどういった存在なのでしょうか。
相棒
リリアを知る上でもう一つ重要な要素があります。
それは、ステージにある柱です。
前半のステージでも見られますが、後半のステージではより顕著に柱が存在感をもって映し出されます。
柱は神様を数える単位として使われます。そして、これもまたポールです。
つまり、リリアとは神様のような存在を表していて、同時にそれは心の芯にあるポールなのです。
働きかけてくれる心のポール、それは心の声ともいえるでしょうし、もう一人の自分のような存在ともいえるでしょう。
そうした、心のポールを擬人化した存在が星北ヒナノにとっての西条リリアなのです。
まさに、相棒というわけですね。
例えば、先にあげた胎内回帰願望というのも極楽浄土へ導く心の声の働きかけの一つです。
働きかけるもの
心の声を内側からの働きかけとすると、外側からの働きかけも存在します。
例えば、仏教や物語や自然などが外側からの働きかけです。
丁度ステージ上にあった光の珠がそれに該当するような枠割にあたります。
光の珠も蓮台の上にあり仏を表していました。
悟りを開くと慈悲の心に目覚めると言いますが、安寧の地があることを知ってしまった人からすると知らずに苦しむ人たちを救わずにはいられないんですね。
そうした形で、心の声だけでなく世界の数多から語りかけてくれているのです。そうした側にある数多の愛に気づくことが夢の扉「You may know to be loved」というわけです。
ポールプリンセスの物語もそうやって語りかけてくれている愛の一つといえるでしょう。
さらに深く見ると、そうやって外側からの働きかけも身体を通して自身の内に入り心の声として内側からの働きかけへと変化します。
つまり、内側と外側の働きかけは実は一体であり、世界からの働きかけが自身の心の声となり、自身を支える心のポールとなっているのです。
だから、リリアは外側からの働きかけが寄り集まったような存在であるシェヘラザードして描かれるのです。
おまけ
余談ではありますが、心の声、心の芯であるポールがなぜ神様なのかについて見ていこうと思います。
いわゆる心というものがどこから生まれているかと考えてみると、過去の経験であったり、生育環境であったり、遺伝子であったりするというのはなんとなくイメージできることかと思います。
そうやって遡っていくと果ては宇宙の始まるその瞬間、もしかするとその前まで遡ることができるかもしれません。
そうした宇宙の始まる前から、現在に至るまでのありとあらゆるものの総体が自身の心としてあらわれています。
そこまで行くともはや科学ですらとうてい説明することはできない、いうなれば神の領域です。
私たちはそうした複雑に絡み合った知覚することの難しい不可知の神の領域に支えられて存在しています。
だから、そうした想像の及ばない私たちを支えてくれる柱を便宜上神様だと考えるのです。
例えば、天皇という名前はポールスターに由来に持ちますが、天皇を遡っていけば日本神話にたどり着きます。
日本神話自体は作り話ですが、私たちは天皇を通して神の領域に支えられて存在していることを知ることができるのです。
そう考えると天皇とはまさに、私たちの心のポールを照らすポールスターだとも見ることもできるのです。
おわり
相方がもう一人の自分というのは、他の作品でも多く見ることのできるバディもののテンプレではあります。ですが、そういった要素を非常に深いレベルで掘り下げた上で、ポールダンスというモチーフの中にきっちりと固有の特性を活かした形で落とし込まれているのがポールプリンセスの素晴らしい点の一つだと思います。
ヒナノにとって働きかけてくれる存在はリリアですが、誰にでもリリアのような存在が心のポールとして存在しています。ポールプリンセスを通して自身のポールを見つめてみても良いのではないでしょうか。