自分の中に残り続けるもの
最近いろんな人のnoteを読むようになった。
きっかけはnoteの「おすすめ」。
神様がここぞとばかりに絶妙なタイミングおすすめしてくる。と感じている。私はおすすめの記事を日々読む度に、毎日個人レッスンを受けているように感じるのだ。
たくさんのことばを読む中で、私もまた、何だか書きたくなる。久しぶりに昔の友達に会いに行くような、そんな気持ちで。
私にとって、ペンを持って白紙に向き合う時が一番自分らしくいられる時だ。いつも白紙と向き合う度に、自分の本当の思いが言語化されていく。
しかし同時に、変わらない自分に何か色あせたものを感じてしまう。
例えば音楽好きな人がいて、ピアノを弾いている。この場合、音楽が好きという特徴はわかりやすく、みんなの関心を集める。
それに引き換え、ことばと向き合うのは地道な作業だ。ライターという「仕事」であっても、やることは変わらない。
私の中に残るもの。
それは ことば だ。
自分がことばにすることも、誰かのことばを読むことも、私はどちらも大好きだ。
大好きだ、なんて言ってみても、昔からそうだったと思うし、何か特別なことではない。
でも、美味しい料理が作れる人を尊敬するように、ことばが好きな私もまた、誰かから見るとすごいことなのだ。きっと。
神が私に与えてくださったもの。
それはことばだ。
そしてそれは、いつまでも朽ちることがないものであり、神からの贈り物である。
これから先また書いていけば、きっと批判を受けることもあるだろう。しかし、私はまた、この贈り物を受け取って再び歩み出したい。
その時に誇りにするのは、自分の力ではなく贈り物を与えてくださった神。そして独りではなく、神様とともに喜んで歩む道である。
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