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素の自分

家族といる時の自分、恋人といる時の自分、友達といる時の自分、一人でいる時の自分。どれが本当の自分なんだろうとよく思う。

全部微妙にではあるけれど違って、どこかで勝手にスイッチが切り替えられているような。どれも嘘じゃないけれど、自分を客観的に見ることができるカメラがあったら多分結構違う人格になっているんじゃないかと思ったりする。
じゃあ私の中にたくさんの私が存在しているのかと、そういう答えに行き着く。そうだよなあ、人と関わって新たな自分を発見して、それもまた自分で。最近写真を見返していて自分ってこんな顔するんだと思った時があった。自分の顔って知っているようで一番知らないということに気がついた。自分では見たことがない顔を見てくれているのは周囲の人たちで、その人ありきの自分に形作られていくのが面白いなあと思ったり。

地元に帰ると、ここぞとばかりに昔の自分に戻ろうとしてしまう。髪は短く切りたいし、洋服はカジュアルなものを着たいし、といった感じでとりあえず身だしなみから変えていこうとする。
大阪にいる時と特に何も変わっていないつもりでも、自然と変えられていたんだな。気づかないうちに気を張っていることもあるんだろうな。

でもだからと言って、実家で家族と一緒にいる時が一番素の自分なのかと言われれば、わからない。私の中ではほとんどずっと素の自分だし。家族といる時はそれは楽だけれど、楽だからといってそれだけが素でいられる時だとは思わない。ただ単に家族とは波長があってやり取りが楽なだけだと思う。

いろいろな人に出会ったおかげで自分の知らなかった部分の自分が見つけ出されて、それでワクワクしたり心が傷んだり、だからいつになっても素の自分は確立できないかもしれない。
でも、変わっていく自分が、素のままでいることだけはできる。自分の感情と素直に向き合って、時々立ち止まりながら自分を見つめ直していたい。

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