父のはなし
こんばんは。
風呂に入ってたら、ふと、父の話がしたくなった。
佐久間宜行さんがバイブルとおっしゃっていた、
「調理場という戦場」(斉須 政雄さん著)が読んでみたくてネットを漁っていたら、お二人の対談記事が目に入った。
私の父も料理人だ。
田舎で小さな小料理屋を経営している。
私は、小学生の頃は父が自慢であった。
自分のやりたいことをやって、店を持つという夢を叶え、
一つのことを極めている職人だ。
父は、娘の私から見ても女性的な感性を持つ人だ。
接客をしているからか、人当たりは柔らかいし、
後輩の面倒見もよく、おおらか。
小さなころから好きなことをやれと育った。
反対に母の方が男性的な頑固者。プライドが高いのだ。
(私は母に似た)
私は高校生の頃、思春期になり病んで、学校にいけなくなり、精神科に通いだした頃、親を憎んだことがある。
店をやっている両親は、朝早く夜遅い。
父は店が休みの日曜しか顔を合わせず、母は朝しか会わない。
小5からかぎっ子だった私は、自分でも気づかないうちに「寂しさ」を心の中に閉じ込めたまま大人になった。
高校の頃その心が爆発したのだと思っている。
その頃は、夜普通に親が帰ってきて、電気がついた家、温かい食事が用意されている家庭にすごく憧れたし羨ましかった。
そんな私が、高校一年生になりもうすぐ二年生になろうとした頃。
東日本大震災が起きる。
学校も休学。
電車も走っていない。
本当に日本なの?というようなニュースが日々ながれ。
水道も出ない。お風呂に入れない。
明日のご飯も心配するくらい。
買い物に行くためのガソリンもない。
そんな非日常が突如現れた。
幸い、うちの祖父の家は井戸水で、水道が止まっている我が家は
水を汲ませてもらっていた。
自分の家だけで精一杯だったあの頃、父は、
店の近所の方へ水を配りたいという。
いつも世話になっているから。と一言。
農業用で使う大きなタンクに水を汲み、
「ご自由にどうぞ」
と張り紙を添え、一晩おいておいた。
翌朝様子を見ると、あんなに大きなタンクが空になっている。
近所の人の中には
「水出ないじゃないの」
と言ってくる人もいた。
私はこっちは親切に配ってあげているのに!と思っていたが、
父は腹も立てず「もう無くなったんでしょう」と言った。
私が父を尊敬しているのはこれがあったからだ。
父は、まだ同じ場所で商売を続けている。
私が9歳か10歳の頃に開店したはずなので、
もう18、19年、店を守ってきた。
自分の店、商売を18年以上続ける難しさを
28になった娘は感じている。
過疎化が進む町で、小さな店を守る。
これだけ続けられているのは、父の人柄とサービスの良さだと思う。
そんな父はお客様にも恵まれている。
品のいい常連さんばかりだ。
田舎にしては客単価が高い店だ。
あまり若者は来ない店だということもあるが。
そんな父の造る料理を値段に見合うものだと
感じてくれている人が集まる。
小さな店だがまぎれもない。
父の城なのだ。