オススメの夫の寝かしつけ方法があるんですけど、わたしが仕入れた宇宙の話を嬉々として話しだすと一瞬で寝ます。 何が言いたいかって、娘の寝かしつけってまじで手間かかるってことです。 ちなみに夫は情緒が文系、頭脳が理系、 わたしはその逆です。 最近夫の寝かしつけ要らなくてさみしい。
本を選んだら、次は、読みましょう。終わり。 ただ楽しんで読むだけです。 この時点で付箋やらペンやらを手に読むのもいいとは思うんですけど、読むことに集中したほうが楽しいと思います。 あと単純に、一度ただ集中して読んだほうが内容が頭に入りやすいだろうし、ここが面白かった、とかここは自分の経験と重なるな、というようなことを自由に感じられるんじゃないかと思います。 最初からそういう箇所を見つけようと気負いながら読むと、むしろ見つけにくくなると思います。 ただでさえ『宿題』として
どんな本を選ぶか まず本を選ばなきゃ始まりません。 フィクションの物語から選ぶのが、読んで楽しいし書くにもラクなんじゃないかと思います。 でも、好きならノンフィクションとか伝記もアリだと思います。 課題図書も、もちろんよし! いずれにしろ、わたしのおすすめは学年相当の本か、それよりも上級生向けの本。 相当学年以下が対象の本だと、感想を抱きにくい上に、本が低学年向けすぎる場合は先生に書き直しを命じられる可能性もあるでしょう…(苦笑) でも、この本はどの学年を対象に
つらい、くるしい、もういやだって思うのって、 つらくない、息がしやすい、最高!って感じる心を知っているから起こるんだよな しかも、自分にとってそれが当たり前の状態、というのは言い過ぎだとしても、それがふさわしい状態だって本心では思ってるから、つらい、くるしい、もういやだって状況や状態に「…どうしてこんなにしんどいの?」って疑問をもつんだよな…? つまり、「わたしは幸せでいるべきだ、幸せであってしかるべきだ」って、心の奥底で思ってるんじゃないか? そこに「他人を蹴落とし
今年ももうすぐ、あの季節がやってくる。 不意にその光景に出くわす瞬間が、いまもなお怖いような待ち遠しいような。 中学生の頃だったと思う。 田舎に住んでいた(いまも田舎に住んでいるけど)わたしは、片道およそ20分の距離にある学校へ通っていた。 3年間、学年が上がるごとに自分の内側に沈みこんでいくような日々を送っていたから、帰りの20分は自転車をこぐ自分のからだが風に溶けているように感じるくらい、くつろいだ気持ちになったものだ。 ちょうど今頃、2月中旬か末頃から3月にかけて
前にトークで,一日1こ,その日一番の自分なりのワガママを誰彼かまわずぶつけている,と晒しました。 いやー,過去のわたしなら怖くてやらなかったな,こんなこと。 なんでワガママ言っちゃおうと思ったかというと,妊娠・出産を経て,もともとほとんどないわたしのキャパシティーが0むしろマイナスになったことはもちろんですが。 最大の理由は病気を治そうと思ったから,です。 ちょっともう限界きてるわコレ,って気づき始めたのが2016年の初夏。noteでもそのとき書いたけど,体調がめちゃくち
「冷蔵庫の下に、あのリップクリーム転がっていっちゃったらどうやって取ったらいいんだ…」 「あ、メジャーで取れるわ」 なんてことを真剣に考えながら、皿洗いをする日が来るとは思ってもみなかった。 ありがとう、娘(1才3か月)。 (すでに1本紛失済)
自分を大切に、とか言われても意味わかんねえよみたいなわたしと同じような人へ(笑) わたしが今最も効果的だと思ってるのは、 『一日1個、その日一番の自分的ワガママを誰彼かまわず投げつける』です。 聞いてもらえなくても、言えた自分にすっきりするのでおすすめです。(主な被害者:夫)
"季節を使い捨て 生きていこう" って、好きな歌のフレーズなんですけど、 娘を育てていると、 ああどうにか早く今日が終わってくれないかなあ って、時の流れにめっちゃ受動的になっている自分によく気がつきます。
生後11か月の娘のありのままをそのまま見ると、 ・めっちゃ表情豊か ・表情のつくりかたや仕草がお父さんそっくり ・意思がはっきりしている ・そして意思表示強め ・お父さん以外の男性が苦手なのかすごく泣く ・起きているときの寝返り、寝返りがえりはほぼナシ ・ゆえに、うつぶせがキライ ・ハイハイを全くしない、というかできない ・が、脚力は強く脇を支えるとビョンビョンと立とうとする ・手先が器用になってきた ・親を呼びつける→甘える の流れを覚えた(笑) ・
会いにいくのはいつもわたしからだったように思う。 学生のときからずっと付き合っている人がいた。 しかし、これほど長く付き合っておいて何だけど、とにかく彼とは気があわなかった。 どう合わないのか分からないけど、とにかく合わないことだけははっきり分かるという不快さが常にあった。 身近な人でもほとんど気づかないが、わたしはけっこう飽きっぽい。 だから、その不快さの原因というか、もとを探りたくて、付き合い続けていたようなものだった。 飽きっぽいくせに、我ながら被虐性がすご
きょうは閑話を。 女子向きの話題になってしまうかな? でも実は誰でもあてはまるんじゃないかな? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ タイトルのキャッチコピーが、初めて聞いたときから好き。 というか、あら、それバラしていいのか?って思ったのを覚えている。 だって、かわいさとかきれいさって作れるじゃないですか? それを目指す人たちには周知の事実だけど、でも内緒にしておきたいものというか。 正直に言おう、わたしは可
親の心得シリーズ第3弾です。 今のところ、親の心得シリーズ【5】まで書いたら、次は子どもの心得シリーズを書くつもり。 子どもの心得シリーズでは、わたしが生徒たちに伝えていたこと、伝えきれなくてもどかしかったことを、親の心得シリーズと対応するかたちで書こうと思う。 あ、でも途中で閑話もしたい。 まじめな話ばっかりってのもねえ、と思ってます。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 塾講師をしていた頃、小学生と中学生に関わ
引き続き、親(わたし自身)の心得シリーズ。 ちなみに前回の心得は、この先記していく心得シリーズの大前提になると思ったので、【0】としました。 今回からやっと【1】。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ もうタイトルのまんまの主張である。 先生として生徒は、親として子どもは、初めから別の人間だ。 まさにいま娘が真横にいるが、どんなにともに時間を過ごしていても、産まれた時から(むしろ胎内にいる時から)娘個人の人生は始まってい
産まれた娘は、早くも8か月に突入しようとしている。 文章をまとめる時間が全然取れないまま、毎日があっという間に過ぎていく。 近頃、塾講師をしていた時に「自分がもし親になったときは、ここに気をつけよう」と考えていたのを思い出すことが増えたので、親(わたし自身)の心得、というか備忘録シリーズとしてまとめておきたいと思う。 ①親になった身として、自分自身の肝に命じておきたいこと ②日々変わりゆく地域社会・世界の中で次のスタンダードになるんじゃないかな、という価値観 ③子ども
「こっちの世界へようこそ」 それが,わたしが最初に娘にかけた言葉だ。 去年の今頃,わたしは抜け殻のようになって仕事をしていた。 夏の終わりに仕事を辞めたいことを職場に伝えてからというもの,憑き物も,ついでにやる気も,きれいさっぱり落ちてしまったのだった。 意地になってがんばっていた時の方がまだ楽だったかもしれない。何がツライって,やる気が無くても仕事はこなせてしまうこと,それゆえにどんなに仕事をこなしても達成感が湧かないし,仕事にキリが無いように感じることだった。