2006_0208帰省_2006_80018

父親に山奥で置き去りにされた話

某ニュースで、自分が父親にされた体験を思い出してしまった。
※この話は心温まるハートフルストーリーです。

私の父は一言でいうと田舎の変なおじさんで、人と違うことをすることに無類の快感を覚えているような、卒業文集に「僕の友達は蛙だけです」などと書いてしまうような、突如野生のカラスを拾ってきて飼い始め肩に乗せて歩き近所の子供たちから「カラスおじさん」と呼ばれるようなそういう人間だ。


そんな父が(奇跡的に)結婚でき、徳島県の西の果て・人口15人程度の村で私を育てた。

外灯もバスも商店もない、民家が10世帯と畑しかないその村で(場所の想像がつかない場合は、トトロのサツキ・メイちゃんの家を想像してください)私は12歳になってそこから引越すまでの期間、彼により謎の教育を受けることになる。


彼の教育のモットーは「女は強くあれ」だった。
「女だからという理由で甘えるな、泣くな、勉強しろ、強くなれ」という教育方針だ。私が甘えたことを言おうものなら、即、1m定規でバシバシ殴られた。

その教育のひとつが、何故か「山に置き去り」だった。
私が小学4年生くらいの頃だったと思う、夕方頃に突然彼が
「おい、山にいくぞ」
といい始めた。

(いやもうすでにここが山だろ)と思ったが、そこは父が法律である。夜中に水筒とコンパス、懐中電灯を持たされ車に乗せられた。この時点で既にめちゃくちゃ嫌な予感を感じていた。

そのまま走ること30分。長い山道を経て、どこだここは、という山の中で私は車から降ろされた。季節は秋になったばかり、月の明るい日だった。空気は澄んでいてコオロギの静かな声だけがした。

「ここから国道が見える場所まで下山しろ」

彼からのミッションが下された。そう、これは彼なりの「強い女を育てる」ミッションの1つなのだ。私は即座に理解した。

「イエッサー」

普通に考えたら「いや、だめでしょ」なのだが、すでにこの時点で様々な特殊訓練(川に投げ込まれる、蛇やら蛙を食べる、無人島からの遠泳ミッションetc)を受けていた私は「そういうものだ」と理解していた。
私はこの頃、世の中の全ての父親がこういう種類のミッションを子供に課していると信じていたのだ。

(大丈夫、既に年輪や星の位置から方角を把握する方法は教わっている。あとは怪我をせずにゆっくりと下山するだけでいい。簡単だ。コンパスも懐中電灯もある。山道もある。マムシが出ても撃退する方法を知っている。)

私は去っていく父を見届けたあと、ひとりでゆっくりと下山しはじめた。

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結果から言うと、私は約6時間をかけて無事下山し、近くの民家で電話を借り、家に電話をかけて車で迎えに来てもらった。民家のおばあちゃんが死ぬほどびっくりしていた。

途中の経過のことはあまり覚えていないが、月が明るい夜で、山道もしっかりあって歩きやすかった。大人になってからあの時歩いたルートを調べると、大体下記のような感じだった。

ちなみに父に当時の話を聞くと、このミッションは「方向感覚を養わせるため」のものだったそうだが、当の私は現在桜新町から渋谷方面に行こうとして二子玉川方面に歩いてしまうような人間なので、残念ながらせっかくの父の教育はあまり役にたっていない。

※ちなみに今の父は性格も見た目もすっかり丸くなり、よくわからないTシャツを着て家でごろごろしているパンダのようにかわいいおじいちゃんです。


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