新年そうそう落ちていたもの
あけましておめでとうございます。2019年も赤沼俊幸のnoteをよろしくお願いします。
1月3日に近所のセブンイレブンに出掛けた時、積もる雪の中に異質の白を見つけた。私は近づいた。
袋だ。お年玉の袋だ。
ストーリーを想像する。
お年玉をもらった子供が中に入っている札だけを抜き取り、ポチ袋は捨てた。
なんという悲しい光景だ。もう私はお年玉をもらう歳ではないが、お年玉をもらっていた頃を思い返してみる。確か袋は捨てられず、袋も取っておいたように思う。お金だけ手に入れば、他はいらないのだろうか。これが本当のお年玉ならぬ、落とし玉。いや、全然上手くない…。
ただ、他のストーリーも想像できないだろうか。
お年玉をもらったことのない少年。母子家庭は貧しく、母親からは「うちはお年玉なんてないよ。食べるので精一杯なんだから。外は外、うちはうち。嫌だったら他の家の子供になればいいのよ」「それはいやだ」と泣く、僕。でも本当はお年玉が欲しい。
悲しくなった少年は外に出た。アパートを出ると、少年の前にタクシーが突然止まる。なんだこのタクシー?降りてくるのは見慣れぬお爺さんとお婆さん。お爺さんとお爺さんは少年を見つめる。「なんですか?」少年は言う。お爺さんは微笑んで言った。「私たちはあなたのおじいちゃんとおばあちゃんだよ」
少年は驚いて声が出ない。だって祖父母はもう死んでいると聞かされていたのに。お爺さんは言った。「元旦から少し遅れてしまったが……ほれ、お年玉だよ」
差し出されるポチ袋。少年は嬉しさのあまり急いで中を開けようとした。初めてのお年玉、手がかじかんで、ポチ袋を上手に開けることができず、ポチ袋は破れてしまった。中には1万円が入っていた。
お爺さんは言う。「このことはお母さんには内緒だよ」
「うん!おじいちゃん、ありがとう!」と少年は言った。「では」とお爺さんが言うと、二人の乗ったタクシーのドアが閉まり、走って行った。
「なにしてるのー!?」窓からお母さんの声が聞こえた。「なにもしてないよー!今帰るー!」少年は破ってしまったポチ袋を拾う時間もなく、慌てて家に戻った。少年はポケットに入った1万円札を握りしめていた。
なんという心の温まるハートフルストーリー。寒い雪国でも心の温度が2度上がる。少年はこの1万円を何に使うのだろうか。どうして祖父母は生きていたのだろうか。どうして祖父母は少年が住んでいるところがわかったのだろうか。どうして祖父母は少年が外に出るタイミングで来ることができたのだろうか。
謎は深まるばかりだが、一番の謎はなぜこんな延々とした妄想を書き連ねている文章を、あなたが温かい目で読んでくれているか、ということだろう。
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