1番のファン(推し)でいること。
わたしの1番のファンは私(笑)
こないだ鎌倉でバルセロナの親友の加奈ちゃんと、大事な男友達と旅をした時に、その男友達に感心された。『菜ちゃんは、ほんとに自分が自分の1番のファンを地でいってるよね〜』って。
そりゃそうだ、私が私の1番のファンになってあげないで誰がなれるというのだ。
自分を貴重品のように扱えば、自分は強くなる。
ということを知ってから、
私はわたしの1番のファンになった。
最初からそうなれたわけではもちろんない。ずっと自分を好きなれなかった、むしろ嫌いだった。だから十何年かけて好きになる努力もした。でも、これは根強かった。
私は社会的に真っ当と呼ばれる生き方はしてきてないから(風来坊みたいな)、いつも劣等感があったし、お金の管理もどんぶり勘定で、目の前の欲求に正直すぎて、借金はするし、人に迷惑かけてばっかだし、それでも自分を変えられないし、口先ばっかで、同じ失敗を繰り返して、情けなくて情けなくていつも死にたくなった。
そんな私が自分のファンになれたのは、いろんな要因や素晴らしい出逢いや、助け、支えが大いにあるけど、ひとつには自分を知っていったこと、理解したいと思ったことがあるように思う。
それは内側を見るも然り、外側をみて自分を知ることも然り。これは人生を通して、徹底的にやってきた自信がある。そして、極めつけは病気だった。
いきなり、何も出来なくなった。
今まで積み上げてきた外側の自信なんて、一瞬で崩れていった。〈歩けない、考えられない、喋れない、書けない、働けない。〉どう生きていくんだと思った。でも、私の場合はラッキーなことに、ギリギリのところで家族を頼る事が出来て、薬が効いて、徐々に日常生活が送れるようになった。
リハビリが進むにつれ、考えられるようになってきて、静かに自分を見つめる日々が続いて、手の震えが収まってきた頃からノートを書くようになった。手帳を使って、1日を振り返るようになった。畑に出て土に触れるようになった。本を読み、Podcastを聴いて、早寝早起きになった。
これからどう生きていきたいかを真剣に考えるようになった。
あなたが見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい。
これが私のモットーかもしれない。
理想を誰かに押しつけるんじゃなく、
わたしがその変化になる。
その変化を見た人が、私の背中に希望をみる。
だから、私はわたしのファンになろうと思った。
ファンは誰よりも無条件の愛を持っている存在だと思う。
相手の生き様に惚れ込んでいるから。
どんな姿でも、ファンからしたら愛しい存在。
結果、自分を好きになるという事なんだけど、
ファンの方がなれそうじゃない?笑
あと推しでもいいよね、私の1番の推しはわたし。(え、最高じゃない??笑。どんな姿も尊いって事でしょ?)
自分のファンになれたら、どんな時も見守れる。ただ信じて、エールを送れる。夢が叶ったとき、泣くほどに嬉しくなる。
そして、気づいたら自分を好きになってた。
ダイエットするする詐欺な今のわたしも、
色気出すぜーって、時に、太り始める私も、
アプリと現実が離れてきてインスタライブの
盛れるエフェクトを探しまくるわたしも、
(結局探せなかったが笑)
誰トクのカラオケ動画にご満悦の私も、
自分のやる気に時々疲れちゃう私も。
陰キャな癖に、コミュ力おばけな私も。
家から出たくなさすぎて、決めてから、
出かけるまで1週間かかっちゃう私も。
全部全部、愛しい私になった。
そんな人が増えたらいいと思うから、
私は出逢う人のいちばんのファンになる。推しにする。
どんだけ尊い存在なのかを伝え続ける。(だってファンだから)
条件なんてないんだよ、存在が神なんだから。
出逢う人がその素晴らしい存在に気づけるように
あの手この手を使って、伝え続けたいと思う。
そして一緒に超えていこう、土台を固めて形にしよう。
それが病気を経て気づいた、私の夢のひとつだから。
2022年8月2日