【連載】 魔法仕掛けのルーナ
私は泥だった。
湖の底に溜まっていた私をすくいあげ、人の形にしたのは魔法使いであるご主人様だ。
「おはよう。気分はどうだい」
初めて目を開けた私に、ご主人様はそう話しかけてきた。
「君の名前はルーナにしよう。月という意味だよ。空をごらん、今夜は満月が綺麗なんだ」
それから私はルーナになった。
ご主人様の名前はフリード。だが私は彼の命令に従って「ご主人様」と呼んでいる。同居家族はいない。両親や兄弟は存命だが離れたところで暮らしているそうだ。
私の役目はご主人様の身の回りの世話だ。ご主人様が研究に集中できるよう、食事の支度や掃除など、あらゆることを行う。ポストのチェックもその一つだ。今日は封筒が一通届いていた。
ご主人様は封筒の中に入っていた手紙を読んで、うーんと唸った。
「友人からだ。君のことを話したら、学会で発表したらどうかと言ってきた」
ご主人様はまだ唸っている。
「どうしたものかな。そんなつもりで君を造ったんじゃないんでね、あんまり真面目にデータを残していないんだ。
もちろん君は僕の自信作だよ。美しいルーナ。君は完璧だ」
ご主人様はいつもそう言って私の頬を撫でる。
ご主人様は35歳。食が細いせいか痩せこけていて、一日中研究所にこもっているため体力もほとんどない。フラフラと歩いては体をどこかにぶつけたり、何かを踏んづけて転んだりしている。
私の形状は、20歳の女性の平均的な身体データを元に設計されているそうだ。ほとんど人間と同じ見た目にできているが、決定的に異なる点が一箇所ある。胸元にコアとなる魔法石が埋め込まれているのだ。
「君のコアは僕のペンダントにはまっている魔法石と対になっていて、常に僕から一定量の魔力を君に送り込んでいる。魔力の供給がなくなると君の肉体が維持できなくなってしまうから、僕がペンダントを失くさないように君も気をつけてくれないか」
そう言われたが、肌身離さず身につけているものを失くすことがあるだろうか? それより転んだはずみで破損する可能性の方が高そうだ。
それを指摘したら彼は息を飲んだ。
「僕もそう思う」
ある朝、ご主人様は言った。
「今日は友人が訪ねてくるから、来たら研究所に通してくれ。たぶん昼頃に着くだろう」
珍しく高揚した様子だった。やって来るのはたった一人の親友で、久しぶりに会うのだそうだ。
そして彼はやってきた。
「やあ、君がルーナ?」
彼はジョージと名乗った。身なりの整ったスマートな男性で、ご主人様よりいくらか若く見えた。
連れ立って研究所に向かっている間、ジョージの舐めるような視線を常に感じていた。彼は私のことを観察しているようだった。
研究所に着くと、ご主人様とジョージは抱擁を交わした。
「よく来てくれたなジョージ、早かったじゃないか」
「君のゴーレムがどんなものか気になって、いても立ってもいられなかったからな。
出来が良くて驚いたよ。普通の人間の女にしか見えないな。いやぁ、君が男のロマンがわかるやつとは知らなかったよ」
「うん?なんの話だい?」
「とぼけるなって」
ジョージはニヤニヤと笑っている。
「暑くて喉が渇いたな。何かあるかい?」
「ああそうだな、お茶にしよう。
いや、待って。僕が淹れてくるよ。ルーナはここにいてくれ。彼の好みは細かいんだ」
ご主人様がふらつきながら部屋を出て行くと、ジョージが私に近づいて来た。
「本当によくできてるな。服の下もちゃんとできてるのか? 脱いで見せてくれよ」
私はご主人様以外の命令を受け付けるように造られていないので黙って立っていた。
ジョージは私が動かないでいると肩をすくめて、私の着衣に手をつけた。慣れた手つきだった。
「肌触りもいいね。ふうん、コアはここか」
身につけていたものが次々と脱がされ、乳房を模したものがあらわになった。残っているのは下穿きだけだが、彼はそれも脱がそうとした。
ガチャン
「何をしてる」
音がした方を見ると、ご主人様が立っていた。足元に割れた陶器が散乱している。
片付けなくてはならない。私はジョージから離れてご主人様の元へ向かったが、ご主人様が私をきつく抱きしめたので作業ができなかった。
「ルーナ。ルーナ。もう大丈夫だ」
「フリード、どうしたんだ。怪我はないか?」
ご主人様は懐から杖を取り出して先端をジョージに向けた。
「出て行け!」
「なんだって?」
「出て行け!」
杖から迸った閃光が自身の頬をかすめ、背後で炸裂するのを見てジョージの顔色が変わった。
「出て行け! 二度と来るな!」
ご主人様が声を発するたびに杖が瞬き、光弾がジョージに向かって飛んで行く。ジョージはたった今壁にできた穴から逃げた。
ご主人様は私の両肩を掴んで言った。
「どうして抵抗しなかったんだ! 危害を加えられそうになったら攻撃しろ! そいつがどうなったって構うものか!」
そしてまた私を抱きしめた。
それからご主人様は私のそばを常について回るようになった。
洗濯中も、料理中も、掃除中も、ただ佇んで私を見ている。夜は同じベッドに横になり、私を背後から抱きしめて眠る。彼は私の肌を撫でながら、よくこう言った。
「ルーナ。僕のルーナ。君と一つになりたいよ」
このように体を密着させることが、一つになるということなのだろうか。
ゴーレムである私は睡眠を必要としない。私は夜が明けてご主人様が目を覚ますまで、腕の中でじっとしていた。
私は外出を禁じられ、ご主人様も家から出なくなったので、食料の備蓄は減って行く一方だった。私はご主人様に買い物に行く許可を何度も求めたが、全て却下された。ご主人様は徐々に気難しくなっていった。
しかしこのままではご主人様の生命維持ができない。私の外出が不可能ならばと、ご主人様に食料調達を請願してみた。
「だめだ! 君を一人にできない」
私はご主人様に必要な栄養が不足していることを説明した。
「だめなものはだめだ!」
私はさらに、食料を調達できなければ生命維持に支障をきたすことを説明しようとした。
「うるさい! 口答えするな!」
ご主人様が手を上げ私に向かって振り下ろそうとしたので、私はその手を弾き、驚いた表情のご主人様の胸に拳を打ち込んだ。
何かが潰れる音がした。
ご主人様の細い体が二つに折れて浮き上がり、大きな音を立ててテーブルの上に落ちた。
私は箒を持ってきて、衝撃で床に落ちたものを速やかに片付けた。
ご主人様の様子を伺う。
ご主人様はテーブルの上に横たわったままだ。だらしなく開いた口から血の混じった唾液がこぼれ落ちている。焦点の合っていない目は虚ろだ。
彼は死んでいた。
私はご主人様の体を抱いて家の外に出た。少し歩いたところに、ご主人様が泥を調達するのに使った湖がある。そこに向かっていた。
湖のほとりに着いたところで、私はバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。
右足の膝から下が折れていた。すぐそばに足の形をした乾いた土の塊が転がっている。私は起き上がり、左足で飛び跳ねるように前へと進んだが、間もなくそちらも同じように折れた。私は湖の中に倒れ込んだ。
手首から先が水に溶けてしまった。腕が使えなくなるのも時間の問題だ。私はその場に尻をついて座り、腿の力を使って跳躍した。跳び上がった私とご主人様の体はゆっくりと湖の真ん中に向かって落ちて行った。
着水の衝撃は一瞬だった。
私はかつてご主人様が私にそうしたように、ご主人様の体を抱きしめた。
湖の底に近づくにつれ、あたりが暗くなっていった。
私の体が末端からほどけていく。
私の体だったものがご主人様の体を包み込む。
やがて、
私たちは泥になった。
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