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熟す

生ゴミ用のコンポストが2つ目に入ってから、果物の皮や野菜の切れ端などを、1つ目の時よりなるべく細かく刻んでから、入れるようになった。なるべく発酵しやすいように。手をかける1つ1つの作業をより丁寧にかさねてゆくことで、何かが熟してゆく現象への畏敬の念を日々増して感じる。

種を蒔いて芽吹くように、花が咲くように、実るように、果物の皮や野菜の切れ端からすぐには肥料にはならない。しかるべき時間と過程を経て、至る。幼い頃から生ゴミを庭に埋め栄養のある土を作るのが常だった祖母を見てきた自分は、人間の力の及ばない物事の推移のペースを肌で感じてきた。

自分が創作へ関わるようになって、またその能力で様々な関係を築き経るようになって、「人間の力の及ばない物事の推移のペース」に添って生きることにより時折訪れる圧倒的な眩しい瞬間を経験する。

自分の表現はかなりの考察と作業に時間とエネルギーを注がないと至らない。今は誰もが何かを示したい時なのかもしれない。衝動で動くけれど即興性のない自分はある完成度になるまではお披露目できない。それは鑑賞してくださる人への礼でもある。雑多なものに紛れることはしない。

尊敬する音楽家の話に頷く。「言葉はいっぱい書いてるし、音楽みたいなものも頭の中で凄く鳴ってるんだけど、でも俺は自然にそれがまとまっていくのを待っていて。この世の中の状況に翻弄されて、その状況に左右されて生まれるものじゃなくて、意地でも自分の生理に従いたいと思ったのね、たぶん。(中略)…自分の生理に従いたいと思ってた、普遍的なものを作りたいと思ってた、そういう自分に正直に書いたんだなっていう自分への証拠になりましたね」

先日受講していた講座で、講師の方が受講者の方へ「一緒に成熟してきているなあという6年。肩の力が抜けて、『今少なくともこのぐらいは言えるよね』という話を課題を通してしてきた。」と仰っていて心打たれた。植物のようにはぐくまれた関係性。そして何にでも時間のかかる自分はとても励まされた。

そういう価値観で生きている人がいる、たしかにどこかに。それが生命として心強かった。そして、講師の方の人間性、そこに集う人々の気を抜かない本気の臨み方、馴れ合わないことで至ることができる本当の安らぎと信頼。ヒトの中にある御嶽のようなものをその時感じた。

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