私は「自分の看板を背負ってきた」と折に触れ言うけれど、 なかなか真意が伝わることは少ない プロとして重ねた経歴とか そういう次元ではない (ちなみに私は“プロ”というのがよくわからない 考えても考えてもわからないでいて今に至る あるとき友の言葉でなぜなのか腑に落ちた これについてはまたいつか書こうと思う) いま配信中のライブ映像の中で藤くんはバンドの背負ってきた“看板”について話している 彼らの看板の重さはいかほどか私には想像もつかないくらいなのだろうけど、 私の背負ってい
さっき近所で、 横断歩道を渡ろうとしている盲目の女性がいて、 赤信号で車も走ってきていて危険だったので、 青信号になった時に近寄って話しかけたら 「触るな!」って叫ぶので声で誘導してなんとか渡りきって、 その先は道路工事でまた進めなくなって、 工事の人に託したけれど、 女性はまた叫んでいた そのヒステリックな叫びと威嚇的な態度に、既視感があり、 後から反芻するとそれは数年前の父だった 何もかもが敵のような アルコール依存/認知症となり、 家族達との関わり方もやや変わり、
昨日はパクチーの種とりをした あまり食べないままでいたので 例年よりたくさんの種がとれた もうひと鉢あった方は、ぱたっと枯れた 植物の敏感さ正直さを改めて思う 私が体調を崩すのと同時だ 何かを教えてくれたのかもしれないと友達は言っていた もう種も肥料も買わなくていいサイクルに入って2年半 ベランダ栽培だけれど、本気で植物と対峙していると 生命の激しさを彼らは教えてくれる 何かすてき風でいて実は本質とは真反対ようなもの、 上澄みだけをさっと擦るような事だけがやり取りされる
夏の土用期間が過ぎたので、 植物たちの手入れをする 枯れたところ、 腐ったところ、 丁寧に取り除く ふと何かが近づいてくる アシナガバチのようだった 少し離れて気にせず作業する と、 イソヒヨドリがいつもの透き通った笛のような声を めずらしく激しく高らかに鳴り響かせながら 私のわきを横切り瞬息で遠くへ飛び切る アシナガバチを捕らえたようだった 守られている 宇宙から 静かな感情が霧雨のように降り注ぐ
作業しながら音楽や何かしらの映像を流しながら描いている 心えぐられるくらい響くやつ 今は久しぶりに『それでも生きてゆく』を観ている (見てはいない、聴きながら) 2話の「僕ら」というひとことだけで号泣した 多くの人には重すぎるのかもしれないが私には何かすくわれるような響きだ
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一昨日の母の顔は表情がはっきりと晴れやかで、 最近の少しくぐもった、不安そうな、表情とは違った。 2年前までくらいの、はつらつとした母を、久しぶりに見た。 経済的にも、母の認知症的にも、元町の大槻工房の存続が厳しいと兄から聞いている。 このままだとあと5ヶ月、もし思いがけない収入があったとして長くて来年の秋。 今の工房は撤退して、実家で母の伝統工芸の制作を続ければいいと兄。 母は猛烈に抵抗しているが、具体的には何もできていないので、 兄の言う通りがいいのかな、とも思っていた
拙著絵本『すきとおりすけのすけ』の出版社での在庫期間は今月で終了となりますが、書店でのご注文は明後日29日の昼間までは受け付けられるとのことです。どなたか必要とされる方のそばに、すけのすけを置いていただけたらさいわいです。 ↓こちらは出版時に書いた、作者のことば、 『いるのにいない』です。 ------ 何かをつくるとき 自分が消えたようになるときがある 何か大きなちからに動かされているような感覚 その「大きな何か」を誰かに伝えるための、 自分はただの通過物になったよう
昨日、印象的な夢をみた。 野外のベンチで、見知らぬ女性に話しかける。 二人とも日本人と黒人のハーフであるようだった。 「そのピアスどこのですか?私、最近あけたんです。」と言うと、 親しみやすそうな手前の人は、腫れていないか、などと心配してくれる。 その人がふと居なくなり、奥にいたシャイな感じの女性に話しかけると、 「resistance」と言った。アクセサリーのブランド名のようだった。 「戦う。だから手をかけ洗練された良質の武器を少しだけ創る。」 その女性の静かな口調からも
生ゴミ用のコンポストが2つ目に入ってから、果物の皮や野菜の切れ端などを、1つ目の時よりなるべく細かく刻んでから、入れるようになった。なるべく発酵しやすいように。手をかける1つ1つの作業をより丁寧にかさねてゆくことで、何かが熟してゆく現象への畏敬の念を日々増して感じる。 種を蒔いて芽吹くように、花が咲くように、実るように、果物の皮や野菜の切れ端からすぐには肥料にはならない。しかるべき時間と過程を経て、至る。幼い頃から生ゴミを庭に埋め栄養のある土を作るのが常だった祖母を見てきた
まだ言葉にできる事象は大したことではない。言葉にできないよくわからない自分にとって圧倒的な衝撃が今どかんとキテいる。現実的なことはまだ何が起こっているかわかるのでなんとかなる。でもそれは言葉にならないから誰にも言えない。秘密なわけではなく自分でもなんなのかわからない。それがずっと私の核心を占めている。 私は死んだように生きていた、というか“生きているのにほとんど死んでいるも同然だった”時期があり、それとつながっている。今でもそうなのかもしれない。自分の本当の死すらまだ確かだ
先日、母の通院に付き添った。数年前の癌の手術後の定期的な検査の結果を聞く。概ね問題はないが新たに気をつけるべき変調があり進んだ場合には手術とのこと。本人も私もふむふむと聞き、その後父の入居中の介護施設へ届け物とお支払へ。しかし受付の閉まった2分後に着いた。 今日はもう受け付けられないが金額ぴったりだったら大丈夫と言ってくれ、二人で鞄の中を覗き込み土の中の宝物を掘り当てるようにしてなんとかぴったり揃えた。 「明日の日付で受け付けます」と取り計らってくれた職員の方に母はさっと
今日は長い付き合いの友達が夢に出てきたので連絡したら、 その後たくさん話ができてとても充実した時間だった ずっと話がしたかったけれど、 あんまり弱ってる時には連絡できないなと思ってたから、 やっとできてよかった 今まさに必要なことだった テレパシった テレパシーが通じる人と通じない人がいるのはなんだろう いちばん鋭かった時はこれから誰に会うかが予知できたりとか、 親しい友達か悲しんでいるのを感知できたりとかしたけれど あと親しい人の死 突然頭の中で好きな音楽が流れ出して
『ひび』の頃から読んでくださっている方はきっとわかると思うけれど、 「文章表現をする時の自分の中に課しているルール」 のようなものが自分の中に以前からあって、 改めて認識している最近です。 それは「物理的に実感/実証/経験できてから感情や思いを書く」ということで 逆に言うと、それまでは書いちゃいけないんですね。 書くと、よくないことになる。 ほぼ無意識、と言うか 結局は自分の全表現形態にもそれを課しているので 改めて思うこともなく、自分に課してきた事だったのですが。 最近
今日は突如として「冷製パスタ」を食べたくなった。 自分の季節の体感としてどうなんだろう。 春を飛び越えて夏じゃないか。 でも「何かを食べたい」と思えることはよかった。 ここのところずっと何も食べたくならなかったから。 制作作業も進めなければならないこと山積みだけれど、 ベランダの植物やコンポスト の土を見ていると 後回しにはできない春の兆しがうかがえる。 きっと仕事とかでは後回しにされてきた、 生命の声。 植物に一通り手を入れて、 明日以降の作業も頭に入れて、 いざ冷製
ある種の厳しさもあって 緊張感を持って対する相手なのに 魂レベルでほっとする、ということがある 私は自分への厳しさに、嫉妬されることが多いので 自分を律している人と接すると、ほっとするのかもしれない 相手に合わせてぬるさを演じなくてもいいと 自分はこういう人と対話してこその自分だよなぁと思う一方、 恥ずかしくない自分であらねばと身を引き締める思い 「相手を大事にする」という話を聞いていて 面して会話した場面をいくつも思い出した たしかに大事にされていたな、と