#8
「セナ・フォスターだ。改めて、よろしく」
「クロエの紹介なら、しょうがないな。レオ・ベルトランだ」
正式に仲間になることを決意したセナは、レオと握手を交わす。
前に隠れ家に訪れた際には敵意剥き出しだったにも関わらず、すんなり認めてくれたようで安堵する。
「分かっていると思うが、裏切ったりしたら道連れだからな」
──前言撤回。まだ信用はされていないようだ。
「お兄ちゃん、この人は大丈夫なの?」
レオの側に、心配そうに瞳を潤わせながら、寄り添う少女。
「心配するなユイ。もし悪巧みしやがったら、俺がぶっ飛ばしてやる」
ユイと呼ばれた少女は、細身で柔らかく垂れ下がる黒髪から覗くブラウン色の瞳は、レオと同じものだった。
「君たちは、兄妹なのか?」
「ああ。ユイは家族で──最愛の人だ」
レオとユイの繋がれた手を見る。指先が絡み合い、手のひらを重ねている──明らかに家族同士の握り方ではない。
つまり近親愛者──思わず、たじろいでしまう。
「何を動揺している?あんただって、同性愛者だろう」
無論セナにとって、愛し合う兄妹など粛清者の仕事を通して見慣れている。
ただ、こうして国を裏切ることを決めてなお、この二人を取り締まらねばならないような気がしてならなかった──職業病とは恐ろしいと肩をすくめる。
「あんた、本当に信用できるのか?今の所作だって怪しいぜ」
「安心しろ。今日は非番だ」
ジョークのつもりで言ったが、場の和む様子は全くなかった。
セナはやれやれと言った様子で、ジャケットの内側に手を入れ──
「てめ、やる気か?」
「落ち着け。ほら」
──取り出した『カラーパープル』をレオとユイに見せる。
「言わずもがな禁書だ。こんな本を焼かずに持ち歩いていたら、粛清者だってただでは済まない」
「……確かに、そうだが」
「挨拶は、このくらいで良いでしょう」
セナ達の会話を黙って横で聞いていたクロエが、手を叩いて入ってくる。
「セナの部屋なんだけど、トマスとダニエルのところでいいかしら?」
「ああ、構わない」
レオは同意しつつ、顔をしかめていた。
「あいつら、無事に逃亡できたのかな」
「それは分からない。追跡されないために、GPSなどは一切遮断してるからね」
「トマスとダニエル?」
セナの問いに「ああ」と応じるレオ。
「元隠れ家の住人だ。男二人のカップルだった。隣の国に逃げるために去って行ったよ」
「男、二人の……逃亡者?」
トマス。
ダニエル。
この二人の名前はセナの中で、何かが引っかかった。そしてすぐ、その引っかかりは解消されるものとなった。
「ああ──」
脳裏にトンネルでの記憶が呼び起こされる。
『トマス・マーフィー。ダニエル・ギブソン。正常性規範法違反により──粛清する』
そうだ。そうだった。
あのかつて、手を繋いでこちらに走ってきた男二人の名前は、そんな名前だった。
本来、粛清した違反者の名前などいちいち覚えていないのだが、レオとクロエの言葉で思い出してしまった。
セナが手をかけた人間は、かつてクロエとレオの同志だったのだ。
一気に、気まずくなってしまった──セナが二人を殺した張本人だと知ったら、どう思うのだろうか。
「逃げるだなんて、アイツらはバカだよ。間違っているのは、この世界だってのに」
「レオ、立ち去った人間の悪口はよしなさい。けど、逃げなくても自由に誰とでも恋愛できる世の中を作るのが、私たちの目標よ」
クロエは「そうでしょう?」と、セナの手を握る──それだけで我に返り、どくんと心臓が飛んだ。
「顔真っ赤じゃねぇか。どんだけクロエのことが好きなんだよ」
レオにからかわれる。
「なっ!?……そ、そんなんじゃ」
「違うの?」
今度は両手を握られる。クロエの純真な瞳を見上げる──ぼっ!と顔が焼けるように熱くなる。
「ひゃ……ひゃい……」
自分に素直になるまで気付かなかったが、想像以上にクロエのことが好きらしい。
「お兄ちゃん、そろそろ行こ?」
その様子を見ていたユイは、もじもじしながらワンピースの下腹部をぎゅっと握る。
「ああ、そうだな。じゃ、俺らは部屋に戻るわ」
レオとユイはお互いの肩を抱きしめ合いながら、部屋に戻って行った。
「私たちも行きましょう。『カラーパープル』のことも聞きたいし」
手を繋いだまま、クロエに空き部屋に案内される。
扉にかかった『トマス ダニエル』の表札が、ちくりとセナの心を痛めた。
★
「──改めて、こっちに来てくれてありがとう、セナ」
「いいんだ」
ベッドで向かい合う形になりながら、微笑みかけてくるクロエ。
彼女の表情、仕草の全てが愛おしく感じられた。同時に、この気持ちにもう嘘はつきたくなかった──そのためには法を、世界そのものを変えねばならない。
「セナには、向こうの動向を探って欲しいの」
「動向……?」
「ええ、セナにはしばらく、粛清者として向こうの動きを探って欲しいの。それで、随時報告して」
「分かった」
つまりスパイか──。
そんな二重生活を隠し通せるだろうか。不安が頭をよぎりつつも「その──」と、扉の表札を見ながら言った。
「トマスとダニエルは、どうして逃げたんだ?」
作戦よりも、自分が射殺した二人のことが、どうしても気になってしまった。
「我慢できなかったんでしょうね。こうして隠れて愛し合うのが」
ぎしっ──と、目の前の壁が揺れた。
聞かずとも分かる。向こうの部屋は……。
「レオとユイね。相変わらず、激しいんだから」
クロエは特に珍しいことでもないといった様子で「ここがバレたら、二人のせいね」と舌を出して笑った。
昨日、セナとクロエの行為が終わった後にずかずかと部屋に入ってきたレオのことを思い出す。
いくらまともな恋愛感情がないと言えども、この隠れ家にプライバシーという概念はないようだ。
クロエは「でも安心して」とセナの手の手を握りしめる。以前のように拒絶はしない。
「いつかレオとユイも、そして私たちも、こんな隠れ家じゃなくて、公の場で愛し合えるようにしてみせるから」
「クロエ……」
「勝つのは私たちよ。本来の世界を取り戻しましょう。悪が栄えた時代はないんだから」
クロエは顔をこちらに近付ける──セナもそっと目を閉じると、彼女と唇を合わせた。