#10
「セナ、最近来るのが遅いじゃないか」
レジーナは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「すみ……ませ、ん……」
その向かい側には、ぜぇぜぇと息を切らすセナが立っている。
いつもは余裕のある足取りでやってくる彼女が、時間ギリギリで、しかも走ってくるなんて、怪しくないという方が無理な話だろう。
すっかり温くなった紅茶を寂しげに見下ろしながら、レジーナは「その──」と切り出す。
「前にも聞いたと思うが、私の知らないどこかに行っているのか?」
「いえ、そういうわけでは」
「私に隠していることでも?」
「いえ──」
「そうかそうか、では──」
「──ッ!?」
レジーナが指を鳴らすと、セナの両側に使用人が現れ、あっという間に取り押さえられる。
「総統、何をするんですか!?」
「心配するな。君が潔白なら、この追跡機は何の証拠にもならないさ」
「え……?」
レジーナがセナの上着の襟に手を伸ばし、赤くて小さな物を取り外す。
「しばらく、セナの行動が怪しかったからね。こっそり追跡機をつけさせてもらった」
「まさか──!」
──あの時、肩に手を置いた隙に!?
セナの心拍数が急激に上がる。
まずい……それを見られては、まずい。クロエたちの隠れ家がばれてしまう。
「……あぐぁっ!」
「ぐふぅっ!?」
一瞬の隙を見て、使用人を肘で顔面を殴りつけ、腕を振り解く。セナは流れるような動きで、そのままガンフェルノを取り出そうとし──
「おおっと、そうはいかない」
セナの目前に銃口が突きつけられる。レジーナはガンフェルノの銃先を彼女の眉間にぐりぐり押し付けながら、不敵に笑う。
「抵抗するところを見るあたり、間違いないようだな」
「総統……!」
「おい、さっさと手錠をつけろ」
起き上がった使用人たちに、手を後ろに回され手錠をつけられる。膝をつかされたセナを見下ろしながら、レジーナは口元を吊り上げ、
「セナ・フォスター。正常性規範法違反の疑いにより、拘束する」
★
「これはこれは。宝の山だな」
本の表紙を見て高笑いすると、山積みにされた本の中に投げるレジーナ。そのいずれもが禁書──焚書対象だ。
総統の命令となれば行動は早く、粛清者たちはセナにつけられた追跡機を頼りに、あっという間に隠れ家を暴いてしまった。
「『木は森の中に隠せ』か。まさに体現したようなアジトだな」
隠れ家の扉の張り付けられた樹木を見上げ、振り返りセナの方を向く。武器を取り上げられた挙句に手錠をつけられ、複数人の粛清者に囲まれている。抵抗は不可能だ。
奥歯を噛み締めるセナを嘲笑うように見つめながら「燃やせ」と、粛清者たちに告げる。
ガンフェルノから放たれた炎は、大きな樹木を根本から焦がしていき、やがて全体を包み込んでいく。
「セナ。今ならまだ、許してやらないこともない」
燃え盛る大木の前を背後に笑うレジーナの顔つきは、悪魔のように思えた。
セナの黒髪の先端をつまみ、くりくりと弄りながら勝ち誇った笑みを浮かべている。
「どうだ?今ここで考えを改め、もう一度、私の元で働くというなら──」
「ダメよ。セナ」
レジーナがきろりと睨んだ先には、木に縛り付けられたクロエの姿があった。縄で腹部をきつく締め付けられており、痛々しく食い込んでいるのがセナの目からも分かった。
「うちの部下をたぶらかしてくれたのは、お前だな」
レジーナはクロエに冷たい眼差しを向ける。
「セナは七年間、我が元で粛清者として動いてくれた。そのキャリアを台無しにした罪は重いぞ」
「おあいにく様。私はセナの幼馴染よ」
「関係ない。セナは返してもらう」
レジーナは右手の拳を胸元に添えると、思い起こすように文言を口にする。
「正常性規範法。これは先代の偉大なる父が制定した、人のための法。すなわち破る者は、獣に同──」
「セックスもしたわよ」
レジーナ言葉が止まり、瞳が開かれた。
これまで冷静を演じていた彼女の雰囲気が、明らかに義憤に満ちたものとなるのを感じた。
その変化を目の当たりにしたクロエは「ああ──」と何かに気付いたように口を開き、
「そっか。あなたも、セナのことが──」
「黙れ」
「父親だか何だか知らないけど、亡霊の言いなりになるなんて、憐れね」
「黙れと言っている」
「結局はあなたも国に操られている人形なのね」
「黙れ!灯油を寄越せ!」
「はっ」
部下に焚書用の灯油を渡されたレジーナは、ポリタンクのキャップを空けると、クロエの頭上で傾ける。
ドロドロとした透明の液体がこぼれ落ち、彼女の緩んだ髪の隙間を通り、顔に沿って流れ落ちていく。
「総統!何をするんですか!?」
セナは叫んだ。
灯油で生きた人を直接燃やすのは、激しい苦しみが伴うから禁止だと言ったのはレジーナ自身だ。
「これは見せしめだ」
レジーナは胸元から取り出したガンフェルノのギアを「Mode:Inferno」に切り替え、灯油に塗れたクロエに銃口を向ける。
「最期に、言い残したことは?」
「操り人ぎょ──」
その日見た光景を、セナは生涯忘れまいと胸に誓った。