木偶
僕は生まれつき、気が弱くていつも周りからいじめられていた。
高校生になってから、鍛え直すために剣道部に所属したけど、いつも足がすくんで一本取られてしまう。
「ははは、ほんとデクは弱いな〜」
デクというのは、僕のあだ名だ。
例え練習でも、対面すると足がすくんで硬直し、デク人形のようになってしまうからだと言うことでつけられた。
もっと、足がすくまないようにしなくちゃ。
そう思った僕は、旧校舎にある誰も使っていない古びた剣道場へと足を運び、姿見用の鏡の真正面に立つ。
ぎゅっ、と力強く木刀を握りしめる。
きっと僕が弱いのは、まだまだ練習量が足りないからだ。
みんながいない時にこそ、しっかり練習しないと。
そして剣道部の先輩を見返すのは勿論のこと、憧れの湯川さんにも見直させてやるっ!
僕だって、いつも守ってもらってばかりじゃないんだと証明してみせる。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
鏡を見ながら、しっかりと振り上げて、ぶんっと振り下ろす。
そんな単純な動作だ。
それでも、それ一点のみに集中して行うのは意外に難しい。
すり足もしっかりと意識しつつ、木刀を振り上げ、下ろす。
木刀を振り上げた瞬間、これまで僕をいじめてきたクラスメイト、剣道部の先輩の顔が思い浮かぶ。
いけない、集中するんだ!
勢いよく振り下ろして思考を無に還す。
そうだ。雑念はいらない。
ただ、目の前の木刀にのみ集中するんだ。
旧校舎は古い木の匂いが充満している反面、集中するという観点で見れば非常に優れており、外部からの音はほとんど聞こえない。
振り上げて、下ろす。
考えることはそれだけで構わない。
無駄なことは考えるな。
腕が痛い。
足が棒になってしまいそうだ。
腕が悲鳴をあげ、足が棒になろうとも僕はすぐに意識を戻し、素振りに集中する。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
それから、どれほどの時間が経過したのだろう。
振り上げて……おや?
ふと素振りを止め、鏡に写った足元に目を向ける。
あろうことか、僕の足は本当に木の棒になってしまっていた。
度重なるすり足により、足の裏の皮はすっかり剥がれ落ち、木のようにつるつるとしなやかな木製の足首になっている。
よく見ると、足だけではなく、腕にも木目のような線が入り始めていた。
僕は長い間、一人誰にも気付かれず、素振りを続けるうちに体が木のようになり始めていた。
どうしてこんな体に……。
おっといけない。
雑念は取り払わないと。
そうだ、目の前の素振りに、ただ集中するんだ。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
それ以外の思考は全て無駄だ。
僕の体がどうなってしまおうが、知ったことじゃない。
振り上げ続け、下ろし続けろ。
☆
もはやどれだけの時間が経過しただとか、そんなことを考える暇はない。
鏡の前に立つ僕の姿は、全くの意思を感じさせない素振りをし続けるだけの木偶そのものであった。
幾度となく思考を振り払い続けた結果、僕は何も思い出すことができなくなってしまった。
どうして自分がここにいるのか?
どうして自分が素振りをしているのか?
僕はそもそも誰だ?
そもそも『僕』とはなんだ?
まあ、いいや。
ただ一つ、正しいことがあるとすれば、僕はこの木刀をただ振り上げて、下ろすということ。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
☆
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
「久々に旧校舎に来てみれば、なんか変な奴がいるぞ」
「おい、なんだあんたは?」
振り上げて、下ろす。
「なんだこいつ?木の人形だぞ?」
「けど、動いてるよ?」
「つーかコイツ、デクに似てね?」
「は?何言って……」
振り上げて、下ろす。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ!?」
振り上げて、下ろす。
「ぐぁああっ!?よ、よせ!それを振り回すのをやめろ!」
振り上げて、下ろす。
「た、助けてくれっ!ぎゃあああっ!」
「こ、こっちに向かってくるぞ!逃げるんだ!!」
「た、助けてくれっ!」
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
「た、大変だぞみんなっ!はやく逃げろっ!?」
「え?う、うわぁあっ!……なんだあれ!?」
「とにかくやばいんだって!警察呼べ警察!」
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
「きゃぁああっ!校舎の壁を壊して中に入ってくる!」
「くそっ!何者なんだこいつはっ!?」
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
振り上げて、下ろす。
「木川くんっ!?」
振り上げて、下ろ……?
「木川くんだよね?うん、間違いない!私だよ!湯川紗夜だよ!」
木川?
……湯川……紗夜……?
「しばらく教室にも来なくってずっと心配してたの!どうしてこんな姿になっちゃったの!?お願い!木刀を捨てて!」
すごく懐かしくて、聞いていて不思議と落ち着いてくる声。
「あなたはずっと体が弱いことに劣等感を抱いていた。だから、旧校舎にずっと閉じこもっていたのね。いいじゃない、弱くたって……私はキミの不器用ながらも優しいところが……」
後頭部に衝撃が走る。
「へへへ、油断したな。このデク人形が!」
「ふ、藤木くん!?」
「どいてな。コナゴナにしてやるぜ」
後ろにはバッドを持つ男が立っていた。この人、なんだったっけ……。
それに、この少女も一体……。
あ……ああ、いけない。
「ま、まだ立てるのか?」
思わぬ邪魔が入ったせいで、集中が途切れるところだった。
この男や女がどうであれ、僕には関係ない。
あったとしても、思い出す必要はない。
ただ僕は、この手首に溶け込んだ木刀をひたすらに振り上げて下ろす。それだけだ。
振り上げて、下ろす。
「よ、よせっ!……ぎゃぁあっ!」
振り上げて、下ろす。
「ゆ、木川く……ん……!」
例えこの怯える少女が誰であれ、なんであれ、僕の素振りの邪魔はさせない。
「やめ……っ!」
振り上げて、下ろす。