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自分で作ったトラウマ

アドラー心理学によると
「トラウマは存在しない」
ということでした。

何かトラウマと感じることがあった時
『そーいえば,昔こういうことがあったよな,そうか,あれがトラウマとなって,今の私を苦しめているんだ。』
なんてことはなくて

『過去は過去。トラウマというのは今の苦しみを過去のせいにしているだけ。過去のせいにしない。今苦しんでいるのは,すべて今の私のせい,すべて自己責任』
なんだそうです。

アドラー心理学が全面的に正しいかどうか分かりませんが,過去の
『この出来事のせいでぼくのトラウマができた』
と自分が考えてきたことを振り返るのも
『そういうことがあったから今の自分があるんだね。』
『感謝だね。そういうことも克服していこうね』
と思えるエネルギーになるんじゃないかと思うので
振り返っていきたいと思います。

あれは小学校低学年か 
それとも小学校に入る前かの 
春の出来事でした。 
 
ある春の日曜日,
父が言い出したか,母が言ったのか忘れましたが
『家族みんなで動物園に行こう! 』
ということになりました。
 
さて,家族全員で動物園への期待を胸に
家族全員でバス停までの商店街をごちゃごちゃと歩いていました。

ふと時計店の前を通ったら父が 
「時計のバンドが緩いから,ちょっと直してくる」 
と言って,時計店に入ったので 
家族みんなでお店に入ったのです。 
 
6畳くらいの小さな時計店でした。
春とはいえ,まだ寒かったので 
店内の中央に対流式のストーブが置かれ, 
その上に乗せた大きめのやかんが 
シューと湯気を出していました。 
 
父の時計バンドは革製でしたので 
時計店のおじさんに穴をあけてもらいました。 
その間ぼくたち三兄弟と母は 
壁に掛けてあるたくさんの時計を見ていました。 
 
「あれ,ちょっと緩いなあ」 
一度終わって,店を出かけたんですけど 
時計をつけてみた父が納得できず 
もう一回戻って店員さんにもう一つ穴をあけてくださいと頼みました。 
ぼく達は壁にかけてある時計をまた見始めました。
 
昔々の時計だから 
なんだかごてごてしていて 
これは記憶違いかもしれないんですけど 
鳩時計なんかもあった気がします。
 
大きい時計,小さい時計 
いろんな時計がありました。 
 
時計を見上げて歩いていたので 
目の前にストーブがあることに気づきませんでした。 

上を見てばかりのぼくは 
ストーブにぶつかって 
ストーブにかけてあるやかんの熱湯を 
左足にどぶぁっとかけてしまったのです。 
 
多分ものすごく熱かったのでしょう 
多分ものすごく痛かったのでしょう 
多分ものすごく泣いたんでしょう 
でもその記憶がありません。
 
 
店主さんが 
「すぐズボンを脱がして!」 
「油紙を貼って!」(時代ですね~) 
「近くの外科に行って!」 
と叫び
 
父がぼくをおんぶして 
外科まで走っていったのを背中で感じた記憶はあります。 
そして,それから 
記憶がありません。
 
 
次の記憶は 
自分の布団で寝ていた記憶 
そして 
「ぼくのせいで,みんな動物園に行けなかった。 
 楽しい日曜日がだめになっちゃった。」 
という,申し訳なくて申し訳なくて。 
泣いてた記憶。 
 
多分,その時も 
ものすごく痛かったんだと思います。 
でもその記憶はなくて 
申し訳ない,申し訳ない ,ごめんなさい,ごめんなさい,
という記憶しかありませんでした。 
 
かくして 
『みんなをがっかりさせたくない』 
という,トラウマが出来上がりました。

「自分の行動で,発言で,失敗で, 
 自分が何かすることによって 
 みんなをがっかりさせたり, 
 傷つけたりしたくない。」

このトラウマのせいかどうかは分かりませんが
ぼくの今までの人生って
消極的でネガティブで
内気でコミュ障気味でした。
人と仲良くなるのが怖かったのです。
 
それでも勇気を出して言動しちゃって,
だれかに迷惑をかけたり
この人と打ち解けたと勘違いして
人に嫌な思いをさせたりするたびに
その思いは強化されてきたのでありました。
長年長年,繰り返し繰り返し
強化されてきたのでありました。

今年の7月あたりから過去の記憶の浄化をしはじめて
ふっと気が付いたんですけど
 
『ひょっとしてこの記憶は後付け?』
なのかもしれないと。

『みんなをがっかりさせたくない』というトラウマは
その記憶によるトラウマじゃなくて
アドラー心理学でいうところの

トラウマのせいにするための後付けの記憶?

そしてそもそも
これって本当にぼくの記憶通りの事なの?
 
だってよくよく考えると
 
★なぜストーブの上のやかんの熱湯が左足にかかるんだろう?
小学校低学年の子の足にかかるやかんの位置って低すぎない?
普通お腹や胸にかかるよね。

 
 さて今から3か月ほど前の8月,母の誕生日で 
実家にお祝いに行きました。 
今回実家に行ったついでに
思い出話としてその時の様子を母に聞いてみたところ

「あんだ,それは違うべあ。(あなた,それは違いますよ)」
「あいづはね(あれはね),
○○と△△(ぼくの兄と弟)が,
ストーブの周りをおいかけっこすてさ,(おいかけっこしてて)
とうとうストーブにぶつかって,
上さのってたやかんが倒れて,
大人しく壁の時計を見ていだあんだ(あなた)の足にかかったの。」

…え? ぼくのせいじゃなかったの? 
逆にぼくは被害者だったの?
 
そばでマンガを読んでいた兄が
「え~,そんなの覚えてね~よ~。」
と,漫画から目を離さずにニヤニヤしながら言いました。

…まあ,今さら怒りも何もありませんが。
それよりも
そうかぁ,ぼくのせいじゃなかったんだ。
なんかとってもほっとした~!
肩の荷が少し降りた~!
って感じです。
 
実家から帰りの車の中では
思い出して目がウルウルしました。

古い記憶から一つ解放されました。

まあ,それから3か月くらい経ちますが
今のところぼくの言動に顕著な違いはありません。


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