週末エッセイ#37「背中を預ける」
ある日、仕事を終えて帰ろうとすると、下駄箱の所でKさんと一緒になった。
Kさんは職場にいる数少ない互いの理解者で、暗い話も明るい話も変な話も出来るとてもありがたい人だ。
「途中まで一緒に帰りましょう」
私が駐輪場で自転車を拾って愛車を押し始め、2人並んで門のところまで歩く。
するとKさんが私をまじまじと見て言った。
「はぁ。のこさんって面白いですねぇ」
なんの事だ?と思っていると、Kさんが続けた。
「リュック。なんで自転車持ってるのにカゴに入れないんですか?重いでしょう」
Kさんが私の自転車の、からっぽのカゴを指差した。
まったく意識したことが無かったのだが、言われてみればそうだ。
せっかくママチャリ型の自転車で来ているのに、私はいつもリュックを背負っていた。
別にそれを変な事だとも思っていなかったし、カゴは「買い物をしたときに袋を入れる場所」だと思っていた。
「他に入れるものもないんだから、カゴに載せたらいいのに。それに今の季節は、重いだけじゃなくて汗かくから蒸れるし……」
この日は7月末の猛暑日。こうやって会話しているい間にも互いの額には汗が滲んでいた。
「本当にそうですねぇ」
私は答えた。
「イエスキリストじゃないんだから、そんな十字架背負うような事しなくても」
十字架を背負っていると言うほど重い気持ちではいなかったのだが、確かに、なぜ私はわざわざ猛暑日に重たいリュックを背負って、カゴを空にして自転車を漕いでいたのだろう。
Kさんに指摘されて、思い出した事があった。
私は、背中に何かないと不安な性分なのだ。
母と旅行でホテルのツインルームに泊まった時、母に背中を向けてスマホをいじっていたら、母が言った。
「あんた、昔っから背中向けて寝るんだよね」
幼い頃の私は、母が寝るときに正面を向いて抱いてくれていても、5分も経てば背中を向けてしまっていたのだそうだ。
一緒に隣で寝ている人がいたとして、その人の顔の方を向いているより、その人に背中を預けている方が、なんだか落ち着くのだ。相手の方を見ていると、なんだかソワソワしてしまうし、違和感を覚える。それが親であっても。
家でもベッドに何体かぬいぐるみが居るのだが、それを抱いて寝るよりも、
背中にぬいぐるみを添わせると、とんでもなく安心する。
なんだったら、抱いて寝るぬいぐるみと、背中に添わせるぬいぐるみが居る。
彼らはどう思っているのだろうか。
「今日は私が十字架役か…」と思っているかもしれない。
背中に何かいるというのは、安心するものだ。
だから、私にとって背中にあるそれは十字架というよりも、精神安定の役割を担ってくれる存在なのである。
皆さんも不安に襲われた時は、背中に何か置いてみては。