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たかだか1万数千文字程度でインモラリスターRの何を語れるって言うのだ

2023.12.24(日)クリスマスイブの日、インモラリスターRが4年間の活動から一先ずの終焉を迎えた。
正確には12/31にヘブンスドアでのカウントダウンライブに出演させて頂いたし、何なら今年はオーナーのホーリーが気を利かせてくれちゃってメインであるカウントダウンをインモラリスターRが努めさせて頂いちゃったからライブは年を跨いで2024年もちょこっとステージに立って居たのだけど。

という訳で先ずは応援して下さったファンである【本指名】の皆さん、ライブハウス関係者の皆さん、イベンターさん、4年間本当にどうもありがとうございました、と月並みに。
こういう時、人はちょっといい事言おうとしても案外月並みの言葉しか出てこないものなのだなと思う。
でもやっぱり1番にくる思いは感謝の思いな訳で、これはこれで間違っていない。

4年間というのは長いようであっという間だ。
現在42歳の僕は、46歳の自分なんてまだ少しも想像出来やしない。4年て、つまりそのくらいの歳月な訳で。なのに過ぎてしまうと本当に一瞬なので不思議なものだ。
たかだか4年の活動で何をご大層に。
そう思う人も居るだろう。もっとずっと長く精力的に活動しているバンドもユニットもいくらでもある。
ただ活動期間の殆どをコロナ禍で過ごしてきた僕たちの、その中で少しも止まることなくハイペースに活動してきた僕らにとってのこの4年て、そこいらの4年間よりもちょっと大分濃厚なんだ。
それにもっとずっと長く売れ続けているバンドさんが居ようが、同じ歳月でもっとずっと売れたアイドルさんが居ようが、でもだからって僕達の4年間の濃度が薄まる訳じゃない。

その4年間を一緒に走りきってくれた土萌まりな…ここはいつも通り以下【まりなちゃん】と呼称させて頂くけれど、まりなちゃんに感謝と労いを。
そして、まりなちゃんと完走出来る土台を作ってくれた2年前に卒業したぐみみぐみ…ここも敢えて以下【ぐみみ】と呼ばせて頂くけれど、この2人にはとにかく最大の感謝と労いとリスペクトを。
僕について行くってほんっと大変なんだから。僕だったら山村茜に4年ついて行くなんて過酷な事、少しもやりたくないね。

そんなついては行き難い僕だから故なのかはたまた否か、4年前の12/25にはその2ヶ月前に5人で出発した筈のインモラリスターRから早くも2名の脱落者が出ちゃったりなんかした日でもあって、そもそもインモラリスターRの前進となったインモラリスター【無印】時代のメンバーも誠に身勝手な形である日突然バックレ脱退をしてくれていたりもしたもんで、そんな事が度重なったモンだから、当時の僕はそりゃもう叩かれた。

もうなんか詳しいことはよく分からんけどこんな短期間で不透明な脱退が3名も相次ぐなんて、何となくとりあえずきっと多分山村茜が全部悪いんだろ知らんけど。
被害妄想でなくそんな空気に満ちていたし、山村の善悪やらの真相にさして興味はないけれど何となく山村はいけ好かん奴だからこれを機に盛大に叩いてやろうって人も実に多かった。
そんな訳でインモラリスターRもそのリーダーである僕も、お披露目2ヶ月で好感度は急降下したし、2人にはこんな中で本当によく続けて貰えたよなと我ながら思う。
だからコレ、ちっとも僕の功績じゃあないけれど、4年前に僕を叩いたりバカにした連中に告ぐ。別に君らを見返しやろうなんて思った事は1度もなく、コチラはコチラで楽しくやらせて貰ってきただけな訳だけど、でも4年でここまで愛されたインモラリスターRの事を、あの時『こんなヤツら秒で消えるだろ』って笑った君たちは、今からでも遅くないから前言撤回してごめんなさいしておかないとちょっと恥ずかしいぞと。

さてところで。
インモラリスターRとは、コロナとライブハウスに育てて貰ったユニットだった。
それ以前、僕が主戦場としてきたアンダーグラウンド寄りの現場でもそれなりの手応えは感じていたけれど、主にロックバンドを主戦場とする場にこういった類の連中が出てきたらどうなるか、そんな掛けが僕の中であって、ヘブンスドアのオーナーであるホーリーも僕の思惑に上手いこと乗っかってくれたので、インモラリスターRはお披露目の直後からライブハウスを主戦場としてきた。
勝算があったのかと言うと、いいや正直全く無かったし、一回一回のステージが出禁や共演NGを喰らう掛けだった。

じゃあどうしてライブハウスにノコノコとやってきたのだと言われると、ぼくらの事なんか全く知らない人達の前で、予定調和にウケる訳じゃないステージを踏みたかった。
お披露目1ヶ月足らずで内心こんなこと企まれていたなんて、メンバーには気の毒に思うけど、でも結果ウケちゃった訳で。
ただウケたのは僕の賭けが勝った訳では無くて、今やすっかり仲間となった対バンしてくれたバンドマンたちがみんな、もうめちゃくちゃに心が広かったから。これに尽きる。
『凄い(バカな)奴らが出てきたぞ』
とアッサリ受け入れてくれて、毛嫌いする事なく僕らにステージという場を分け与えてくれた。
加えて僕らの活動が軌道に乗るより早く世の中にコロナがやって来た。
様々な事情でライブ活動自粛を余儀なくされた一部のバンドマンらからは、カラオケ音源持ち込みで半裸で宴会芸やっているような連中がコロナと共にノコノコやってきてライブハウス荒らしをしている事をちっともよく思われていなかったらしいけど、穴埋め要因でも何でも分け与えられた場所で上手い事やれた僕らって、なんやかんや周りと時代には愛されていたのだと思う。

そんな訳で、世の中の時流を逆手に取って上手い事乗っかれて、僕が思っていたスピードよりもずっと早くインモラリスターRは周知されていって複数のブッキングをお誘い頂けるようになっていった。
加入前には『月に1度程度のライブ活動とそれに伴うスタジオ練習』と時間的拘束について説明されていたメンバーをとんだ詐欺被害に遭わせてしまって、ライフスタイルも大きく変えちゃったけど騙すつもりじゃ無かったんです本当です嘘じゃない信じてくれすまんかった…

活動の4年間うちの最初の2年間は3人体制だった。
担当カラーを色濃く反映させた衣装に、フォーメーションや多少の振付もあって、ライブ前はそれなりにスタジオに入ったりなんかもして、ある程度【作り込んだインモラR】を提供してきた。
僕が本来得意とする見せ方で、とてもバカな事を真剣に作り込んで行く作業が好きだった。
コロナは刻々と深刻化してきて、決まっていた現場がバラシになる事なんて1度や2度じゃなかった。
そういう時、モチベーションのキープが楽じゃない時もあったけれど、僕たちは3人揃えば笑っていた。
【巣ごもり】だとか【おうち時間】だとか、そんな言葉が持て囃されるようになった頃、まりなちゃんはギターを弾き始めて、ぐみみは資格を取得して2人とも新たな環境で新たなチャレンジをしていた。
僕は何だかよく分からん間に気が付いたらヘブンスドアのドネーションTシャツ販売を手掛けることになっていて、その一ヶ月後にはスタッフとしてドリンクカウンターの中に立っていた。
みんなそれぞれ新しい事を始めながら、あの時期に周年もクリスマスライブも出来たのは有難いことだったなと思う。

結成2年後の秋、ぐみみがインモラリスターRから卒業した。
それまで無印時代からバックレ者と脱退者しかいなかったインモラ史上に初めてのOB爆誕である。
一緒に活動が出来なくなることに淋しい気持ちもあったけれど、これで切れてしまう縁でない事は解っていたから次のステージで頑張って欲しい気持ちの方が強かった。
さてこれからどうしようか。
僕とまりなちゃんは2人でランチをしながら話し合った。
センター街のしゃぶしゃぶ屋。鍋越しの湯気で互いの表情がやや見えにくい中
『山村茜が思うインモラリスターRが出来る人はまりなしか居ない』
まりなちゃんはそう言いきった。なんてカッコイイ女なんだ。ああ、それならこの人以外でインモラリスターRを出来る人はもう他に何処にも居ませんねと、新規メンバーを募ることなく2人で只管走り出す事に決めた。

これは本人にそう伝えたことは無いのだけど、あの頃からまりなちゃんは覚醒した。少なくとも実際に隣でステージに立つ僕はそう認識している。
彼女のバンド活動が本格的に始まった時期でもあるので、ステージングの幅や視野が広がったという理由も勿論考えられるけれど、インモラリスターRの聖水イエロー担当として、覚悟と自覚とある種の諦めや開き直りが、明らかに覚醒したターニングポイントだったと思っている。
それが先に発言してくれた
『山村茜が思うインモラリスターRが出来る人はまりなしか居ない』
という言葉を行動で示してくれていた。

僕らはこの頃からスタジオには入らず、箱リハのみでライブを遂行していた。
馬鹿げた事を作り込んで提供したい僕は最初こそ戸惑いがあったものの、常に結成したてのパンクバンドの初期衝動のような面白さがあって、恐らく観ている人らにもそこが支持されていたのだと思う。
ああこういうやり方もあるのだな、なんて妙に感心させられた。
そんな初期衝動に慣れてくると次第に箱リハは僕だけが参加するというスタイルが定着して、そのうちセットリストすら伝えず、まりなちゃんは毎度【イントロ当てドン!】のようなスタイルでライブに挑んでいたし、新曲と称したお馴染みの替え歌も『これが本当の公開リハーサルです』と一度も練習した事のない曲を歌詞カードを読みながら披露したりもした。

きちんと定期的にスタジオに入ってブラッシュアップさせたものを提供しているバンドマンやアイドルさんには叱られてしまいそうな事ばかりやって退けてきたけれど、まりなちゃんなら必ず面白くしてくれるという信頼があって、その上で僕たちのステージはきちんと成り立っていたから、僕らはこの型破りなステージでもいいんです。
『なんだよ、エッチな格好で下ネタ歌ってるだけのくせしやがって偉そうに』
そう思うならそう思って頂いても全く構わない。
ただこれ、実際にオッパイでも出して貰ったら手っ取り早く解ると思うのだけど、たかだか乳を放り出したくらいの事では人の心なんて微塵も動かせないのだ。

活動休止の発表は7月の主催ライブで来場してくれたファンのみんなに伝えた。
みんなが見た事もないような悲しい顔をしていて、それは申し訳なかったけれど、本音を言うと語弊があるかも知れないけれど僕は差程寂しくはなかった。
勿論みんなよりも早くこの決断を知っていたという点もあるけれど、何より年末までにインモラリスターRをやり切れるという安心感があった。
そこから更に遡ること2ヶ月前の5月。
まりなちゃんから活動休止を希望する旨を伝えられた。その時も僕としては寂しいというよりも、言い難かっただろうによく伝えてくれたなぁと思った。
だってね正直、適当にダラダラやる方が楽だし簡単ですもの。そういうただ続けるだけの消化試合を何年も熟すって意外と出来てしまうので。
それなのにきちんと自分の意思を伝えてくれたのだから、こちらには楽しく送り出したい気持ちしかなかったし、
『解散じゃなくて、活動休止がいい』
とそこに拘って伝えてくれた事にもインモラリスターRに対する愛を感じた。
『脱退したいから続けたかったら適当にメンバー見繕って続けてください』
という考えは全く無さそうで、『山村さんがやってるユニット』なんかじゃなくて我々2人のあるいは3人のインモラリスターRだと捉えてくれている。
もうそれだけで充分だなと。
土萌まりなとインモラリスターRをやってきた中である意味では一番幸せな告白だった。

それからは一本一本の残りのステージを大事にして…と言いたいところであるけれど、通常ブッキングに加えて、各々のソロ活動やバンド活動、僕はお笑いユニットの活動もスタートさせていたし、遠征に行ったり、それぞれの生誕祭があったり、勿論いくばくかのプライベートだってある。
だから勿論一本一本のステージは大事だし、大切にバカ騒ぎをさせて貰っていたけれど、感傷に浸るような隙はない。
更にはウチの店でのラストライブだってやってくれだとか、ウチのグループとのラストライブもやってくれよといった有難いお誘いでどんどんとスケジュールが埋まり、残りのライブが幾つあるのか数えられたのはラスト5本を残した頃だった。

ラストイベントのフライヤーの作成。
これは僕の頭の中では概ねデザインが仕上がっていて、あとはそれに見合う画像やフォントの選別、色調のバランスを考える程度の作業なので数時間で仕上がるだろうと作業に取りかかった。
けれど周辺に散りばめた写真の選別をしている時、4年前プレデビューで2人きりでやった初めてのステージの事だとか、コロナでライブハウスの営業が出来なくなって、当時は渋谷の百軒店にあったまりなちゃんのお店を借りて配信ライブをやらせてもらった事なんかを思い出して、とても選別どころではなくなってしまった。
自分でもビックリするくらいボロボロと涙が零れ、ああもう時期インモラリスターRが終焉を迎えるんだなという事を僕はようやく理解出来たんだなと、そんな事を妙に冷静に分析したりした。
ボロボロと涙を零ししゃくり上げながら、変なタイミングで自己分析をする自分がおかしかった。

12月になると街全体がクリスマスムードで華やいだ。街路樹は電飾が付けられて、道行く人も忙しくなくもどこか楽しそうだ。
なんて街の情緒にのんびり思いを馳せる余裕なんて特になく、いよいよラストスパートのインモラリスターRを盛り上げるべく、僕はまあまあ翻弄していた。
何しろ僕個人としては無印時代の立ち上げから足掛け7年インモラリスターに費やして来ていて、それが一先ずの終焉を迎えるとなった以上、やりたい事をとことんやらせてもらいたい。
なので準備期間と予算をシュミレーションしながら、理想通り且つ現実的なラストステージを迎えるべく、ない頭をめちゃくちゃに使う。
見ている側にとってはたかだか月数回の30分程度のライブパフォーマンスでしか無いのだけれど、提供する側はそうとはいかない。
僕は物理的な準備よりも構想に時間を取られるタイプなので、傍から見れば大したことをしていないのに何をそんなに忙しぶっているのだと思われしまうのだがボンヤリしている時が脳内が一番多忙だったりするのだ。
やりたい事は絶対に形にしたい、しかもそのやりたい事を前日や当日に閃いてしまったりするので、アウトブレイクのスタッフさんにもヘブンスドアのクルーにもめちゃくちゃお手数をおかけしてしまった。

アウトブレイクラストイベントでは、今まで披露してきたタイトル一覧を張り出して、演者さんと立花店長、それから来場してくれたみんなに選んでもらった。
一度歌ってお蔵入りしたような、まりなちゃんどころか書いた本人である僕すら覚えていないような曲も沢山ある。歌詞カード代わりにipadで歌詞を表示しようとしたらipadがまったく同期されない。出番はもうすぐなのにこれは困った。
僕は40曲程の歌詞データを立花さんにLINEで丸投げした。
『ホントごめんけど、これ全部印刷してください。マジでごめん』
こうして立花さんとアウトブレイク副店長ゆいちゃんにめちゃくちゃ迷惑をかけながら、どうにかギリギリ…いや、ちょっと押したな。
ちょい押しで間に合ったと言えない中、どうにかライブが始まった。
みんな笑ってくれた。この笑顔が見たくてやっているから、この手応えは本当に嬉しい。何にも変えられない。

散々周りの手を煩わせたアウトブレイクのイベントから凡そ3週間。
クリスマスイブの夜、ラストGIGと称した最後の主催イベント『インモラルクリスマスvol.4~サラバ、股合う日まで~』
が開催された。
12/31のヘブンスドアカウントダウンイベントは自分たちの企画でもないし、面白いことに終わる頃には年も跨いでしまっているので後夜祭のようなノリのステージを、と思っていたので自分の中での実質的なラストステージは31日というより24日のつもりで挑んできた。
直前まで考えた【やりたいこと】のせいでオープン寸前まで僕は走り回って準備に追われていたけれどそこには充実感があった。

ところで、このやりたい事というのは語弊が生じると良くないのでもう少し丁寧に説明するとだ。
僕のやりたい事というのは、来てくれる応援してくれる方が見たいであろうインモラリスターR像を最大限想定して、予算と納期の範囲で最大限提供する、という事であって。他人様の貴重な時間やお金を使って公開自慰行為がしたい、という訳ではない。
期待されているであろう事、求められている事を汲み取ってパフォーマンスする。みんなの笑顔が答え合わせとなる。積み重ねて4年やってきた。

オープニングムービーも、来場してくれたみんなで仕上げた寄せ書きバックドロップも、何卒何卒誰かの思い出のひとつになり得ますように。そう願いながら準備した。
ラストステージもリハーサルはいつも通り僕だけが参加した。まりなちゃんは今日もセットリストを知らない。このいつも通りがインモラRらしくて良いのだ。
いつものようにPA卓と証明ブース用にセットリスト表を記入する。
【賞味期限は延長中っ!!R】
何度こう書いてきたのだっけなと思ったら、不意に感情が込み上げて、落ちた涙でリスト表が濡れてしまった。僕は誰にも気が付かれないように服の袖で拭き取った。
もう暫く歌うことないであろう曲をワンコーラスずつ歌わせて貰って、確認の為に終演直後のBGMを流して貰う。
『捌けのBGMこれなんだ、意外だね』
フロアでセッティングの準備をしていたにゃんにゃんブーメランの加藤順一が話しかけてくれた。
『うん、この体とこの色で生き抜いてきたもんで』
僕がそう笑うと、いいね!凄くいい!と太鼓判を押してくれた。
ラストに流れる曲は自分達が歌ってきた曲からではなく、ポケットビスケッツの【YELLOW YELLOW HAPPY】とずっと心に決めていた。
歌詞が凄く僕らに相応しいと思ったのと、YELLOWは奇しくもいうまりなちゃんの担当カラーだ。自分たちの曲はライブ中にしっかり聴いて貰えば充分だ。なので僕の中ではこの曲以外の選択肢は全くなかった。
コロナ禍を1度も現場を飛ばす事なく、楽器も持たず、何なら衣装だって面積的にはほとんど持たない僕らは、まさにこの身一つとこの色で生き抜いてきたのだから。

対バンとして出演を快諾してくれたゲストのみんなは長く僕らと仲良くしてくれてきたバンドがクリスマスイブだというのに集まってくれた。全く申し分のない4組だ。
各々僕らをちょっとイジったり笑わせたりしてくれながら最高のステージを演ってくれた。

バイドクは実は僕、初めて対バンさせて頂くずっと前から知っていて、いつかヘブンスに出られるようになったら絶対仲良くして貰いたいと憧れていたバンドだった。今では【困った時のバイドク困っていなくてもバイドク】というすっかり僕らの兄貴分枠で恐らく僕の企画イベントに1番お世話になっているんじゃないかな。最近すっかり僕らイロモノ枠とのブッキングばかりになってしまって、そこはちょっと申し訳なく思わなくもない。だって僕ずっと昔から憧れているすげぇカッコイイバンドだからね。本当は。

にゃんにゃんブーメランとの出会いはアウトブレイク。初めて僕のステージ見た2人がステージ終わりに駆け寄って何かもうめちゃくちゃ褒め称えてくれて、その場で3週間後に迫っている自分たちの結婚周年ライブに出てくれないかと直談判してくれたのだ。こんな時世だし出演キャンセルされた演者さんでも居たのだろうななんてその場でホイホイOKしたらなんと僕を無理やりねじ込む為にタイムテーブルを組み直してくれたそうで、猛烈なラブコールを頂けて本当に嬉しかった。
そんな2人がヘブンスドアに出演したいと申し出てくれたのでホーリーに掛け合って出て貰う事になったら、今じゃすっかりヘブンスの顔だ。

極楽ドルチェはちょうど同じような時期…4年ほど前からヘブンスドアに出演しているらしくて、ことある事に僕らを【同期】と呼んでくれた。
極楽ドルチェはめちゃくちゃにカッコイイバンドだから同期なのに何処でこんなに差が開いたんだよと、逆に僕らマイナスプロモーションになるだろ!と冗談めかして言っていたけど、どんなブッキングの時でもその場のみんなを魅了していくのめちゃくちゃ尊敬してるんだ。
ステージに掲げる掛け軸にいつもは【極めて楽しい】と書かれているのに、この日はわざわざ【インモラリスターRは不滅です】とめちゃくちゃ達筆で書いて用意してくれていた。

ヒゲと味噌汁は僕の中でバイドクかヒゲ味噌かというくらい【困った時の困ってなくても】の存在だ。絶対毎回何かしらの仕掛けを用意してくる。絶対に毎回面白い。天才なんだろうな。
それで僕は楽しすぎて飲み過ぎて毎回記憶を飛ばすから、今回だけはと日本酒一気飲みを辞退を申し入れたら、ちゃんと酒を飲ますことなく、でもめちゃくちゃ面白くやってくれて。因みに最悪カウントダウンライブはどうなってもいいと宣言したらカウントダウンライブの日の僕初めて、めちゃくちゃシッカリ潰されました。
インモラリスターRが初めてヘブンスドアのステージに立ったのは、4年前の11/14なんだ。そうこの日…毎月恒例のヒゲ味噌day。あの日から4年間、彼女たちはプライベート含めてめちゃくちゃ仲良くしてくれた。

そんなゲストのみんなのステージを僕たちも最前列でお客さんと一緒にゲラゲラ笑わせて貰って、自分たちのライブをやる頃にはもうお腹いっぱいでこのまま終演でも悪くないよね、なんて言ってまた笑った。

さていよいよ僕たちの出番だ。
4年間の終焉が始まる。
フロアから外に出てチケットカウンターの脇でイントロが流れるのを待つ。の、その前に。
打ち合わせ通りオープニングムービーを流して貰った。ヘブンスドアは映像モニタが小さいせいで気がつくのに遅れた人も居たらしいというのは後になって知った笑い話しなのだけど、いつものイントロと違うメロディに被せて僕らのボイスメッセージが流れたので、まりなちゃんはビックリしてくれた。
『え!何!?今中では何が起こってるの!?』
僕らの活動初期から最近までの画像でスライドショーを作ったこと、それを再生して貰ってる旨を伝えると、後で同じ映像を送るからと言ったにも関わらず、まりなちゃんはドアを静かに数センチだけ開けて、誰にも気が付かれないようにみんなと同じタイミングでオープニングムービーを見てくれていた。
2分程の短い映像に僕の編集技術で何を詰め込めるのかと言ったら大層なものは作れないけれど、まりなちゃんが登場前から号泣してくれたから一先ず作った甲斐はあった。
オープニングムービーが終わり、登場曲としてお馴染みの【LOVE JUICE SWEET】のイントロが流れて僕らは扉を開ける。
今までで1番の動員だった。みんなが狭いフロアの中身を寄せあって真ん中の動線を開けて花道を作って待機してくれている。
みんなの手元には誰が用意してくれたのか、ピンクと黄色のサイリウムが光っていた。ついでに何人かの頬も既に涙で光っていた。

ステージに立つとみんなの涙と裏腹に僕は何だかコレが最後だなんて実感が持てなくて、普段からこのくらい動員あったら最高なのにな、なんてちっとも関係ないことを思ったりした。不思議だなあ本当にあと数曲で終わってしまうんだろうか。でもまりなちゃんもみんなも、なんだか要所要所でメソメソしているからやっぱり終わるんだろうな。何だか現実じゃないような感覚からなかなか抜け出せなかった。
5曲歌ってお約束のアンコール。【インモラサンバ】はみんなで笑って踊った。ゲストバントのみんなにもステージに上がって貰い、僕たちらしい祭りの後、最後のMCでまりなちゃんは書いてきた手紙を読み上げてくれた。
『まりなの今の活動があるのは山村さんのお陰』
そんな風に言って貰えて、今日までやってきて良かったなと思ったらいよいよ泣けてきた。僕は手紙を書いてくる時間的な余裕が結局持てなかったからその場でその時の思いのまま言葉で伝える。
フロアは来てくれたみんなは勿論、ゲストバンドのみんなもヘブンスクルーもみんなで泣いていて、当然まりなちゃんも僕も泣いている。
『全裸でステージ立って泣いてる中年女性達とそれ見て泣いてるみんな、マジでシュールだな』
泣きながらそう言ったらみんなも泣きながら笑っていて、こういう訳の解らなさが実にインモラリスターRらしいなと思う。

ラスト曲【孕め!】僕らは一体何度この曲を歌ってきたのだろう。この曲しかやらないセットリストの日もあったくらい僕らにとってはオリジナル曲以上にオリジナル曲のような存在だ。
みんな街中で原曲のももいろクロー…野暮な話しはいいか。とにかく【走れ!】が流れると知らず知らずに【孕め!】を口ずさんでしまうと口々に言ってくれた曲だ。
4年前のお披露目ライブでもこの曲を歌った。ヘブンスドアの半分も無いような広さのライブバーで5色のサイリウムが光っていた。
4年経ってサイリウムのカラーは2色になったけれど、こんな光景見せて貰えるなんてあの当時は考えもしなかった。
涙で声を詰まらせる僕らのラスト曲はきちんとみんなに届けられなかったかも知れないけど、みんなも泣いていてそんなにちゃんと聴いてなさそうだから多分大丈夫。そんなにバレていないはずだ。

『4年間本当にどうもありがとうございました。バイバーイ!』
押しに押しまくったタイムテーブルの中全てが終わり、予定通り【YELLOW YELLOW HAPPY】が流れる中、みんなの涙とか歓声とか拍手とかサイリウムにとか暖かい色々に包まれて僕らはステージを降りた。
こうして僕たちの4年間のバカ騒ぎが一先ず幕を閉じた。
前室に戻って僕らは互いに何度も『ありがとう』『ホントにありがとう』と言葉を交わしハグをした。誰からも見えない場で、傍から見たらめちゃくちゃ感動的なシーンなんじゃないかこれ。全裸ってことを除いたら。
『まぁまた来週あるんだけどね。』
泣きながら苦笑いした。
そう、こんなに感動的に終焉したけれど年跨ぎカウントダウンライブという後夜祭が残っているのだ。

みんなを泣かせちゃったから、カウントダウンライブはみんな笑顔で新しい年を迎えて欲しいと、年が空けた一発目の曲を、何の打ち合わせもナシにその時来場客として居合わせただけのアウトブレイク店長の立花さんとバイドクのケーゴさんを無理やりステージに乗せ上げ、上裸に剥いて頭に僕らのお面をつけさせ、僕らはとっとステージから降りて即席偽インモラリスターRのステージを楽しんだ。
最後の最後なのに、新年一発目なのに、本人たちが歌わないなんてとお叱りがあるかなと、ウケるかどうか五分五分の掛けだったのだけど、立花さんとケーゴさんの臨機応変に対応出来るプロのコミカルさに助けられ、めちゃくちゃ大ウケだった。
『お前らー!僕ら2人じゃなくても何でもかんでも喜ぶんじゃねー!』
煽る僕にみんな更に笑ってくれて僕も笑い過ぎて歌えるどころじゃなかった。
1週間前に泣きに泣いた【孕め】を残りの時間の限り何度も繰り返し歌っておなかいっぱいになった頃
『あー面白かった!!』
とインモラリスターRとしての本当の本当に最後のステージを、僕らはそう口にして降りる事が出来た。

さてこの先、既に歩み始めた各々の道。
変な言い方しちゃうとね、まりなちゃんは『インモラ活休して良かったじゃん』と周りに言われる或いは思わせるくらいになるのが丁度いいと思ってるんです。
僕は僕で、インモラリスターR以外の事も手掛けられることを示していかないといけないなと思っていて。
これインモラリスターRが大事だからこそ、やり切れた今だからこそ思える本心なんです。
現状僕の方がまりなちゃんより遅れをとってしまっていますかね。追いつけ追いつけで頑張らせて頂きます。

書きます書きますと言いながら、今日までインモラリスターRについてゆっくり言及出来なかった。
時間的な余裕が無かったなんてのは言い訳で、僕はスマホを手にした時、noteのアプリを開かずに、メロンとメロンをくっつけてスイカを実らせる作業にそこそこ勤しんでいたりしていただけだ。
みんなの熱量が高いうちに公表すべきなんだよななんてて思いつつ、そういうちょっと計算された【お気持ち表明】みたいなことをしたい訳でもなくて、なんと言うか。
これを書き上げたら本当に終わってしまうと、いいや終わっているんですけどね、1ヶ月も前に。
終わらせられてなかったんでしょうね終わらせたく無かったんでしょうね実際僕は。

立ち上げから7年、インモラを走らせてきました。走らせて頂きました。
これは僕が始めた物語りなので、気持ちの上だけは僕が僕のタイミング終わらせて頂こうと思ったら結局今日になってしまいました。
おかげで冒頭の文章も何度も書き換える羽目になったし1万文字を超えたせいで予定していたタイトルも加筆修正となった。

誰かが笑顔になってくれたらいいなと思ってインモラをやってきました。でもええ人しいみたいなことを言うと、別にみんなが笑っていられたら、それは僕らが原因じゃなくてもいいっちゃいいんです。でも誰かの笑顔の一因に、僕が、インモラがほんのちょっとでもなり得ていたら、こんな嬉しいことはないです。

10月14日、インモラリスターR5周年アウトブレイクで笑顔で再会しましょう。

みんな本当にありがとう。


















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