直腸がん手術後の100枚朝ごパン ~抗がん剤と闘いながら作って、撮って、食べたこと
ぼく、ヌク。ネコにゃ。
4年前に背中に羽が生えて「お空組」になったよ。
今は空から大好きなアカネしゃんを見守っている。
ときどきアカネしゃんの右肩にのってパソコンの画面をのぞきこんだり、夢の中にあそびに行ったりするにゃ。
最近アカネしゃんは「#元気をもらったあの食事」というコンテスト用の原稿を書いているみたい。どうやら書いては消してを繰り返してる。
病気のことや辛い記憶って思い出すだけで消耗するし、伝わるようにまとめるのは難しいんだにゃ。
とうとうアカネしゃんたら、「読み返すと暗くなる」「応募するのやめようかな」なんて言いはじめた。
だから、ぼくが書くことにしたにゃ。
ChatGPTならぬ、CatGPTってとこかにゃ。
|直腸がんの手術、退院から1週間後の再手術
アカネしゃんは、2年前晩秋の紅葉の頃に直腸がんの手術を受けた。
ダ・ヴィンチというロボットを使って7時間かけて直腸とまわりのリンパ節を切除した。見えるがんをとり切って、人口肛門をつくらずにすんで、とる確率が高いといわれた子宮が残って、すごくホッとしたんだって!!
入院を待つ日々で「私もお空組になるのかなぁ」なんて呟きながら、息子の分厚い誕生アルバムのデジタル化や大量の写真の整理をしてたくらいだったから。
入院の2日前に「遺作になるかもねぇ」なんて画面に話しかけながら、連日夜なべして仕上げた二ホンリスのKindle版写真集の「リリース」ボタンを押してたから。
そんなアカネしゃんがぼくは心配でたまらなかったにゃ。
でもにゃ…
ホッとしたのも束の間、退院して5日目に高熱と術後合併症の症状が出て、また手術することになっちゃった。アカネしゃんは、夫のトシしゃんの前で小さい子みたいに泣きじゃくった。がん宣告のあと一度も泣いたことがなかったのに。
そして、おヘソの右横にストーマという人工肛門をつけておうちに戻ってきたんだ。
ストーマは、大腸の一部が梅干しのようにピョコンと出ていてめちゃくちゃ「人体の神秘」ってかんじ。排泄をコントロール出来ないから、ストーマパウチという袋をお腹にペタンと貼って排泄物を受けとめているんだ。
そうゆう人を「オストメイト」っていうよ。
アカネしゃんは、オストメイトになって絶望的な気持ちになったにゃ。
でも落ち込んでいたら、優しく励ましてくれたナース達や合併症のことを真摯に謝ってくれた主治医が悲しむだろうなと思った。
合併症は私のめんどくしゃい体質のせい。
信頼を寄せ命を救ってくれた主治医を責める気持ちは1ミリもなかったのにゃ。どんよりしていたら大切な家族にも心配かけちゃう。だから病院でもおうちでもずっと笑顔でいたよ。
オストメイトは「不便だけど不幸じゃない」って言葉を知ってるにゃ?
痛いしかゆいし、漏れたら惨事。時間もお金もかかる。なんたって心が削られる。いろんな不安がいっぱい、悩みがいっぱい。
大変だけど、みんな頑張っている。ときには顔で笑って心で泣いてることもある(と思うにゃ)
アカネしゃんは可愛いアーニャ(スパイ×ファミリー)の声真似で「アーニャくるしい。アーニャつらい」とか言いながら「笑えること」に感謝して頑張ってるにゃ。過去に重い鬱病にかかって、こんなにチャーミングなぼくの顔を見てもまったく笑えない時期があったんだよ。
あれ?
「#元気をもらったあの食事」のこと、忘れてるんじゃないかって?
まぁそうあせらずに。羽が生える前のぼくの写真でも見て、一息ついてにゃ。
|退院して、おうちに戻ってきたアカネしゃん
さて。話を戻すにゃ。
退院しておうちに帰ってきたアカネしゃんは、
「おうちはいいね」「自分の好きなものを作って食べられるって尊いね」
と、目をキラキラさせて幸せをかみしめたにゃ。
パニック症、睡眠障害、なかなかのアレルギー体質、HSP気質のアカネしゃんにとって、入院生活は相当大変だったみたい。(大変じゃない入院・手術はないけどにゃ!)
あのときは新型コロナ第3波が猛威をふるい、都心の大学病院は大混乱していた。人手が足りずあちこちから応援部隊がきていたみたい。いつも優しいプロフェッショナルなナースさんが、一瞬険しい顔になるのを目の当たりにした。
救急車のサイレンとナースコールが鳴り止まない夜が続いた。もちろん面会、差し入れなど一切禁止。
アカネしゃんは強いパニック発作は免れたものの、軽い発作やじんましんが出て何度も心の中で「もうムリ~」って叫んでた。手術時に履いた弾性ハイソックスに盛大にかぶれて、膝から下が赤いブーツを履いたようになった。切ったお腹とお尻の痛みは当然だけど、かゆみにも苦しんだにゃ。
そんなだったから、おうちはすべてが新鮮に感じたにゃ。
慣れないストーマと手術創の痛みはあるものの、がんの存在が消えて、がんの匂いが消えて、お尻からの出血がなくなって、なんとうれしかったことか。
写真が趣味のアカネしゃんは、すぐに物撮りや料理の撮影を始めた。
以前は真冬にも写真を撮りに植物園や動物園に出かけたけれど、コロナ禍で花やリスの撮影をしに行けなかった。お腹が痛くて、好きな笛の演奏は出来なかった。
食事は『大腸がん手術後の100日レシピ』という本が参考になった。
|そして、抗がん剤…
年末に、手術で切除した部分の病理診断結果が出たにゃ。
(とり切った)リンパ節に転移ありのステージ3b。5年生存率はだいぶ不安になる数字。
予定どおり、近くの地域拠点病院に転院した。パニック症のため電車での通院が負担だったためにゃ。
クリスマスイブに、付き添ってくれた妹と共に抗がん剤の説明を受けた。
年明けから、化学療法と呼ばれる抗がん剤治療をスタートした。
身体に潜んでいる可能性がある見えないがんが再発しないように、叩いておくってことらしい。
病院外来で抗がん剤を点滴→家で錠剤を2週間服用→1週間休薬。これを1クールとして、4クール繰り返す。トータル3か月。長いにゃ。恐怖にゃ。効きますように。
そして… 副作用が襲ってきたにゃん。
まず点滴後の洗礼。
血管痛、冷気に反応し鼻の奥にがつんと激痛、目がかすみ視界がなくなる。冷たいものに触れない、ノドが詰まる。冷蔵庫を開けるのが怖い。
これらは数日で収まってくる。
2クールからは、外来点滴の前日にポトフを3日分作り、3日目はシチューやカレーに味変をして乗り切った。
服薬による副作用は、日ごとに強くなったにゃ。
倦怠感、下痢。腹痛で歩けない。手足の末端神経障害によるしびれ、こわばり。ボタンがかけられない。ペットボトルのふたが開かない。字がかけない。足の裏にビリビリと痛みが走る。保湿クリームを塗っても塗ってもどんどん皮がむけた。サヨナラ指紋さん。戻ってくるよね。
常に保湿手袋。なるべく水に触れないように料理をした。お箸と包丁を使って食材に触らずに切るコツを覚えた。いろんなビニール手袋をネット購入して合うのを探した。
骨髄抑制が起き内臓出血して便は真っ黒。ストーマパウチが血で輸血バッグのようになった。
抗がん剤5錠を4錠に減薬してもらったことで、かろうじてしのぐことが出来たと思う。
両腕の手の甲から肩まで水疱が拡がり赤く腫れた。またもや眠れないほどのかゆみに苦しんだ。主治医は副作用ではなくアレルギー性だろうと言ってたにゃ。たしかに病院で渡された副作用リストに載ってない症状だった。
|「100枚朝ごパン」のはじまり
春はまだ先。1クールの終わり頃、朝食のパンを撮影しようと思いたった。
副作用の苛酷さに打ちのめされないように目標をつくろう。
創造的なことをして、気を紛らせよう。
アカネしゃんは、人生で大ピンチに陥ったとき、新しいことにチャレンジして乗り越えてきたみたい。ピンチはチャンスって言葉を信じてるんだにゃ。
もうすぐ手術から100日になる。そうだ、100枚を目指そう。
こんな風にアカネしゃんの「100枚朝ごパン」は始まったのにゃ。
抗がん剤治療の後半、味覚障害が出た。
プリンが甘くない。出汁の味を感じない。これには一番へこんだにゃ。
白血球が激減してスキップ(休薬期間の延長)を余儀なくされたけど、ちょうど桜が見ごろの時期だったから、息子&義娘ちゃんや妹とお花見が出来て「ラッキ!」って喜んでたにゃ。
毛髪は抜けず、吐き気止めのおかげで吐き気はほとんど出なかった。
食べることは出来たのでとにかく食べたつもりだったけど、体重が40kgを切ったときは焦ったにゃ~
|抗がん剤4クールを完走したものの
抗がん剤をスタートしたときは真冬で寒さに苦しめられた。
春がすすんで、長かった抗がん剤治療のゴールテープを切ることができた。
バンザイ。おめでとう。頑張ったにゃ!
抗がん剤から解き放たれ体調が回復に向かうも、試練が続いた。
筋肉が弱ったせいかストーマさんがペロンとお腹から10cmも脱出し、ショックが大きかった。
「まさかまた手術?」
不安に襲われながらネット情報を調べまくった。医師が手技で引っ込めたという記事を読み、自分でやって体得した。
以来毎日脱出するストーマさん。脱出時も引っ込めるときも言いようのないイタ苦しさなのにゃ。
ストーマパウチからの💩の漏れにも悩まされた。痩せてお腹の形が変化したせいか「もぐり込み」という現象が起こるようになって、1000円弱の安くないパウチがすぐダメになった。外出も、寝るのも、怖かった。いつまでつづくんだろう。心で泣いてばかりいた。
・・・ほんと悩みは尽きなかったにゃ。
100枚のパンは、アカネしゃんにとって、まさに生きる希望、生きるエネルギーだったんだ。
|指紋さん、お帰りなさい
抗がん剤の効き方、副作用の出方は、個人差が大きいにゃ。
「副作用大したことなかった、後遺症は皆無」という人もいる。アカネしゃんのように手足に抗がん剤後遺症のビリビリが残ってしまう人もいる。左手がいつも氷水につけたように冷たい。ケモブレインという症状に悩まされる人がいることもわかってきた。
ストーマとの付き合いも感じ方も、人それぞれ。
サヨナラした指紋さんは、だいぶ経ってから無事帰ってきた。iPhoneの指紋認証をするたびに「もうどこにも行かないでね」なんて指紋さんに話しかけている(アヤシイにゃ 笑)
アカネしゃんは、よく「もしがんが再発しても抗がん剤はやらない」と言ってトシしゃんを困らせたりする。「でも現実になったら、迷うんだろうけど」と自分フォローしたりして。
がんサバイバーの複雑な胸の内があるんだにゃ。
たぶん、「今を大切に生きよう」って言いたいんじゃないかにゃ。
100枚目は・・・
支えてくれる大切な家族に親友に
医療とストーマに関わる皆さまに
この光り輝く世界のすべてに
長々お読みいただきありがとうございました。
See you。にゃ♪