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ピアノと母

⚫︎2022年9月「教室だより」より


8月は2週間お稽古をお休みし、夏休みとさせて頂きました。

夏休み中は、淡路島の実家に帰って、古い家の大掃除をしました。

大変でしたが、家の隅々に何かしら思い出がありますので、楽しい時間でもありましたし、美しくなって清々しい気持ちになりました。

掃除の合間に、母と一緒に淡路島からは鳴門海峡を挟んでお隣りの徳島県阿南市に出かけして、推し活中のピアニスト石井琢磨さんのリサイタルを聴きに行きました。

徳島県は石井琢磨さんの生まれ故郷ですのでリラックスした素晴らしい演奏を聴けるかも!と期待してのことです。

阿南市は徳島市から少し離れた、のんびりした小さな町ですが、この田舎の少し不便な町に東京にある音楽ホールに勝るとも劣らない素晴らしいホールがあり、全国からファンが集まりました。

地元の方も合わせ、ざっと目算でも700人は入るであろうホールはほぼ満員でした。母もこんな田舎に沢山の観客が集まったことに驚き「フアンはありがたいなぁ」と感心していました。

コロナ対策も大変注意深くなされ、地元のボランティアのみなさまのあたたかい運営が際立ちました。

コンサートも予想通り、今まで聴いたどの演奏よりも、素晴らしい演奏でした。

石井さんご本人も故郷は特別な存在、帰ってくるとホッとすると語っておられるように、そんな気持ちが伝わる演奏です。

プロの演奏家であっても、毎回同じクオリティーで演奏できるものではありません。

演者のコンディションや会場と観客の条件が揃ったとき、名演が生まれます。100回の演奏会に行ったとして、1回、2回出会えるか出会えないかです。

でもその名演に出会った時の喜びは忘れられません。

そして、またホールに足を運ぶのです。完璧な演奏ならCDで十分ですが、言ってみればCDはパッチワークです。

一曲一曲バラバラに録音することが多いです。それに対して演奏会は一筆書きです。演者と観客が同じ時間を共有して生まれる時間芸術なのです。

それはさておき、ピアノの演奏をホールで聴くのは私の発表会以来だった母は、「ピアノも弾く人によって全然違う。スゴイ人がいるね。」と興奮して語ってくれました。

母のピアノは長年、私の演奏で止まっていましたので、それが、見事にアップデートされたのです。

以前もご紹介しましたように、子供の頃の私は、大変な引っ込み思案で、その上、あがり症でした。

発表会でも、間違えたり忘れて止まったり…自分でもガッカリの演奏ばかりでした。今度こそは今度こそはと猛練習しても、同じでした。

それでも母は、発表会の度にステキな衣装を用意して、どんなにひどい演奏でも、良いところをみつけて褒めてくれました。

そんなこともあり、下手なりに続けることが出来たのです。このピアノで得た知識や感覚は、後に大変役立ちました。

そんなこともあり、母はクラシック音楽に理解が無くて下手な演奏でも一番上手だったなどと褒めてくれるのだなと、子ども心にうれしいのと、クラシック音楽について理解のない母にガッカリしていたと思います。

ところがそれは母の思いやりでした。ピアノは弾く人によって全然違うのです。

それは、十分承知の上で誉めてくれたその気持ちが、石井さんの美しい音色と共に、私の心に染みわたり、素晴らしい思い出になりました。 

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