おすそわけ日記 227「芳年と云う沼」
川崎浮世絵ギャラリーで『月岡芳年 新形三十六怪撰展』の後期展示を鑑賞。見惚れた。
二年前に芳年展を見て、今までの血みどろ無残絵の絵師と云うイメージが一転。『風俗三十二相』の様な美人画や、月を題材とした物語を百枚描いた『月百姿』など、画風の幅がこんなに広かったとは、と感動した。
その時の感想を以下の日記でアツく語っているので、よろしければご参照くだされたし。
今展では、芳年晩年の作となる『新形三十六怪撰』をメインに据えて、前座に(と云うのもなんだが)美人画や『月百姿』の一部も展示されていた。
年表と合わせて、芳年の画風や興味の移り変わりが自然と頭に入って来る。
『新形三十六怪撰』は、怪異の出てくる物語の場面を描いたシリーズ。「この話をこう描きますか!?」と云う、意外な視点が面白かった。
例えば、『四谷怪談』を描いた一枚。まだ美しい岩(お岩さん)が子供に乳をやりながら布団に横たわる横で、屏風にかけた帯が蛇のように鎌首をもたげている。平和な母子の姿に、惨劇の兆しが不気味にじわり。
『英名二十八衆句』に代表される、血みどろ絵を若い頃に得意とした芳年だからこそ、敢えて、怪異を怪異としておどろおどろしく描かないのではないかと思った。
ユーモラスな作品もあり、昔話の雀のお宿を題材にした『おもゐつつら』では、欲深いおばあさんがつづらから出て来たお化けに腰を抜かしている。このお化けたちがユーモラスで愛らしく、リアルに描かれたおばあさんの方がよっぽど怖い。
『ほたむとうろう』こと、牡丹灯籠は全体的に淡い色彩で、亡霊の菊(とのっぺりした下女)が幻想的な一枚。
私見だが、『新形三十六怪撰』は「最後に色々な引き出しを開けて、もうひとふんばり挑戦してみるか」と云うような、情熱の最後の熾火のような印象を受けた。
芳年が心を病んだと年表で知り、完成度の高い作品を出し続けて、限界まで頑張ったんじゃないだろうかと想像する。
今回、私が一番心惹かれたのは、美人画。
『全盛四季夏 根津花やしき 大松廊』は、遊郭の風呂場での遊女たちを、横に紙を三昧続けた続き物で描いた作品で、湯あみの後の浴衣姿がしどけなく色っぽい。続き物ならではの構図も見事。
そして、大好きな『風俗三十二相』シリーズで夏の一場面を描いた『うれしそう』。団扇を口にくわえた芸者が、大事そうに握り合わせた両手の中を覗き込んでいる。と思ったら、蛍を捕まえたところ。溢れてくる情感と、夏物の着物がうっすら透ける二の腕のラインに目が釘付けになってしまった。
今回の展示は、芳年の全体像をコンパクトにわかりやすくまとめてあって、とても見やすく、初めて芳年作品に触れる人にもおすすめしたい。
鑑賞時には、アニリンを使った鮮やかな赤、あてなしぼかしで表現するにじんだぼかし、色を載せずに凹凸だけ付けた空摺などの、素晴らしい摺の技法を堪能することもお忘れなく。
見れば見るほど、作品が多彩で、芳年沼にハマっていく。
芳年、魅せてくれて、本当にありがとう。
追記。一昨年の展示でも今展でも、私の突拍子もない質問に丁寧に答えてくださる、川崎浮世絵ギャラリーの学芸員、スタッフの皆様、どうもありがとうございます。
【今日の一枚】今展のチラシと先着順配布のカレンダー。私の初舞台(三歳)が歌舞伎座の『道成寺』の小坊主役だったので、カレンダーの『新形三十六怪撰 清姫日高川に蛇体と成る図』にご縁を感じて頂きました。祖母の仕事仲間の舞台で、祖母達芸者衆が「聞いたか坊主」を演る時に、私も小坊主姿で手を引かれて出たらしいです。記憶にないのですが、多分、出たら何か買って貰う約束をしたのだと思います。
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