恋でもないし愛でもないけど確かに好きです。
2019年末
恒例のLTSに参戦して渋谷の街を歩いた帰り道、寒さなんて感じなかった。
ただ幸福感だけを感じていた。
でもあれは確かに冬だった。
既に年始のライブが発表されてたか、年明けてからの発表だったか覚えてはいないけれど
「平日だし行けないなぁ。まぁまた次に大阪ですぐライブあるでしょ。新譜も夏には出るだろうし。」
なんて1つ2つのライブを手放したツケなんだろうか。
あれよあれよという間に、自粛からのリモート配信、リモートからの無観客ライブ。
気付けば生で彼らに逢えなくなってた。
その熱量で耳が痛くなるような小さなライブハウスで、彼らはいつも笑顔で迎えてくれてた。
自分たちもきっともがきながらの毎日だったろうに、全力で背中を押してくれてた。
何か迷ったり、決めてはいるけど動けないでいる時、いつも私の傍にLACCO TOWERがいた。
「何かに迷ったら動け。逢いたい時に逢いたい人に逢って欲しい」
「僕らの音楽を愛してくれるのと同じくらい、あなたの周りの人を愛してください」
「笑って帰れよ」
どれほどの言葉、勇気を彼らに貰っていたんだろう。
わかってはいたんだ、いつも救われていたこと。
でも、それがなくなった今、どれほど大きなことだったのか思い知らされている。
もちろん、配信もいつものライブ以上に趣向を凝らして、出来ることを出来るだけ彼らはやってくれている。
どんなことも受け止めて、前を向いて進んでいる。
観客のいないライブがどれほど手応えのないものか、ライブ中にあがる手や声をどれほど渇望しているか、そもそもライブもまともに出来ないことがどれほど悔しいことか。
計り知ることなど到底できない。
今私がLACCO TOWERに逢いたいのと同じか、それ以上に歌いたい弾きたい叩きたい、バンドとしての熱量を保つのは、どれほどの思いなのか。
「死ぬなよ」
「また生きてライブで逢おう」
だからこそ生きて生きて、生きてLACCO TOWERに逢いたいのです。
あの頃は大変だったけど、終わってみたら何にも変わらねぇなぁなんて笑い合いたいのです。
そんな気持ちは確かにあるのに。
あるのに、先の見えなさに不安しかない我儘な私。
配信がたくさんあるし、彼らがバンドとして存在する限りは、今多少逢えなくても何なら遠征費用ない分グッズ代とか貯金に回せるし、楽勝だよ~って軽く受け止めて笑ってたけど、逢えない時間って想像以上に気持ちを削り取っていく。
ライブハウス、ホール、その非日常にどれほど助けられていたか。
母で妻である私が全部の肩の荷をおろして、ただ1人の人間になれる場所。
ただただ背中を押してもらえて、自分だけの『好き』を何も気にせずに出せる場所。
そこに行けば私が何者かなんて全く構わない仲間がいる。
肩書きも何にもなく同じ『好き』を共有出来る仲間がいる。
今こんなにも逢いたいなんて。
逢いたい。
逢いたい。
スマホやテレビの画面じゃなくて、同じ場所に立って、この目に、この脳に、この記憶に、この心に刻みたい。
こんなにもLACCO TOWERを必要としているなんて。
恋でも、まして愛でもないけれど、ただ純粋に好きなのです。