#博論日記#7 私の中の恐れと女らしさ
昨日は朝から秋の展覧会の会場下見。
午後は大学で少し作業。
3Dプリンタで自分の作品の一部(モデル)を出力。色々分からず、隣の席の若者に聞きまくる…
年末の展示まで時間がないことだし、やっぱり慣れないことは外注だなと実感。
でも、いいの。モデリングから出力までやりたかったから。
「3Dプリンター欲しいな。ブレンダーで色々使いこなせてからかな」と思いつつ、制作を楽しみました。
こうゆう新しいプロセスは、心の中に新たな水を得た感じで本当に生き生きした気持ちさせてくれます。
食事をするのも忘れるほど。大事なプロセスだと思います。
備忘録として書きます。
この日は色々作業したり移動したりしながら、内観しておりました。そこで気づいたことは以下の2点。
不安な状況は自分が作り出しているということ
先週提出した論文について、自分で読み返して誤植を発見。
「あーあ」と自分に落胆しつつも、「また、先生に言われるな」と先生の反応にビクビクしている自分に気が付く。
けど、こうやっていつも「人に認められたい」自分がいて、そこから起こす行動って本当に無理しているし、嫌な結果を招きやすいんですよね。
だから、自分にOK出していく論文、というのが本当は大事なんですよね。
また、その奥底には、
自分で自分のことを、「雑な人間」だと深く思い込んでしまっている、
という思い違いもあるんだと思います。
本当は、私は雑な人間ではなく、実は「やろうと思えばやれる」とマインドセットをしていけば良いのだと思います。
できれば、今週中にまた論文を整えて、先生にみてもらおうかな、と思いましたが、一度切り返して「自分でOK出るまで先生に連絡を取らない」と自分の基準で良い選択を自分で選んだらずいぶん心が落ち着きました。
こんな風に、自己受容と現実を変えていくことで自分らしさの一歩に近づけたらいいのかなと思います。
自分にとっての恐れは、自分自身のできないではなく、やらないをやる、に変えていくと変わるのかと。
いつもは、自分で締切日や期日と目標を作ってそこに猛進することが多かったのですが、そもそもこうゆうやり方が違うのかなあとも思いましたね。
私の中の女性性と男性性
ちょっとスピリチュアル的な用語になりますが、最近自分の「女らしさ」ってなんだろうと色々思考していて。
けど、ここだめみてもあまり意味がないんですよね。
決断して行動する、ということは自分は意外と上手く乗りこなしてきているんだと思います。
ただ、無理して疲れちゃうところが最近大きい。
つまり「受け入れる」という女らしさをあまり使えていないということ。
すべての物事をオンとオフを男性性、女性性と捉えるのはもしかしたら間違っているのかもしれませんが、
思考して行動する時は行動するのオンと、休みや人からの好意を受け取り好きなことや楽しむというオフ、のバランス。
こういったベースを少しずつ整えていくと、今後のこともやはり無理ないのかなと思いました。
いつも自分は、オンの状態で、外に出て誰かと会っても、「キリキリしている人と見られていたかな」とか感じます。
「本当はもっと自分はふわふわしていてもいいんだな」と感じるようになると、心がすっと楽になりました。
この受け入れこそが、私が自分自身の「女らしさ=女性性」を受け入れることができたのかなと思っています。
何事もプロセスを楽しんで成果を出すことが、最高の結果を生むものであると信じています。
常に楽しいわけではありませんし、壁にもぶるかることがあるかもしれませんが、そういゆうときは自己内観や誰かに頼る、ことでもっと良い道が開けるものであると感じていますね。
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