朝散歩に思ったことー自己自虐、傷ついた自分となりたい自分
毎朝、30分くらいのウォーキングをするのが日課になっている。
ここ2ヶ月くらいだろうか。
暑いのだが、日陰の道を縫うように、朝6時か7時ごろに歩いていく。
朝の散歩によって、軽く体を動かすようになり、体の中のこわばった筋肉がやわらぎ、水の循環が良くなっていく感覚がある。
ここ数ヶ月、博論で動かない体には、朝の散歩はとても有益で良い習慣である。
ちょっとしたYoutubeやラジオを聴いて、体を動かす鬱陶しさやだるい気持ちから気分を上げていく。
「朝日を浴びるとポジティブ指向になりやすい」、とよく言われている。
また、「朝起こした行動がその日の印象を決める」とか言われている。
今朝は、散歩の終わりに昨日ノートに書いた、「他者との比較」という自虐行為を反芻しようとしていた。
色々な「私より先を行く人」のイメージを持ちながら、「あーあ」と自分に落胆しようとしたとき、なんとなく昨日のノートのことを思い出し、「あ、私はこれでいいんだ」と自然体な気持ちで自分を受容することができた。
その理由は、なんとなく「自分がこうなりたい姿」というのが、なんとなくイメージの中でふっと湧いてでてきたから。
このイメージをうまく言葉にできないが、「いろいろ作品制作に挫折して、右翼曲折した人生だけど、それでも作っている私」という私が出てきて、「そんな私でも、コツコツ論文が進んでいるし、自分なりの装飾論を持っているのではないか、これが私の人生である」という私のあり方を工程することによって、それを洗練させれば「自分がこうなりたい姿」になるであろうという確信である。
挫折を繰り返して、傷ついている私がいる。
でも、その私は、私にとって大事な私。これが普通の私。
この私を磨くことが大事であり、「傷ついている私」を受容してあげること。
こういったことで、少しずつ、自虐的な思考の癖が和らいでいく感覚があった。
そんな1日のスタートです。
また週末には、先生と論文の面談があったり、できることで論文のパフォーマンスを最大限に発揮していきたいなと思う。
今朝の出来事。