廃線その3:ロマン接近で楽しさが増えるよね編。
久しぶりの廃線巡りは楽しかったという想い出について、お話しします。
前々回くらいのマイブームであった、廃線巡り。
四国に引っ越して以来あまり訪問できていないですが、やはり、廃線巡りは楽しい。
鬩ぎあう人間の文明と自然、生命に吞まれていく人工物、それを保存しようとする住民たちの心に、無限に妄想を膨らませます。
というわけで、昨年末にかけて訪問した廃線巡りから、エモエモな体験記をふたつ、紹介します!
訪問先は岡山県倉敷市と福井県敦賀市。
久しぶりなので、リハビリも兼ねて…
廃線ロマンの味わい方を、思い出していきましょう!
下津井電鉄下津井電鉄線
おはようございます。
こちらは岡山県倉敷市児島。
本州四国連絡橋唯一の鉄道ルート・瀬戸大橋線が始まる地であり、その車窓からは瀬戸内海の多島美が味わうことができます。
絶景ルート。
…とはいうものの、本日は塩飽諸島本島から船舶にて上陸しましたので、大橋は渡っていません。
くぐりました。大迫力でした。
島嶼巡りは四国めたんちゃんの動画にて語る予定ですので、またいつか。
そろそろ本題、駅前にて自転車を借りまして、いざ廃線巡りの始めていきましょう。
児島駅から700mほど自転車を漕ぎましてやって来ましたのは廃駅風のオブジェクト。
ここは旧児島駅。下津井電鉄下津井電鉄線の旧駅舎であります。
開業は大正2年(1913年)、丸亀-児島間は航路的に最短ルートとなる立地を活かした四国への玄関口として、そして景勝地である鷲羽山への観光路線として栄えました。
しかし例の如くモータリゼーションの波に押され、昭和47年(1972年)起点の茶屋町-児島駅間が部分廃止。
とどめに瀬戸大橋線が開通するとその需要が大量に奪われていき、平成3年(1991年)に廃線と相成りました。
現在のサイクリングロード「風の道」起点はこちらから。
今日における瀬戸大橋岡山県側の上陸地点、下津井の集落まで約6.3kmの遊歩道が続きます。
というわけでいざ廃線巡りスタート。
すぐ隣には下津井電鉄(*現在は鉄道路線を有していない)のバス車庫があり、なんだか不思議な気分。
久しぶりの廃線巡りにテンションの高まりが収まらない。
閑静なまち中を抉るように伸びる遊歩道、これこそ間違いなく廃線である証左でしょう。
というか、やたらとご立派な一軒家が目立ちますね…
下津井といえば中世城郭、そして近世北前船の寄港地であるとの記憶です。
そうした廻船業で財を成した一族のお家なんでしょうかね…?
しばし目にした長屋門は、農家建築由来というよりは商業で栄えた名残だったり…?
ウーン、わからないけどスゴイなァ…
さて、病院脇を通ったのちは登り坂が始まります。
鉄緩やかなカーブと登り坂で進んでいく下津井電鉄、その上には現行の瀬戸大橋線が仰々しいコンクリート橋で架橋。
鉄道は直線的にトンネルをくぐり抜けて瀬戸大橋が始まる一方、廃線の方は迂回して山を避け、再度下って下津井の集落へと向かっていくのだという、交通史と時代の移り変わりを感じるような対比です。
しばし遭遇する途中駅、線路の高さからホームを眺めるというので違和感が面白い。
30年前まで、ほんとうにここに電車が走っていたんですね…
廃線後のこの姿が、なんだか凄まじいくらい周辺の町並みに馴染んでいて驚きです。
記憶のない懐かしさすら覚えます。
トンネルはないが掘割はあります。
架線柱やレール様のモニュメントが所々あって、うれしい。
廃線後にこういった遺物をわざわざ残す意味はないはずなのに…
残してくれてありがとう…ありがとう!
掘割区間を抜けると瀬戸大橋が左手に、そして目的地である下津井が眼下に見えるように。
ウーム、いい景色だぁ…
右手に分岐して登って行くと、ブラジリアンテーマパークとして著名な鷲羽山ハイランドがある様子。
テーマパークがあるみたいだぜ テンションあがるなぁ~
うおっ…!急にすげぇ藪道…!廃道かな?
軌間762mmの狭苦しさも感じますね!
またまた緩やかな曲線を描く下り坂へ、ママチャリにはややつらいこの隘路をしばらく搔き分けていくと…
本サイクリングロード、すなわち旧下津井電鉄廃線の終着地である下津井駅が現れます。
位置的には下津井集落の西側です。
廃ホームに廃線路、かつて同地を走っていた往年の車両たち、そしてちょっとした下津井電鉄資料館があります。
よかったですね!
子どもたちが旧駅跡を遊び場にしているというのが…第二の廃線の人生って感じで、いいですね…
というわけで廃線巡りは以上なのですが、せっかくですので下津井のまち並みを散歩。
漁村らしいギュッと迫った町割りに、継ぎ接ぎしていったような背の高い建物が特徴的。
北前船の寄港地であることは知っていましたが、解説板によると、綿花やニシン粕を主に取り扱い、また海を金毘羅参りの宿場として大いに繁栄したようです。
いまでも当時の商家やニシン蔵などが残され、想像以上に港町の雰囲気がよく残っており、面白い。
ぜひ一度、廃線巡りとあわせて下津井に来てくれよな!
旧敦賀港線
改めておはようございます。
続きましてやって来たのは福井県敦賀市。
北陸から関西に抜ける際に何度も通り過ぎた、あとは小浜線探訪の乗り換えで使ったことのある駅ですが、降り立つのは初めて。
訪問は2023年の年末、愈々翌年3月に迫った北陸新幹線延伸に向けて、まちの盛り上がりも感じられます。
ヨーロッパ軒のソースカツ丼は旨い。
今回の訪問の一番の目的はこちら、北陸総鎮守として名高い気比神宮へお参りすること。
でもなんか思っていたのとは違うな…、ステキな社であることは確かなんだけれども…
コンパクトだ!
まァ、ご祭神であるイザサワケと応神天皇説話との関連など、個人的に追究していかねばならぬ話題への示唆は盛り沢山でしたので、行って良かった(小並感)
そして港へ。
実際に訪問して分かる、一見して三方ではなく四方を山に囲まれていると錯覚するような海であり、穏やかな良港であろうと実感します。
敦賀は実は相当に古い鉄道のまち。
明治二年(1869年)の鉄道建設計画において、同敦賀港までを結ぶ【琵琶湖畔-敦賀】が東海道線の支線として設定。
明治四十五年(1912年)には敦賀港とウラジオストクを結ぶ客船に連絡する「欧亜国際連絡列車」の運行が開始しました。
もちろん現在その航路はありませんが、かつての敦賀港駅を再現した駅舎もあるので、資料館として楽しめます。
うれしいですね!
その駅舎とレンガ倉庫に面するこちらの道ですが、現代の都市には似つかわないほど大規模なモノ。
となると…
ここら一帯が駅施設や引込線があったエリアであり、それを潰して造られた道であることは想定できますねぇ!
そんな港で廃線の香りを感じていると、なんだか気になるものが視界に入ってきます。
敦賀港の東側にある、不自然な空き地とコンテナ群、そして如何にもらしい廃線。
そうです、こちらこそが旧敦賀港駅跡地と旧敦賀港線。
先に述べました鉄道計画において、敦賀港駅の前身となる金ヶ崎駅が明治15年(1882年)に設置。はっや。
戦争やら国鉄民営化やらなんやかんやあって、平成21年(2009年)に鉄道による貨物の取り扱いを停止。
敦賀港駅を拠点にトラックで貨物を輸送する方式に切り替えられてしばらく続けていたものの、5年前の2019年をもって正式に廃止となりました。
そんな140年近くもの歴史を誇る、日本でも指折りの歴史を誇る重要廃線。
いつもの廃線巡りの現場とはまた違う、いまにも貨物列車がやって来そうな空気感が未だ残っています。
低い柵、閑静な住宅街であることも合わさって廃線の全体像が容易に掴むことができます。
なんだか、普段とは少し印象の違うエモさだ!
金ヶ崎山の奥へと繋がるトンネルを発見。
もちろん塞がれてはいますが、間近まで行けるので覗きます。
そもそもこのトンネルは何処へ繋がっているんでしかね?
Wikipedeiaによるとセメント会社の専用路線であったようですが、それ以外の情報がよくわからず。
廃線自体は敦賀駅側へ伸びているように見えるし…
地図見てもあんまりわかんないですね…
うーん、再訪案件。
北陸本線の旧線トンネル群たちもあるので、一緒に見に行きたいですね!
立ち入ることはできませんが、最近の廃線ということで線路は綺麗に残っています。
いよいよ完成する新幹線と、同地に確かにあった廃線の歴史…
文明の悲哀を感じますね
いい廃線でした。ありがとうございました。
お土産に買ったへしこが美味しかったです。
おわりに
以上、久方ぶりの廃線巡りに興じてみた昨年末の想い出でした。
ちょっと内容が薄かったですかね…
もう少し、古地図をしっかり用意しておいたり住民の方や資料館の方へ聞き込みをしたりせねばならぬと思うのですが…
そこまでできなかったのが反省点。
というか、気になる分野が増える度、個々のテーマに対して費やせる時間が減っているというジレンマ。
薄く広くか、濃く狭くか。
おそらく現代社会で注目されるのは後者なのでしょうが…
私は、「濃く広く」の博物学を目指していきたいですね!
さて次回の廃線巡りの目的地ですが、せっかく四国に住んでいるうちに行きたい廃線ランキングNO.1の琴平電鉄塩江線であります。
私が仕事帰りに屡々温泉へ訪れるために降車していた、ことでん仏生山の駅から延びていた路線ですね。
既にウェブ上に紀行文がありふれていますが…
自分の目で、確かめに行き、訪問動画を投稿しております。
これもまた、ニコニコ動画が復旧しましたら、拙作動画リンクを貼っておきますね!