親切の本当の意味とは?
こんにちは、山本茜です。
朝に書道を始めて、気持ちがスッキリとしています。
さて、今日は【親切】を書きました。
親切という言葉は、親を切る意味ではもちろんありません。
そして、現代の価値観では(どうか知りませんが)親切にする事が【偽善】の様に感じられて無いですかね?
果たして、「小さな親切」は「大きなお世話」になってしまうのか?
親切は「相手の為を思って、、」と言ってしまったら終わりであると、私は確信している。
それこそが、【恩着せがましい】ことであり、【おためごかし】な事なのであります。
仏の道に最も親しく切(ねんごろ)なりということらしいのです。ねんごろとは近いという意味です。
つまり、人の為にするというより、誰にも期待せず、報われることもなくとも、「今」それをする事は「したいからする」という意味かと。
情けは人の為ならずに、近いけど、、、ん〜、、、、、むしろ、
【お天道様が見てる】
に近いと思ってます。
それをする事で今日死んでも後悔しない為に
それをしない事で今日死んでも後悔しない為に
全ては自分の為である。
このブログも、自分の生きる道を照らす為の覚え書きの意味合いを持ちます。
今日もごきげんよう❤
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