最高すぎる『水は海に向かって流れる』の壮大なタイトル回収
田島列島さんの『水は海に向かって流れる』が、最高の終わり方で堂々完結した。
最終巻を購入して以来、私は毎日、さいごの数ページをめくってはその都度心をふるわせているのだけれど、なぜこんなにも心がふるえるのかといえば、それはきっと、この物語が「止まっていた榊さんの時間が再び流れはじめるまで」を丁寧に描いていて、しかもその変化がアクロバティックであると同時に強い説得力をもつという奇跡のバランスで描かれているからだと思う。
そのことを確認し、読後の私のさめない興奮をしずめるために、以下、文章をしたためる。ネタバレもあるので、最高すぎる1~3巻をお読みになったうえで、余韻のついでに読んでいただけたら幸いである。
26歳OLの榊さんは、「怒ってもどうしょもないことばっかり」と言って、心に波風が立つことのない平穏な日々を送っている。しかし、本当のところでは、彼女はこの10年間、母親に怒っている。不倫で家を出ていき、自分を捨てた母親に。
怒っていることと、波風の立たないことが両立できているのは、きっと彼女が「一生恋愛しない」という誓いを立て、それをしっかり守っているからだ。この誓いは、怒りと向きあわないようにしながら、同時にその怒りを忘れないようにするために生まれた「心のふた」である。
「恋愛しない」という「心のふた」があるから、彼女の怒りは怒りのまま心の奥に保存され、同時に表面上では心の平穏が保たれる。
そのようにして、彼女は10年の時を過ごしてきたのである。
そんな面倒なことなどする必要はない。不倫をして家を去った母親への怒りなど、許して忘れてしまえばよいではないか。そんな考え方もあるだろう。
しかし、ひとたび母を許してしまえば、母に対する自身の怒りは、許すことができる程度のものだったことになってしまう。
榊さんはきっと、そうなることが怖くて、「心のふた」をとらずに、怒り続けている。表面上の平穏を保ちながら。怒っている自分をすら、気づけばいなかったことにしながら。
本気で怒っていたことを嘘にしたくないから、許すことはできない。
また、許すことができない以上、怒り続けなければならない。
でも、怒り続けながら生きることはできないから、心にふたをしなければならない。
こうして榊さんは、「恋愛しない」という「心のふた」を手にして以来、止まった時間のなかを生きている。心の奥にある怒りを、消化も消去もできず、ただ恋愛しないことで平穏を保ち、身動きのとれない10年を生きている。
そんな榊さんの時間が再び流れはじめるには、だから、本気で怒っていた自分を忘れないようにしながら、心の奥にある怒りを忘れてしまうしかない。
しかし、そんな語義矛盾のような心のありようを、一人の人間の中で実現することはできるのだろうか。
そう、一人の人間の中では、できるはずがない。
だから、榊さんには必要だったのだ。
自分のかわりに、自分の怒りを覚えていてもらう大切な他人が。
榊さんが怒っていたことは
ずっと俺がおぼえておくので大丈夫です(3巻、p.62)
この誓いが真実であるのなら、榊さんが本気で怒っていたことは、もう、この世界では、決して嘘にはならないことになる。
決して嘘にはならないのであれば、もう、榊さんが怒り続ける理由もなくなる。
そして、怒り続けないでいられるのならば、もう「心のふた」もいらなくなる。
こうして、直達のした約束は、榊さんの止まった時間を解き放つ魔法の言葉となる。
あとは、榊さん自身が、一歩を踏み出せばよいだけだ。
ところで、いきなりナンだが、幸せな未来をともに歩もうとする営みを、恋愛だとする。
そうだとすれば、この道は途中で途切れたり、別の道にとって代わられたりするかもしれないし、そもそも誰かと一緒にいるだけで人生にはいくつもの波風が立つわけだから、恋愛というのは、とてもしんどいし、大変なものだということになる。
だから、大人になってその正体が分かるほどに、恋愛をはじめるのは怖いし、勇気がいる。また、たとえ自分はよくても、相手をまきこむことには負い目も生まれる。
榊さんもきっと、そんな恐怖や負い目があるから、直達に対して、最後の最後まで、優しく諭して遠ざけるようなことを言うのだろう。それが大人の振る舞いだから。
しかし、直達はまだ16歳だ。人の気持ちや言いたいことが何も分からない「コドモ」ではないが、同時に、なんでも察して忖度しながら振る舞える「大人」でもない。
榊さんの気持ちは分かっているが、分かっているけど分かってあげない。そう、「子供はわかってあげない」のである。
そんな直達のおかげで、ようやく榊さんの時間も流れはじめる。
16歳の直達と、10年(+1年)の時が止まっていた27歳の榊さんという2人の子供。彼らは、きっと幸せになるであろう2人の未来をともに見つめている。
もしかしたらその先に、悲しいことや怖ろしいこと、おぞましいことが待ち構えているかもしれない。2人の未来が幸せであるとは限らない。
きっと2人とも、そんなことは分かっているのだろう。でも、それらはみんなささいなことだから、2人の子供はわかってあげない。
2人はただ、幸せな未来をおもうのである。