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素朴な疑問 ①


「我ら人間はなぜ自我(理性)を持ち、考えるのか。」

こんばんは。1個目の疑問は「我ら人間はなぜ自我(理性)を持ち、考えるのか。」
1発目から重いお題ですみません。
皆さんは自我について考えたことがあるでしょうか?
私は自我とは簡単に言うと「人間が持っている感情や思いの総称」だと考えています。
そこで「本能があるのに、なぜ自我というものが存在するのか」という疑問が私には出てきてしまいました。
ネガティブモードで考えると「理性というものは人間が作り出した洗脳に属するもの」という結論になぜか行き着いてしまいます。
もちろんそれも一つの答えなんだと思いますが、今回はせっかくなので哲学者・心理学者の理論を書きながら調べて、ポジティブモードの答えを出していこうと思います。

哲学者心理学者の結論

「人間は考える葦である」 ー哲学者 パスカル

皆さんも聞いたことがあると思います。
だって「ア●アシ」なんていう漫画もあるくらいです。
葦という植物は水辺で育つ、弱い草見たいなものです。
(最後の画像が葦です)
パスカルさん曰く「人間は自然の中では葦みたいに弱い存在だけど、考えることができる。それこそが人間に与えられた偉大な力」なんだそうです。

P.S.  省略前の文章は「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」です。(そのままだけど、一応載せておきます)

天才ってすごいですね。だってこの人1600年の人物ですよ⁉︎
衝撃で頭が「やばい」としか言えなくなってる…

「われ思う、故にわれ存り」 ー哲学者 デカルト

これも多分有名な考え方ですね(超ミーハーですみません。)
簡単にいうと「色々なモノの存在を疑っても、疑う自分がいるというのは『絶対』の否定はできない。だから疑って考えている限りそれが自分だという証明になる。」ということらしいです。

確かに自分を疑っている自分は自分だし、自分を考えるのには自分が必要…
頭が混乱するけど、一つの確かな答え(かっこいいこと言いたいだけ。)

「意識は氷山の一角」 ー心理学者 フロイト

これは、『人間の行動は全て心理的な意味(裏付け)があり、それは「無意識」だとして、我々の発言や行動の多くを意識的でも無意識での影響が大きい』という考え方です。
フロイトさんは無意識層に「エスと呼ばれる欲望」があるとしました。
エスというモノは自分にとって気持ちいいものを求めて嫌なものは避けたいという気持ちです。
我々は成長の過程、物に触れ言葉に触れたくさんの体験をします。
その時のエスと戦う心理的構造を自我と呼びました。
特に芸術と呼ばれる物たちは自我の力でエスを変形させた結果であると考えたそうです。
また、教育などで形成された良心を「超自我」と呼び、これも周囲の者に迷惑をかけまいとするべくエスを変形させた形であるとしました。
変形した形は十人十色で過剰になると他人に対して攻撃的になったり、
場合によっては精神を病む患者もいると考えました

これまた難しいですね。でも例が多いからわかりやすかったです。

「自分の性質を捉え、自己実現を試みる」 ー心理学者 ユング

今度は「タイプ論」なる物らしいです。

ユングさんは人間を「内向」と「外向」の2つに分けました。
「外向的な人は社交的だが世の中に流されやすい人」で「内向的な人は我慢強いが、気分に左右されやすい人」です。
ユングさんはさらに人間の心を「思考」「感情」「感覚」「直観」の4つに分類しました。
(ここから下は説明文みたいになってます。)
「思考」
 物事を理屈で判断するタイプ。論理感を重視し、好き嫌いの感情論は除き物事を判断する。主に男性に多い。
「感情」
 思考とは正反対のタイプ。好きか嫌いか、自分にとって心地いいかを基準にし、物事を判断する。主に女性に多い。
「感覚」
 目の前の物事を、あるがままに判断するタイプ。自分の価値基準や論理的なストーリーを挟まず、見たものをそのままに捉えるタイプ。化学者に向いている。
「直観」
 思いつきやひらめきを重視するタイプ。論理的でもなければ感情的でもなく、あるがままに物事を見ることもなく、本質のみを捉えるタイプ。
 
このようにユングさんは2×4(8種類)で人間を分類をしました。
さらに自分がどのタイプに属するかを知り、自分の優れた面や弱い面を認識することが自己を高めることにつながると考え、こうした過程を「個性化の過程」と名づけ、自己実現のために不可欠であると考えました。

この思考は私が求めていた「自我」の答えには程遠いけど、
こんな考えもあるんだと勉強になりました。

まとめ

感想

色々な考え方、思考の分析があって、私のものの見方が少し変わった気がします。こういうものを調べて書くのは意外と大変でブロガーさんを改めて尊敬しようと感じました。

改めて「自我とは?」

それは「自分が完全に意識することはできないもの、だがそれを考えることは自分に対しての贖罪行為となりうる」です。完全にデカルトよりですね。とても記憶に残った衝撃的なものでした。

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最後に

最後まで見ていただきありがとうございます。楽しんでいただけたら何よりです。それではまた今度。

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