冷凍庫と母
冷凍庫の中に何が入っているか。何度も何度も冷凍庫を開けては確認して、また気になっては開けてしまうことがある。
暑くて溶けそうな庭を室内から眺めながら、台所へ向かい、冷凍庫を開ける。本日2本目のソーダアイス。外側のソーダをほどくと、中のクリームが甘くて美味しい。朝は4本残っていたアイスも、もう残りが2本になってしまった。お母さんは仕事。お父さんも仕事。夏休みはまだ始まって3日。宿題はまだ計画通りに進んでいる。電気をつけなくても明るいリビングの窓際で外を見ながらアイスをなめて、猫と一緒にダラダラ過ごす時間は、何の不安もなく、私だけの世界の優しい時間だった。お日様が登っていれば、ひとりぼっちは何も寂しいものではなかった。
思えば、あの頃からもう、学校へ行かずににおうちにいることは私のお気に入りだった。特に夏の間は、日照時間が長いから、1日のうち多くの時間を安心して過ごしていられるためとびきりお気に入りで、今でも私は身体が腐りそうな程に暑くても日本の夏が大好きだ。幼い頃はなぜ、あんなに何本も同じアイスを食べ続けることができたんだろう。甘くて優しい味をずっと食べられた私はもう、しょっぱくて少し辛いものの方がずっと続けて食べていられるようになった。
一人で遊ぶことは得意だった。お誕生日にもらったシルバニアファミリーで遊んだり、インターネットでジグソーパズルをしたり。だけど、スーファミをするときだけは友達を呼んだ。仲良しの子のおうちの固定電話に何件も電話をかけて、4人集まったら電話は終わり。カセットとお茶とコップだけ準備して、チャイムを待っていた。友達はみんな近所に住んでいるから、10分もすれば自転車のブレーキの音が私の家の前で止まる。みんなでスーファミを交代で遊ぶけど、特に好きだったのは友達がやっているのを見ること。格ゲーも、カービィも、マリカも、見ているのが大好きだったから、スーファミと友達は一緒に思い出されることになる。時計が2時を過ぎると、急に針が落ちていく速度が速くなっていく気がした。あっという間に3時、4時となって、5時頃には友達はみんな帰っていく。お母さんが帰ってくるまであと30分から1時間。この時間がとても苦手だった。
ゲームが映るビデオ2は真っ黒で怖いから、すぐに3チャンネルをつける。忍たま乱太郎やおじゃる丸がやっていればラッキー。その間にお母さんが帰って来れば、もっとラッキー。お母さんが遅いと、天才てれびくんが始まって、ついにビットワールドが始まる。天てれとビットワールドは、不安な気持ちになる画面があった。オリジナルの曲はいつもよくわからない歌詞だったし、ビットワールドのキューブは
不気味に思えた。お母さんの帰りが6時になることは少なくなかったから、天てれの変な歌も覚えてしまったし、ビットワールドまで終わってしまうと外はもう暗くて、孤独な気持ちになって、家中の電気をつけて、お母さんの帰りを待った。
お母さんが帰ってくるとき、家の前の坂道を登ってくるバイクの音でわかる。バイクの音が近づくと、門を開ける金属音が聴こえて、10秒くらいで音が止まる。そこからの時間は日によるけれど、ガチャ、と鍵を開ける音が聞こえたら、お母さんが家に入ってくる。玄関で死んだふりをしてみたり、寝室の畳んだ布団の後ろに隠れてみたり、玄関脇の部屋から顔だけだして変な顔をしてみたり、いろんなバリエーションでお母さんを迎えた。お母さんが、大好きだったなと思う。あの頃から、ちゃんと、お母さんのことが大好きで仕方がなかった。
帰ってすぐに夕食の支度に取り掛かるお母さんの脇で、私は冷凍庫を開けて、閉める。お母さんアイス食べる?と聞くけれど、今日はアイス何本食べたの?と鋭い質問をされて、もうアイス後2本しかないよと答えて、ちょっと怒られる。だけど、お風呂上がりには一緒にアイスを食べてくれることもわかっていた。
お母さんは、とても楽しい人で、帰ってきてから私をスーパーに連れて行ってくれることもあったし、おおきなすいかを買ってきてくれることもあった。今思い起こすと、お母さんは私のことが大好きだった。お母さんの世界の真ん中には多分私がいたし、当時の私が知っていたやさしさは、全てお母さんの優しさだった。
お母さんとお風呂あがりに食べるアイスを必ず残すようにしていた私を、今の私はやさしいな、と思うけど、そういうやさしい時間を作ってくれたお母さんは、やっぱりやさしいな、と思う。
実家の冷凍庫には、アイスがあるだろうか。私の誕生日にはアイスをとりいそぎ、といってお父さんが持ってきてくれたけど(コロナウイルスのせいでご飯を食べに行けないから、と)日中家にいても、アイスを食べることはずいぶん減った。お風呂あがりに、たまに旦那と食べるアイスが今はとても幸せだけど、お母さんが私と食べたいと思ってくれていたらいいな、と思う。そういうやさしい時間の思い出が、共通のものであってほしいと思う。私はまた、お母さんとアイスが食べたい。