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全国100ヵ寺参詣の旅【23日目】受け継がれた灯を絶やさない為に。

ありがとうございます。 今回も無事に1日を終えることが出来ました。 1日で浜松のお寺を4カ寺回らせて頂いたのですが、いつも以上に学ぶこと、考えさせられるところがありました。

これは蓮風寺(れんぷうじ)さんです。 旅の中でも1、2を争うくらい場所が分かりにくく、お寺感がないお寺でした。(笑)お参詣前に誰も電話に出られず心配な部分はありましたが、訪れると「鈴木さん」というお母さんがおられました。

中に入ってみると本堂がしっかりと御保ちされており、謎の安心感に包まれれました。鈴木さんは事務作業をするタイミングで訪れたそうで、いつものように当たり前ではないご縁を頂きました。

ここは無住のお寺で、何年か前に御住職がお亡くなりになられたそう。 鈴木さんは殆ど毎日お参詣され、お寺の護持に努めておられました。 私がいつものように口唱を始めると、鈴木さんは後ろから大きな声で口唱されました。 その熱い声は私の中に響くものがありました。

蓮風寺さんのように、言い方が悪ければ規模が小さく、無住のお寺は旅の中でも何カ寺が存在しました。 そこに共通するものは「数人の熱心な御信者がお寺を御保ちしている」こと。 一日二日ではお寺の歴史を全て理解できるはずはありませんが、お題目の声、お話した感じの熱い眼差しから、受け継がれてきた灯を絶やすまいと、本気で御弘通御奉公に励んでおられる気持ちが伝わってきます。

そして今回4カ寺目に訪れた正晨寺さん。 丸山ご住職夫妻に夕飯を御馳走になり、さらにはお寺に泊めて頂くことになりました。。ありがとうございます。。沢山お話をさせて頂く中で強く感じたことは、「時代は変わってきていることは無視できない」ということ。

旅路でお会いする方は、私の年齢を聞くと殆どの方が驚かれます。私が生まれたのは1999年。あのノストラダムスの大予言の年に生まれました。当たり前の話ですが、生前のことは誰かに伝えられない限り知ることはありません。=どれだけの方が本気で御信心に励まれたのかも知ることもないのです。

私の親世代と、私のような20代、歴史の中で見るとたった20~30年しか変わらない期間ですが、その間に目まぐるしく多くの変化があります。時代について言及することはおこがましく、何もわかっちゃいませんが。。。

しかし、お寺に訪れる、お参詣をすることに対しての価値観は変化しているのではないでしょうか。旅路で多くの御信者さんとお話しますが、「昔はお寺に行くとお供養という御馳走があった」「お寺に行くと美味しいものを頂けるんだ」というように似たようなエピソードを話されます。私達の時代に置き換えれば「お寺に行くとお菓子をもらえる。おもちゃがもらえる」というような事です。

それでは今の子供たちはどうでしょうか。私達の時代と変わらないこともあれば、お寺に来なくとも足りてしまうことのほうが多いのではないでしょうか。あんなに小さい子供がスマホをいとも簡単に扱える時代です。足りないものは足せる時代。これが昔と異なる大きな点ではないでしょうか。

結論「お寺に来るキッカケ」が変わってきていると思うんです。そしてその時代に即した「キッカケ」を私達が作らなければいけないのでは。。

蓮風寺さんで強く感じましたが、こんなに素敵なお寺があと何年後、何か月後には消えてしまう可能性は十分にあります。御祈願すれば、口唱すれば、は勿論大事です。しかし、祈るだけ口で言うだけではお寺を護持することは出来るのでしょうか。それは難しいことだと思います。

境内で餅つきをしている写真、白黒の集合写真などを見れば、「懐かしい」では済まされない「お寺を保たなければならない」という思いが腹の底から湧いてきます。まだ60カ寺を過ぎたところですが、全国には残り200カ寺以上の佛立宗の寺院が存在します。

これから先は寺院大廃業時代だそうです。日本には7万を超える寺院が存在しますが、そのうち2万は住職がいない無住寺院と化しているといわれています。このままいけば佛立宗の寺院も避けられない現実を目の当たりにすることでしょう。私はそんな時代を時代のせいにして素通りすることは出来ません。。

過去のように賑やかで活気のあるお寺を取り戻したい思いをもたれている御信者さんとお話すると、「私がやらなければ」という気持ちにさせられます。代々受け継がれてきた歴史の灯を私達の時代で終わらせたくありません。

かと言って何をすればいいのか。それが分れば苦労しません。。先ほども書いた通り「キッカケ」をつくることから私は始めようと思います。全国のお寺を周っているからこそ言えますが、全寺院にそれぞれ込められた思い、継がれてきた歴史があり、誰一人として、お寺がなくなればいいなどと思う御信者はいません。

お寺がなぜ必要なのか?と聞かれると正しい正解を導き出すことは出来ませんが、少なくとも「人々を救うキッカケ」であることは間違いありません。そのキッカケが1つ2つと減ることに並行して信徒数も減っていきます。これらに危機感を感じるだけではなく、実際にどうすれば御保ちする事が出来るのかをこの先の旅で考え、行動に移さなけらばなりません。現実を目の当たりにした私だからこそ、出来ることはないのかを考え行動にうつします。



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