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全国100ヵ寺参詣の旅【18日目】17年ぶりの再会

ありがとうございます。本日も1日を無事に終えることができました。昨晩名古屋の建国寺さんに泊めて頂き、ばっちりと体力回復しました。

建国寺に着いたのは夜中のことでした。玄関の前に人が見え「ありがとうございます」と挨拶したのは、15年以上お会いしてなかった石川建信師でした。何度か博多に来られていたこともありましたが、タイミングが悪くお会いできなかったのです。

私は写真の中での記憶しかありませんが、建信師は私の知らない思い出を沢山語ってくれました。両親の話も、お寺の御信者さんの話も、懐かしむように楽しくお話しして頂き、こちらも笑顔でお話を聞いていました。

17年前?くらいの写真。

こんな写真勝手に載せていいのかわかりませんが、私はこの写真が1番思い出に残っています。「けんしんし」といつも呼んでいたような。。奥さんの悦子さんとお会いして、なんとなく記憶が蘇った気もしました。

そして、子供の頃では出来なかった話もさせて頂きました。その中で「青年会が全てではない」という言葉を頂きました。この旅の1つの鍵となるのが「青年会」の存在だと思っていたからです。


どの時代も青年会がお寺に活気を与えます。護持をするというよりは新しい風を吹かせるような。そんな存在です。そしてこの旅の中で人とお話しする際に、私から出る言葉は「〇〇寺には〇〇人の青年会がいて、、」「昔はもっと人数が、、」

このように数のことしか頭になく、極論を言えば、青年会の人数が増えれば活気が出てお寺が盛り上がる。いい影響を与える。という浅はかな思考になっていました。しかし、そこでお折伏頂いたのが「青年会が全てではない」という言葉でした。

全てのお寺とは限りませんが、現在お寺でお役を持たれている方が若い時代に青年会に属していたでしょうか。今の熱心な御信者が若い時代にお寺のイベントに参加していたでしょうか。必ずしもそうとは限らないはずです。

このように青年会に勢いがある、活発である、人数が多い、だからといって永続的にその御信心が続くか?と聞かれると簡単には頷けません。お寺には様々な部署・連合・和合があります。また、それぞれにお役があり、御信者がいます。支え合うからこそお寺は護持されていくのでしょう。

私は表面上のことしか頭になく、中身を考えようとしませんでした。ボーリングの球をパシパシと思いっきり叩いても手が腫れるだけで、ボールは進みません。しかし、大きく手を広げてゆっくりと力を込めて押してあげると球は前にコロコロと進んでいきます。

それと同じように、表面上の数字や勢いだけに囚われると一見進んでいるように見えるだけで、実はそうではないかもしれません。大事なことは中身。毎日の正しい教えを1人1人に優しく丁寧に教え、人の為になる生き方をする。一見勢いはないように見えて、お互いに一歩ずつ前進しています。

焦ることなく、気持ちに緩急なく、1日1日を大事に過ごし、毎日変わらずに笑顔でお参詣するような人が1人でも多く増えたらいいですよね。

私はこの旅で毎日多くの刺激を受け、考える幅も少しずつ広がっていると思いますが、私の倍の人生を歩んでいる先輩(御信者)のお話を聞くと、自分の考えや知識の無さが顕著に現れ、毎回恥ずかしくなります。

しかし毎回多くの方にnoteを読んで頂き、お褒めの言葉や指摘を受けることで、少しずつ正しいレールに近づいているような感覚があります。この旅に出なければそのような感覚は身に付いてなかったはずです。

と、今回は締めの言葉が見つかりませんし、眠気も限界に近いのでここで終わります。明日もまた寒さに負けず頑張ります。本日も読んで頂きありがとうございました!




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